鈴木の木

明鏡止水

第1話

狂いそうなくらいの加護を祈る気持ちに、男は釣鐘の紐を引き、鳴らしながら読経する。


昔々あるところに、山間に位置する大きな村がありました。大きいからといっても栄えているわけではなかった。村の誰もが知り合いだが、それぞれに財産があり、蓄えがある家もあれば、ない家もある。


だがそんなことはどうともよかった。働いてさえいればいい。さやえんどうの下ごしらえ、田畑の見回り、猪を仕留めるための槍造り、おぎなえ合えればそれで良い。

それで良いのに。


どうしてなの、どうして貴方なの?


殺人が起きたわけでもない。人身御供があるわけでもない。より大きな村へ、あるいは職、というものを求めて旅立つわけではない。


一年に一人、必ず村人のだれかが消える。


消えるといっても様々だ。夜中に急に思い立ち、家を飛び出していく男もあれば。ちょっと卵をとってくるよ、と鶏小屋に行った幼子が。しくしくと泣き続ける村一番の若い女が何かあったかと心配されながら、皆が消えるのが悲しいの、嘆き自分まで姿をいつのまにか消す。男も女も子供も、赤ん坊すら、一年に一人。

かならずなんの前触れもなく消える。


せめてどうか、どこかで生きていると信じて、

お守り、とやらを渡してやりたい。ほんとうに、誰がいつ、どの季節にどんな思いで消息を断つのか分からなかった。


しかし、この村には神社というものも寺もなかった。必要なかったからだ。祈ることも、修めることも。ただ、生きてさえいれば良い。

うまれて、

はたらいて、

いきて、

しぬ。それをいやがるものは、消えた者を出した家のものだけ。


この村には奇妙な習慣が一つだけあった。人が消えたら、村の先のてっぺんの山。腐った古木に、鈴を一つ、結んでやるのだ。

あのひとが、あのこたちが歩くたび、胸が鳴るたび、このからり、とした音色が。

そう、あの人らの心の臓の音。それのようにひびくと信じて。

あまり高いところには結べない。枯れた古木の下の方に、いくつものいびつな、質の悪い、鈍色の鈴が成っている。消えた家の者は毎日そこで鈴を鳴らすそれこそが祈りであり。修行であるのに。


帰って来て欲しい。古木は中が大きく裂け、柔い人間の肌のような色を覗かせていた。


ある日の嵐の日。とうとう古木が根元からその肌を雨風に削がれ、強い自然の力に折られ。


山のてっぺんから、村を突き抜けて、坂を滑り落ちる!大量の鈴を何重にも幾重にも鳴らし!揺らし!かちあい、叫びしたいくらいに金切りの不協の和音を村に響かせてやりながら。古木は雨水と泥と共に。たった一つの地蔵と祠を突き抜け、止まった。


村人は、全員が一番立派な瓦と柱を持つ、村長の大きい家に集まっていた。あとは嵐だというのに畑の心配をして、外に出た者がいただけで、誰も古木の最後に巻き込まれなかった。

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