第28話 イストリア・エスタンテ【ニコ視点】

 暖かい。

 は、こんなこと考える暇は無かった。それよりも苦痛が私の全てを満たしていた。


「…………」


 そのまま。

 暖かい感覚のまま。通り過ぎた。


「……溶けて、ない」

「ニコ……大丈夫?」

「ええ…………?」


 溶けなかった。まさか。一度、溶けて。光泥リームスで造られた身体は、光泥リームス耐性が付くのだろうか。いや、服は溶けた。実験でも、ルミナが作りだしたものは全て溶けた。


「驚いたな」

「!」


 光泥リームスによって密閉された部屋の中。真っ白に光る部屋。頑強ガラスで囲まれた、箱。


 そにはベッドがひとつ置かれてあって。


 掛け布団を半分だけかぶり、ヘッドボードを背にして座るひとりの女性が居た。


 ルミナと同じ白い髪を編み込んでいる。ルミナより白い肌。年季の入った老獪さを彷彿させる鋭い目。病院の患者服のような、白い装束。


「よう来た。……『人間』か。この部屋へ来る人間は、久しいな」

「人間……?」


 40代くらいの人間の外見だ。少し皺が見える。インジェンと似た顔立ち。それはつまり。


「……の『光の物語ルミナス・イストリア』ね」

さといな。ではこちらも当てよう。……年の頃は14〜18辺りか。ならばお主は、『ベルニコ・ヴェルスタン』だな」

「!」


 獣人族アニマレイスは入り放題なのだ。外からどれだけでも情報は入ってくる。この問答にはあまり意味がない。

 入口で流れ落ちている光泥リームスから、ルミナが服を作ってくれる。濃紺の制服ブレザーと、赤いワンピース。


「今、外で何が起きているか知っているかしら」

「お主が来たということは、インジェンは失敗したのだろう。ならば今頃は、屋敷の者は捕まっているだろうな。残るは、我のみぞ」

「…………あなたはここから、動けないの?」

「左様。もう100年、部屋どころかベッドから一歩も出ておらん。『動く』機能は、我には再現されておらん」

「……100年? あなたは一体」

「我の性質は、『不老』。……不死ではないから死ぬぞ? だが老いぬ。まあ、この性質になった時には既にこの通り老いていたが。それからは変わらん。……端的に言えば、イストリアという宗教の御神体だな」

「………………宗教」


 屋敷の構造が変だと思った。

 これは、宗教施設も兼ねていたんだ。


「あなた達の目的は何? 『獣人族アニマレイスによる世界征服』? それとも『光泥リームスを使ったテロによる人間の絶滅』? まさか『単なる純粋な光泥リームス化学技術の発展』? 私の目的は『社会秩序』よ。だから、クーデターもテロも止める。公女として認めない。さあ、あなた達の目的は?」


 まず目的を。

 話し合いはそれからだ。


「……インジェンが言っていただろう。好奇心は止められぬと」

「!」


 言っていたどころか。書いていて、私は何度も読み込んで。私の心に染み付いて。だからこんなところまで来たんだ。


「イストリアは光泥リームスという『無限の可能性』に惹かれた。それだけだ。倫理など持ち合わせていない。可能性の追求のみを、250年間行ってきた。今回のクーデターなどもそうだな。あれはインジェンに端を発して影響された、『創造』以降の実験体が起こした『実験』だ。時間を掛けて民の心を掴み、政権を取れるかどうかの」

「…………あなたは違うの?」

「我以降、『不老』は現れておらぬ。奇跡に近いのだ。我の役目は、『記憶する』こと。この不老体を使って、これからの全てのイストリアを記録していくこと。……『イストリア・エスタンテ』と言う」

「……本棚エスタンテ


 つまりイストリア家の研究の、全ての記録。それは彼女の生命アニマに記されていると。


「手が止まらぬのだ。我々は。気になったら。……新たなページを見付けると、捲りたくて仕方無い。常に。最前線で。……こと。それがイストリアの血」

「…………!」


 ――私はね。気になることがあったら『我慢できない』の。すぐに調べて、したい。……すっきりしないのよ。謎があると。ドロドロした泥濘ぬかるみに足を取られているみたいに。前へ進めなくなる。調べたいの。を終わらせて、へようやく進めるのよ。私は――


 最初に。ルミナに言ったことだ。私が。

 イストリアの、血。


「何故来た。ベルニコよ」

「!」

「ここへの捜索も、インジェンの阻止も。インジェンを読んでいてメッセージに気付き、解読したのなら。その考察と情報だけを当局に渡せばそれで解決しただろう。何もお主がやることなどなかった。危険を冒して、保護者を心配させてまで」

「…………それは」

「お主の目的は、『公女として』守るべき『社会秩序』ではなかったのか? 発言と行動に矛盾がある」

「……っ!」


 鋭く、視線が刺さる。この人は、インジェンとは違う。

 強い。

 彼女を納得させるだけの論理を、今私は持っていない。

 この部屋のことも、警察に任せれば良かったのだ。リームスタワーまでは良いとしても、何故イストリア家へまで来たのか。


「ねえ、エスタンテさん」

「む」

「!」


 私の口が止まった。

 次にルミナが。

 口を開いた。

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