第3話 粗末なポケットティッシュ
無事に注文を終えた老夫婦は来る日も来る日も落ち着かず、浮き足立っていた。
「お部屋は掃除したし……」
「充電器の場所も用意したな」
「飾り付けもしたし……」
「……しかし、ばあさんこれは……」
婦人が扉を開くとリビングに面したその一室は、原型を留めないほどに端から端まで飾り付けられていた。どこから持ってきたのか大きなピンク色のリボンを窓枠にかけて、丁寧に切り抜かれた折り紙には「お誕生日おめでとう」と書かれている。部屋の端に置かれているテディベアは……こんなもの、家にあっただろうか。その一室だけが、2人の年齢を感じさせないほどメルヘンチックできらきらと輝いていた。
「だってこの一室は好きにしていいって言ってくれたじゃない」
「それはそうだが……」
紳士はあれからの婦人の気持ちの変化に驚いていた。しかし、婦人がそれほど活力に溢れている姿を見せるのは久しぶりで、気づけば頬が緩むのを感じる。
「あと1週間、か……」
確かに婦人がこうなるのも仕方がない、と紳士は思った。
「そうだわ……あなた!あなた!」
見ると何か大変な事に気付いたような顔をした婦人が何度も紳士を呼びかけていた。
「一体どうしたんだ、突然」
婦人はおろおろと目を泳がせながら、やっとのことで言葉にする。
「私たち、名前を決めてないわ……」
名前……名前!そうだ、名前、なぜ今まで思いつかなかったのだろう。
「太郎とかどうだ」
「いやよ、もう少しかわいい名前に……女の子がいいんじゃないの?」
婦人が大袈裟に肩をすくめて見せる。
「そう言われてもな……」
その時、2人の足元にいつかのポケットティッシュが棚から落ちた。と、2人は真剣な顔で見つめあった。
「「かずは……」」
その名前を口にして改めて、2人はそれ以外の良い名前などないと思った。
「かわいくて、人懐っこくて、優しくて、明るくて……」
「あんな娘がいたら、親御さんはさぞ幸せだろうな」
「来てくれる子も、そんな子だといいわね」
「ああ、きっと、そうに違いないよ」
紳士はそっと婦人の肩を抱いて、粗末なポケットティッシュを愛おしそうに眺めるのだった。
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