5話『満足してるよ、俺は』
――
(あぁ、やっぱり)
彼女の告白を聞いて、俺は自分で驚くほど自然に納得した。きっと、心のどこかで分かっていたんだろう。
蒼華――いや、
「私たちは人間ではなく、鬼を祓うために生み出された存在なの。わかりやすく例えるなら、陰陽師の式神に近いかしら」
「蒼炎華が……生み出された、存在?」
改めて彼女の顔を見る。
『まるで崇高な職人が手塩を掛けて作り上げた、ひとつの芸術のような美しい女性』
俺がそう感じたのは、さほど間違っていなかったらしい。
(だけど、式神って……)
陰陽師といえば、すぐに思い出すのは有名な安倍晴明だろうか。確かその彼が使役していたのが、式神と呼ばれていたはずだ。
「ということは蒼炎華を、月影を使役する人がいるってこと?」
「えぇ」
浮かび上がった疑問に蒼炎華は肯定しつつ、そっと俺の手をとる。柔らかくて、細くて、スベスベで……こみ上げる驚きや恥ずかしさに、握られる手が震えそうになった。
「私たち月影を使役する人間を、
「あ、あぁ。なるほど、そういうことか……」
蒼炎華が目覚めて、最初に俺へ問いかけた単語の中に『ゲッコウシ』があった。あれは俺が
納得する俺に、蒼炎華はひとつ頷くと言葉を続けた。
「そして今、私を使役しているのが――貴方よ、陽斗」
「お、俺?」
想定外な言葉に、俺は思わず目を見開いて自分を指さした。蒼炎華は首肯して、俺から手を離すと自らの胸に置く。
忘れもしない。そこは昨夜、彼女が俺のせいで致命傷を負った部分だった。
「月影の傷は普通の治療では治らない。治せるのはただ1人――月影と契約を結んだ、月光師だけ」
「あっ……!」
彼女の言葉にようやく俺は理解する。
あのとき、救急車を呼ぶのを止めたのも。見ず知らずの俺を遠ざけようとしていたのも。
『――日常に戻れなくなっても?』
最後に俺へ覚悟を問いかけたのも。
全ては、俺を巻き込むまいとした彼女の優しさだったのだ。
「ごめんなさい」
昨夜の出来事に納得していた俺へ、不意に彼女は深々と頭を下げる。
「命恋しさに、私はただの一般人である貴方を危険な世界に引きずり込んでしまったわ」
「――――」
言葉に詰まった。
(この謝罪に対して、俺はなんて返せば良い?)
肯定するのも、否定するのも、どこか違う気がする。
一体何を思ってあの危険な世界、
「満足してるよ、俺は」
考えつくよりも先に、無意識でそう言った。
「……っ!」
蒼炎華は不意を突かれたように顔を上げる。綺麗な蒼色の瞳に映る俺は、言葉通り満足気に微笑んでいた。
(あぁ、そうだ。俺はこう言いたかったんだ)
満足している? こんなの嘘だ。でも、俺はこう言いたかった。
(だって俺は何も知らない)
無知な俺が何を言っても、彼女の持つ後悔を薄めることは出来ないかもしれない。心に届かないかもしれない。ふざけたことを、と呆れられるかもしれない。
『――――せない』
でも俺のなかで燻る何かが、蒼炎華に暗い表情をしてほしくないと叫んでいる。
「確かに邪鬼、だっけ? アレと対峙したときは本当に怖かったし、死ぬかもしれないとも思った」
俺は「それに」と続けた。
「日常を送れなくなるなんて嫌に決まってる」
巨大な鬼と対峙することの恐怖より、死ぬかもしれないことの恐怖より、俺は『日常を送れなくなる』ことの恐怖が、一番強い。
それでも、それでもさ。
「俺は満足してるんだよ」
「どうして……。怖い思いをしたのでしょう? 死ぬのは嫌でしょう? 日常に戻りたいでしょう?」
問いかける、というよりも確かめるような蒼炎華の言葉に、俺はすぐさま首肯する。それを見た彼女は余計に疑念を深めたらしく、眉をひそめて再び問いかけた。
「怖かったのなら逃げれば良い。死ぬのが嫌なら逃げれば良い。日常が大切なら逃げれば良い。……でも貴方はそうしなかったわ。どうして?」
「決まってる」
即答する。その問いに対しての答えは、昨日キミと出会ったときから持っていたから。
「
「……!」
俺の言葉に含まれた裏を正しく理解したのだろう。蒼炎華の息が詰まり、目が見開いていた。
そんな彼女を見て、俺の口が無意識に滑る。
「……幼い頃、交通事故にあってさ」
やめろ。
「父さん、母さん……そして妹の
「――――」
この話題はもう良い。
「俺はそのとき、何も出来なかった」
どうして止まらない?
「妹に庇われたんだ! そのとき中学1年の俺が! 小学3年生の由比にッ!」
今まで誰にも話したことがないのに、どうして?
「本来なら俺が守るべきだったのに、俺は……俺は……!」
そうか、俺は誰かに聞いてほしかったんだ。人生の最も恥ずべき過去を。2度と償えぬ大罪を。
後悔していた……いや、5年の月日が経った今でもずっと後悔し続けている。
両親に庇われるのはまだ良い。全く良くはないが、父さんや母さんは親として立派に俺たちを守ろうとしてくれた。2人に対してあるのは、何よりも尊敬の念。
――だが妹に庇われるのは違うだろう!?
「だから、だから俺は、もうこれ以上俺のせいで誰にも死んでほしくない。傷ついてほしくない。俺は……俺はっ……!」
「――ありがとう、陽斗」
後悔の念に押しつぶされていた俺は、不意に何かに包まれる。
暖かくて、柔らかくて、いい匂いがした。トクン、トクン、と落ち着いた心音が聞こえてきて、否応にも渦巻いていた興奮が落ち着いていく。
「蒼炎華……?」
「お礼を言わせて頂戴。邪鬼と対峙していたとき、本当に危なかったの。きっと貴方の手助けがなければ、私は死んでいたわ」
優しく、優しく、子どもをあやすように蒼炎華は口を開く。
「でも、俺のせいで蒼炎華に大傷が……」
「そんなの死ぬことに比べたらずっとマシよ。私はまだ死にたくない、死ねないの。貴方のおかげで、私は生き残ることができた」
だから、と続けた。
「――陽斗、ありがとう」
「……っ!」
柔らかい声色で感謝されて、俺はゆっくりと実感する。
昨夜、俺がしたことは間違いではなかったのだと。あのとき何も出来なかった俺は、幾万分の1でも誰かのためになれたのだと。
そうしてしばらく蒼炎華に抱きしめられていた俺だったが……。
リィィィンッ!
「――おわっ!?」
「きゃっ!?」
不意に鈴のような音が響いて、思わず勢いよく飛び退いた。離れたことで改めて先程の状況を理解した俺は、頭が沸騰しそうなほどに顔が赤くなるのを感じる。
(な、な、何やってんだ俺は――!?)
とはいえ錯乱を表に出すことはダサくて出来ない。反動で心臓が早鐘を打つのを感じながら、鈴音が聞こえる方へ視線を向ける。
「蒼炎華、それは……?」
音を響かせていたのは、いつの間にか部屋の中で浮かぶ白い十字架のような紙切れだった。蒼炎華が手を伸ばせば、その上へと綺麗に収まって文字が浮かび上がる。
「【
「調伏って……まさかまた邪鬼!?」
昨夜、戦って生き延びたばかりなのに、連続で!?
目を見開く俺に、蒼炎華は首を横に振った。
「いいえ、調伏対象は<邪鬼>ではなく<悪鬼>ね」
「……悪鬼?」
また知らない単語かと眉をひそめたが、すぐに思い出す。そういえば、何度か蒼炎華との会話の中で出ていた単語だったような。
「邪鬼は悪鬼が人間を喰らって成長した姿よ。危険度は悪鬼のほうがずっと低いわ」
そもそも、と蒼炎華は言葉を続けた。
「邪鬼なんて本当はそうそう出会わないの。私も数える程度しか戦ったことがないのよ」
つまり昨夜ほどの危険性はないらしい。安堵しようとした俺の隙を突くように、彼女の鋭い視線が貫いた。
「けれど、悪鬼も人を簡単に喰らえるわ。少しでも油断したら、その瞬間に貴方の命は散ることになる。それが彼ら、鬼という存在なのよ」
「――――」
ゴクリと固唾を飲み込む。蒼炎華の纏う雰囲気に呑まれて、手足が微かに震えていた。
――
「覚えていて、貴方は私の月光師。月影を使役し、鬼を祓う存在」
小さな相槌を打つことすら躊躇われて、静かに首肯した。俺の様子に油断が無くなったことを感じ取ったのか、蒼炎華の表情が微かに和らぐ。
「そして私は貴方の月影。貴方に寄り添い、貴方を守り、貴方の代わりに鬼を祓うモノ」
言いながらそっと伸びた蒼炎華の手が、俺の頬に添えられた。
「貴方は私を支えて頂戴。そうすれば私が貴方を守ってみせるわ」
「――――ッ」
守ってみせる。そう言い残した彼女は俺から一歩離れて、蒼炎を纏った。瞬間、彼女の纏う服装が白無垢のような着物へと変化する。
――今、『蒼き月』が舞い降りた。
「さぁ、往きましょう我が主」
蒼き月が誘うその先は、
「悪鬼蔓延る、
今宵、蒼き影が月と舞う おやくるーず @_sinya_
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます