第15話 怪人は王都の闇に暗躍す

 夕日が沈み、黄昏の空が濃紺に塗り替わるころ。

 王都の貴族街に、闇にうごめく者たちがいた。

 それらは、闇から飛び出すと辻々に立つ衛兵の前に堂々と姿を表していく。


「くくく……悪の秘密結社ジャークダー参上! 我が名は蝙蝠怪人バット・バッデス。腑抜けた王家の犬どもよ、我と戦う勇気があるならかかってくるがいい」

「うっ、ジャークダーが出たぞ! 応援だ、応援を呼べ!」


 呼子よびこの甲高い音色が夜の静寂を切り裂いていく。

 巡回の衛兵たちがそれを聞きつけ、斧槍ハルバードを携えて続々と集まってきた。

 対峙するのは蝙蝠の姿をした異形と、全身黒タイツの正体不明の男たち。

 男たちは『イーッッッ!!』と奇声を上げ、衛兵を牽制していた。


 その数は異形たちが11、衛兵たちはそろそろ50を数えるだろうか。

 はじめは腰が引けてきた衛兵たちだが、数を頼みに徐々に威勢を取り戻してくる。平民街を巡回していた衛兵をすべて引き上げて貴族街に集中させているため、数だけは多いのだ。


「はっはっはっ、ジャークダーだかなんだか知らねえが、これだけ数が集まりゃ袋叩きよ! 降参するなら命だけは勘弁してやるぜ?」

「くくくくく、これだけ数を集めても、なお闘争を恐れるか。王家の腑抜けぶりはどうやら筋金入りのようだ」


 衛兵の隊長らしい男の降伏勧告を、蝙蝠怪人が冷たくあざ笑う。

 男の額が赤黒く染まり、額に血管が何本も浮き上がった。


「な、なんだと! かかれいっ! 全員ひき肉にしてやれ!」

「くくく、口だけは達者な烏合の衆よ。闇にまどい、闇に怯えるがいい」


 その言葉とともに、蝙蝠怪人は両手を突き出す。

 そこから大量の黒い煙が吹き出して、衛兵たちを瞬く間に覆い隠した。


「なっ、なんだ!? 何も見えないぞ!?」

「ランタンは! ランタンはついているのか!?」

あつっ! ランタンはついてるぞ!」

「それならなぜ暗くなる!?」

「痛えっ! くそっ、敵がいるぞ!」

「バカっ! 武器を振り回すな、同士討ちになるぞ!」


 視界を奪われ、混乱に陥った衛兵たちを蝙蝠怪人はにやにやと眺めている。

 蝙蝠は視覚に頼らず、音の反響によって世界を視ている・・・・ため、視界の遮られる煙の中であっても、そこで起きていることが手に取るように把握できたのだ。


「くくく、我が闇魔法だけでこれほどの醜態を晒すとはな。まったく、敵ながら哀れになるほどだが……これ以上は死人が出かねんな。そろそろ止めてやるか」


 蝙蝠怪人は深く息を吸い込み、胸を膨らませた。

 そして兵士たちに向かって大きく口を開ける。それは遠吠えをする狼の姿にも似ていた。だが、その喉からは何の音も聞こえない。なぜなら、そこから発せられているのは人間の可聴域外にある超音波だからだ。


「ぐああ……頭が痛え……」

「うぐう……な、なんだよこれは……」

「目が回る……立ってられねえ……」


 超音波が衛兵たちの頭蓋を貫き、脳を揺らす。

 これも蝙蝠怪人の得意技のひとつだ。範囲を絞れば威力が上がり、殺傷能力が高まるのだが、今回はわざと範囲を広げて威力を落としている。


「くくく、これでしばらくは動けまい。では行くぞ、皆の者!」

『イーッッッ!!』


 蝙蝠の姿をした怪人と、黒タイツの男たちは路上にうずくまる衛兵たちをよそに、王都の闇へと消えていった。


 * * *


「イーカイカイカイカ! 悪の秘密結社ジャークダー参上! 俺は深海怪人ダイオウ・テンタクルスだイカ! そこの馬車、止まるイカよ!」

「ぐっ、出たなジャークダーめ!」


 王家の紋章を掲げる屋根付き馬車キャリッジの進路を遮ったのは、直立するイカとでも称すべき異形であった。2本の腕は長い触腕となっており、下半身からは何本もの触手がうねりながらその身体を支えている。

 その怪人が、全身黒タイツの男を10人ほども引き連れて王都の夜に現れたのだ。


 最近では御者も慣れたもので、ジャークダーに遭遇するとすぐに呼子よびこを吹いて衛兵を呼ぶようになっていた。数分もすれば駆けつけてきて、被害を免れるかもしれない……と淡い期待をしていたのだが、衛兵たちの足音はいつまで立っても聞こえてこない。


 それもそのはず、巡回の衛兵たちはほとんどが蝙蝠怪人のところに引きつけられていたのだ。いまは全員が石畳に倒れて呻いている最中だった。


「むむう、誰も来ないイカねえ。これは期待外れだったイカな」

「何が期待外れだ。貴様こそ、飛んで火に入る夏の虫というやつよ」


 屋根付き馬車キャリッジの扉が開き、中から全身甲冑をまとった大男が現れた。腕の太さほどもある大剣を背負い、頬には十字の古傷がある。

 さらに続けて、豪華な衣装をまとった金髪の少年が馬車から降りてきた。


「あーはっはっ! よりにもよって、僕の馬車を狙ったのが運の尽きだね!」

「あっ、お前はアホボン王子イカ! これは大当たりだイカよ~」

「誰がアホボンだ! 僕の名前はイログールイだ!」

「殿下、お控えください。敵は異形のやから、何を仕掛けてくるかわかりませぬ」

「うっ……わ、わかった」


 大男に制されて、イログールイが後ろに下がっていく。

 その声には有無を言わせぬ迫力があった。


「あんたの方は少しはまともそうだイカね」

「俺はガラハッド・ローラン。近衛隊長を務めている」

「たかだか夜会の護衛に近衛隊長様を駆り出してくるとは、アホボン王子様はずいぶんと勇気があるんだイカね~」


 イカの怪人が触手をうねうねさせながら煽るが、ガラハッドに動じた様子はない。


「ふん、そもそも貴様らが不埒な真似をしなければ、俺が出張るようなこともなかったのだ。全員素っ首を刎ねてやるから覚悟しろ」


 ガラハッドは背負った大剣の鞘を払い、正眼に構えた。

 大剣は青白い光を放っており、見るものが見ればそれが魔剣の一種であることがわかっただろう。魔力のまじった冷たい殺気が、夜の風に浸透していく。


「イーカイカイカイカ! 首を刎ねられてはたまらないイカよ。全員、投擲開始イカっ!」

『イーッッッ!!』


 だが、それをもあざ笑うかのようにイカの怪人が号令を発した。

 同時に、戦闘員たちが一斉に素焼きの小壺を投げつける。


「ふん、馬鹿の一つ覚えの魚油か! 俺は冒険者上がりだ。そんなものではひるまぬぞ!」


 ガラハッドは凄まじい速度で大剣を振るい、すべての小壺を空中で叩き割る。

 砕けた小壺からとろみのある液体が飛び散るが、飛沫が自らにかかることはない。ただただ地面を濡らすだけだ。まさしく、達人の剣さばきであった。

 小壺を軽くあしらったガラハッドが歩を進める。金属靴グリーブがガシャリガシャリと音を立て、ガラハッドの巨躯きょくが怪人たちへと徐々に迫っていく。その歩みが、濡れた地面まで進んだときだった。


「ぬうっ!? ぐわぁぁぁあああ!?」


 ガラハッドが足を滑らせ、したたかに石畳へ身体を打ち付けたのだ。


「イーカッカッカッカッ! 引っかかったイカ~」

『イーッッッ!! イッ、イッ、イッ、イッ、イーッッッ!!』


 イカ怪人は触腕で腹を押さえて大笑いし、戦闘員たちの奇声も心なしか笑っているかのように聞こえる。ガラハッドは怒りで顔を赤黒く染めながら吠えた。


「貴様らっ! 一体何をした!!」

粘液子鬼ヌルゴブリンの体液から作った潤滑剤だイカ。これがよーく滑るイカよ。玉無し王子なら毎晩ベッドの上で使ってるんじゃないイカか?」

「なっ、なんだとぉ!」

「おっと、アホボンにはこっちをくれてやるイカ!」


 イカ怪人は頬をふくらませると、その口から黒い液体を吹き出した。

 それは王子に直撃し、頭のてっぺんから足の先まで真っ黒に染め上げる。


「うわあっ、何だこれは!? ど、毒か!? は、早く、誰か僕を助けろ! 毒で殺される! 死んでしまう!」

「ほんっとうにアホボンはビビり野郎イカね~。それじゃ、撤収するイカ!」

『イーッッッ!!』

「待てっ! 貴様ら全員俺の剣の錆に……ぬわっ、ぐっ、滑って立てん!」


 イカスミを浴びてパニックに陥る王子と、粘液に足を取られて立てないガラハッドを尻目に、イカ怪人たちはその姿をくらませるのだった。

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