第30話 外れた思惑

「セルジュ殿下……どうしてこちらに」


セルジュからの強い眼差しでフェルナンは口を噤む。厳しい表情の中に無言の圧力を感じたからだ。向かいにいたクラリスを見れば、ただでさえ蒼白な顔色がさらに白く怯えた表情で震えている。


いつも柔和な微笑を崩さないセルジュが感情を削ぎ落した冷酷な視線を向けているのだから無理もない。そして彼は王族であり、絶対的な権力者なのだ。


「ずいぶんと楽しそうな話をしていたね。僕の大事な婚約者の妹に何をしようとしていたか、聞かせてくれないか?」

淡々とした問いかけは疑問ではなく命令だ。


「わ、わたくしは、ただリシャール様のために…っ!」

「僕の従弟が君にそのようなことを頼んだというのかな?そんなことはあり得ない。公爵令息への侮辱、それに冤罪も追加だね」


言葉にならない悲鳴を漏らし、絶望的な表情のクラリスを一瞥してセルジュはフェルナンへ向き直った。


「生徒会長が何やら怪しい動きをしていると、教えてくれる者がいてね。これでも王家の端くれなので囁いてくれる声はいたるところにあるのだよ」


フェルナンは呆気に取られた。それがフェルナンの立場を守るための小芝居だと気づいてはいるが、セルジュがそれを気に掛け自らこの場に出てきたことに驚いたのだ。


ひたすら怯えていたクラリスだったが、セルジュが机の上に置かれたリボンを取り上げると自分を取り戻して必死に訴える。


「殿下、どうかそれをお返しください。大切な贈り物なのです!」

「ああ、知っている。リシャールがアネット嬢に贈った大切なリボンだ」

セルジュの冷ややかな声に対して、クラリスは必死で首を振りながら否定する。


「誤解ですわ!どうかアネット様のお言葉に惑わされませんよう―」

「もういい、不快だ」


静かだが怒りに満ちた声に、一瞬室内の時が止まったようだった。こつりと床を鳴らす靴音とともに現れた姿を見て、クラリスの表情が喜色に染まったのは一瞬で、すぐにその瞳から光が失われていく。


「っ…ぁ………リシャール様…」

「名を呼ぶことを許した覚えはない」


セルジュの態度が冷ややかな氷とすれば、リシャールのそれは見る者を凍てつかせるほどの極寒だった。喘ぐように名を呼ぶクラリスに視線を合わせることなく、拒絶する。

フェルナンにはクラリスの心が壊れる音が聞こえた気がした。


「セルジュ、エイダンを借りるぞ。俺はに触れたくない」

セルジュの許可を取り呼び寄せたのは、本来控え室にいるはずだった騎士だろう。


形式上、丁重な態度で放心状態のクラリスを連れて行くが、油断ない様子で監視をしていた。

このまま伯爵家に送り届けられ、彼女の起こした顛末についてカディオ家はそれなりの責任と対価を負うことになる。

ほんの僅かに同情めいた気持ちが湧いたが、それだけのことを彼女はしたのだ。


「シアマ会長、ご苦労だった」


セルジュはいつもの静かな微笑みと柔らかな声音に戻っていた。ほっと息を漏らしたことでフェルナンは自分が無意識に息を詰めていたことに気づく。それはクラリスの危うさに触れただけではなく、王族の威圧感に気圧されていたことが要因だろう。


(畏怖の気持ちは忘れてはならないが、必要以上に呑まれてはならない)

フェルナンはそんな自分を奮い立たせるようにセルジュに話しかけた。


「いえ、お役に立てたなら何よりです。ですが、殿下が現れた時には正直ひやりとしました。貴方様を危険に晒してしまったら、どう責任を取っていいか分かりませんから」


「それは悪かったね。リシャールもいたし、僕もそれなりに訓練を積んでいるから心配しなくていいよ。…彼女が僕に危害を加えようとしたなら、それはそれで簡単だったしね」


少しだけ先ほどの冷やかさを纏わせたセルジュだったが、リシャールから頭を小突かれればすぐさま霧散した。


「もう行くぞ。クロエ嬢とアネット嬢が待っている」

もう用はないとばかりに去ろうとする二人にフェルナンは気になっていたことを尋ねた。


「どうして、あのように俺を庇ってくれたのですか?」


セルジュの言葉がなければ、クラリスはフェルナンが自分を裏切って場を設けたのだと気づいただろう。逆恨みをされる可能性もあったが、クラリスは罰を受けるだろうし、それくらいのリスクなら許容範囲内だと思っていた。


幸いフェルナンが恨みを買うことは免れたが、それがセルジュに向けられたなら正直困る。リスクを負ってこそ得られる対価は大きい。

せっかくアネットを助ける名目で王族に恩を売る機会だったのに、断罪したのも証人もセルジュなのだからほぼ自力で解決したようなもので、フェルナンは場を提供したに過ぎない存在となってしまった。


「君に借りを作らないほうがいいと助言してくれた人がいるからね」


ふわりと浮かべた笑みは悪戯めいていて、フェルナンは根拠もなくそれが誰だか確信した。

一人取り残されたフェルナンはソファーにどさりと身を投げ出した。


「……やられたな。まったく、骨折り損だが予想外で面白い。どうしたものか…」

好感を上げるどころか警戒されてしまったようだ。その慎重さとそれでもしっかりと利用する強かさに自然と口の端が上がる。


しばらくしてやって来た副会長のエリンに締まりのない顔を注意されたが、フェルナンは気にならなかった。

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