第14話 獣人族のクーデター【ニコ視点】

 インジェン最新作『泥濘でいねいのイストリア』。


 まず私が、それを読むことになった。チルダには昨日の取り決め通り獣人族アニマレイス研究者へのコンタクトを頼んだ。ルミナには、私の部屋にある他の本を読んで貰うことにした。リヒト公国のことや、歴史のこと、光泥リームスのことだ。特に光泥リームスについては概要書も参考書も専門書も教科書も研究論文も何もかも揃っている。


「………………」


 まず。

 『この物語は創作である』という、お決まりの一文が無かった。

 これは小説ではない。


 【私の真の名前はインジェン・イストリア。暗く深い泥濘でいねいから足掻いて、這い上がってきた。私達アニマの一族が受けてきた迫害と差別の歴史と、同胞へ向けてのメッセージをここに記す】


 最初に捲ったページに。前書きでその一文だけが載せられていた。


 インジェンは、獣人族アニマレイスだった。

 そして。インジェンはイストリア家の者だった。


 そこからは、簡単だった。

 『全て』が書かれていた。彼らがどのような仕打ちを受けて生きてきたか。細かく描写されていた。

 耳や尻尾を切り落とす拷問。

 狩られて、衣服用に毛を剃られて、殺された過去。

 人間の性犯罪や娼婦が著しく減ったのは、獣人族アニマレイスが『肩代わりした』だけだという事実。


 廃棄物処理に困らない筈なのに、貧民街にはゴミが大量に溢れている現実。


 確かに、煽っている。

 彼らの怒りを。


 そして途中から、人間だけが光泥リームスを独占しているという論調になる。人間は光泥リームスを浴びただけで死に至る癖に、と。


 獣人族アニマレイスは、光泥リームスに対して耐性があるというのだ。


 昨日の、タンク襲撃テロ。人間側の光泥リームス被害は数人出た。漏れ出た光泥リームスを浴びて溶けたのだ。

 逆に、獣人族アニマレイス側の被害は無かった。つまり、だ。


 光泥リームスを『正しく』扱えるのは我々アニマの一族だ。そんな文章が所々で何度も挿し込まれている。


 これまで『インジェン』の作品を読んで『政治』を学んだならば。いつでも『民主化できる』と。『その準備はできている』と綴られていた。


 都市を、光泥リームスに沈めて。特権階級の『人間』全てを光泥リームスに溶かして。

 溶けずに生き残った我々アニマの一族こそが、これから『正しく』文明を導いていく。


 そうすべきだと。

 強く強く、ページに刻まれていた。

 曰く――

 【これまでの常識や価値観など、知らなかったたったひとつの事実で引っくり返る】。


「…………」


 これは復讐ではないと。

 正当な『政治主張』であると。


「………………コ」


 今の特権階級を降ろすだけで、人間の貧民には手を出さないと。


 扇動、していた。


「…………ニコ!」

「きゃ! わっ。……何!?」


 肩を鷲掴みにされて、揺さぶられた。驚いた私は本を滑落として、椅子からずるりと落ちた。


「大丈夫? ずっと……震えてたよ」


 ルミナが、大きな漆黒の瞳で心配そうに私の顔を覗いていた。


「…………ええ。大丈夫よ。これは、人間を洗脳する本じゃなかった。獣人族アニマレイスへ向けた、『スピーチ』ね」

「……わたし、読んで大丈夫そうかな」

「まずは、私から内容を説明させて?」

「分かった。それと」

「?」

「外……なんか騒がしくて」

「えっ」


 ちらりと見る。ここは2階。すぐ下に玄関。門が見える。

 当局から派遣されてきた警備隊が居るくらいで、特に問題は無さそうだけど。


「ベルニコ」

「お父様?」


 父が、ノックも無しに入ってきた。


「貴族街へのゲートに、大勢の獣人族アニマレイスが押し掛けてきているようだ。この地区は早くから警備を厳重にしていたから食い止められているが……他の地区では突破されていてもおかしくはない。各所と泥話でいわで連絡を取り合っているが、情報はまだ余り入ってきていないのだ」

「…………そんな」

「良いか。ここから出るなよ。……獣人族アニマレイスの君もだ。誰に何をされるか分からん。ふたりとも俺が必ず守る」

「あっ。ちょっと」


 『泥濘でいねいのイストリア』の内容を、父に話そうとしたけど。

 父もそれどころではないのだ。すぐに引き返していってしまった。

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