第3話 公爵家

 君のことが好きだと言われて、平静でいられる女の子なんているのだろうか。しかもそれが凛々しく優しそうな年頃の青年に言われたとしたら。けれど、相手は私とは別世界に住む貴族である。私は庶民、オリバーは公爵家の嫡男。二人が一緒になることなんてありえない。そんなこと小さな子供でもわかることだ。だから、間違ってもオリバーと付き合おうなんて考えてはいけない。もしお付き合いしたとしても、二人が幸せになる道など絶対にないのだから。

 オリバーの屋敷に招かれた日の午前10時、この場には不釣り合いな馬車が私の家の前に止められた。案の定、近所の人たちが何事かと家の前を取り囲む中、私はオリバーに手を取られ、荘厳な馬車へと乗り込む。私が緊張でコチコチになってしまっているのを他所に、馬車はゆっくりと動き出し、ウィンリー公爵家の屋敷へと向かった。

「ねえ、本当に妹のサラさんに会いにいくだけなんだよね」

「うん。でもせっかくだから、僕の母親にも会ってもらいたいなとも思っている」

「お母様に?」

 そんな話は聞いていなかった。けれど、家に招かれているのだから、仮にそこで母親と対面するにしても、別におかしなことではない。ただ、相手は公爵夫人だ。わずかでも失礼なことがあれば、何か大変なことになってしまうのでは。そんなことを心配していると、今すぐこの馬車から飛び降りて、逃げ出したい気持ちになる。

「さあ、ついたよ」

 オリバーの言葉とともに馬車が屋敷の門前で止まり、サッと出てきた使用人らしき男性が外から扉を開けた。

「お帰りなさい、オリバー様」

 男性はそう言うと、私の方へと顔を向けた。視線を私の顔から少し外している。きっとジロジロと見ることが失礼に当たるので目を合わせないのだろう。細かいところまで作法が行き届いている証拠だ。

「ようこそいらっしゃいました。シャルロッテ様」

 使用人が私の名前を知っていた。ということは、事前にオリバーが私の来訪を知らせているということだ。私は、何かのついでにちょっと妹さんに会いにいく位の気持ちでいたので、使用人の仰々しい態度にびっくりしてしまった。

 馬車を降りた私たちは、石で組まれた屋敷の門をくぐり、建物へと足を踏み入れると、オリバーと並び一緒に廊下を歩いた。

 会う人会う人、みな脇に避けて私たちの進路を邪魔しないようにしながら、丁寧な挨拶の言葉を述べてきた。

 オリバーはそんな中を当たり前のように歩いていく。

 いくつもあるドアを通り過ぎると、やがて奥まった場所のひときわ上品そうな部屋の前で彼は足を止めた。ドアをノックすると、すぐさま扉が勢いよく開き、中から私よりも若い女の子が姿を見せた。愛くるしく利発そうな目をした女の子だ。どことなくオリバーの面影がある。

「お兄様、お帰りなさい!」

 そう言って、女の子が私を見る。

「この方が、シャルロッテさん」

「そうだよ、私たちの命の恩人、シャルロッテだ」

「はじめまして、私は妹のサラです」

 サラは人懐っこい笑顔で私に近づいてきた。

「お姉さんありがとう。お姉さんのおかげでこうして元気になれました。びっくりすると思いますが、私は最近までベッドから起き上がれない状態だったのですよ」

「それはよかったわ。治癒の実が効いたのね。でも、危険を承知であの実を取りに行ったのはお兄様よ。私は少し、そのお手伝いをしただけ。だから私ではなくお兄様に感謝してね」

「いえ、兄から詳しい話を効いています。魔物に命を取られそうになっている兄を魔法で救ってくれたことや、肩車して治癒の実を取ってくれたことも」

「肩車のことも話したの?」

 私はあの時のことを思い出すと、血液が逆流してしまう。今の私はきっと顔が真っ赤になっていることだろう。

「オリバー、そんなことまで話したの?」

「う、うん、ごめん。サラが何度も色々なことを聞いてくるもんだから、つい……」

「それと、お姉さんは妖精とお話ができるって聞いたけど本当なの?」

「ええ」

「すごいわ! なにかの本で読んだことがある。妖精が見える人は、神のご加護を受けた人だって。お姉さんは選ばれた人なのね」

「そんなことない」

 私は即座に否定した。

「妖精と話すことはできるけど、その姿は見えないの。だから私の能力は中途半端なものなのよ。決して神のご加護など受けてないと思うわ」

 そう話しながら私は思った。サラは、公爵家の娘だからさぞかし気位の高い女の子なんだろうと思ったが、実際に会って話すとどこにでもいる普通の子だ。屈託のないサラの笑顔を見ていると、私が貴族というものをどこか誤解して見ていたのではという思いが湧いてきた。

「お兄様の言う通り、シャルロッテお姉さんはとても魅力的なお方ね。私、お姉さんが本当のお姉様になっていただけたらとても素敵なことだと思うわ」

 こんなことを言うなんて……、どういうことだろう。

 もしかして、オリバーは私に結婚を前提に付き合いたいと言ったことを妹にも話しているのだろうか。そう疑ったが、隣りにいるオリバーのうろたえる表情を見て、そんな話はしていないようにも思えた。もしかして私のことを話す兄の様子から、サラはうすうす何かを感じ取り、こんなことを話しているのでは。

「ねえ、お兄様、お兄様もそう思うでしょ。シャルロッテお姉さんが、家族の一員になってくれたらとても素敵なことだと思わない?」

「そうなるともちろん嬉しいよ」

 オリバーは妹の言葉を否定することなく頷いた。

「サラには隠し事なんてできないね。昔から鋭いところがあるからな。僕がシャルロッテのことを意識している気持ちなんて、簡単に見抜かれてしまっているんだね」

「それはそうよ。ずっと一緒にいるお兄様だから。何を考えているかなんてすぐに分かるわよ」

「サラには敵わないな」

 オリバーは苦笑いをしながら続ける。

「でもサラ、話はこれくらいにしよう。今からシャルロッテをお母さんに紹介しようと思っているんだ」

「そうなのね、お母様もきっとお姉さんのことを気に入ると思うわ」

 二人の会話に、ちょっと違和感を覚えた。オリバーの言葉は、まるでこれから恋人を母に紹介しようとしているようにも聞こえたからだ。それにサラも、兄を後押ししているようにも思える。けれど、まさかと思い直した。私が意識しすぎているだけで、実際は母親と軽くご挨拶するだけですむに違いないはずだ。そう自分に言い聞かせた。

 サラの部屋を後にした私は、オリバーに案内され、別の部屋へと入っていく。そこは、中央に光沢のある木目の美しいテーブルが置かれてある部屋で、ぐるりと見渡すと品の良い調度品や絵画が飾られている。

 部屋には使用人がおり、椅子をさっと引いてきた。私がぽかんと立っていると、「どうぞおかけください」と言われ、慌ててその椅子に腰掛けた。

「モイラ様をお呼びしてまいります」

 使用人はそう話すと、さっと歩き出し部屋から出ていった。

 おそらくモイラという人が、オリバーの母親なんだろう。どんな人なのだろうか。サラのように話しやすい人ならいいのに。

 そんなことを考えていると、やがてドアが開き、一人の婦人が姿を見せた。

 床まで付きそうな長いスカートに、ひと目で上質だと分かる織物とレースでできたブラウスを身に付けていた。

 どうしていいか分からず、とりあえず挨拶をと思った私は、あわてて椅子から立ち上がった。

「はじめまして、モイラ様」

 私は緊張しながら頭を下げた。

「はじめまして、確か、シャルロッテさんね」

 モイラはにこやかな顔をしていたが、その表情にどことなくだが違和感を感じた。というのも、何か心から私を歓迎していない態度が見て取れたからだ。

「さあ、そこに座って皆でお茶でも飲みましょう」

 モイラが長テーブルの奥に座り、その対角線上に私とオリバーが並んで座った。使用人が、白地に金色と青の神々しい模様が描かれたティーカップに紅茶を注いだ。

 モイラが口をつけるのを確認して、私も一口飲んでみる。

 まず温かい蒸気とともに上品な香りが漂い、口に含んだ液体はやわらかな甘さと僅かな苦味を含んでいる。私が普段飲んでいる紅茶とは全く異質のものだと感じた。きっと驚くほど高級なものなのだろう。

「お母さん、シャルロッテは僕と妹の命の恩人なんだ。魔法の心得もあって、妖精とも話ができるんだ」

「オリバーのお話を聞いていると、あなたはかなりその娘さんにお熱なようね」

「やはり、お母さんにも分かってしまいましたか」

 オリバーは私の顔に視線を向けてきた。

「実はお母さん、僕はシャルロッテのことを心底好きになってしまっているのです。結婚を前提にお付き合いしたいと考えています」

 オリバーから出てきた言葉を隣で聞いていた私は、あまりに急なことで驚きを通り越してしまい、思考が完全に止まってしまった。

 私はあくまで妹のサラと会いに来ただけなのだ。オリバーもそれだけだというので、特に何も考えず場違いなウィンリー公爵家の屋敷に赴いたのだ。

 それが、母親の前で結婚を前提にお付き合いしたいなんて話が出てくるなんて。

「お母さん、僕とシャルロッテがお付き合いすることを認めてもらえませんか?」

 モイラは、じっとオリバーの話を聞いていたが、やがて小さくため息をつくとこう話し始めた。

「失礼ですがシャルロッテさん、あなたはどこのご出身ですか?」

「……出身?」

「そう、あなたの家柄のことを聞いているの」

 モイラの言葉を聞くと、すぐさまオリバーが口を挟んできた。

「お母さん、家柄なんか関係ないだろ!」

「いいえ、とても大切なことよ。ウィンリー公爵家の嫡男であるあなたが、どこの生まれかもわからない平民の女性とお付き合いするなど許されないことなの。しかも、結婚を前提だなんて、ありえないことです」

「お母さん、そんな古いことを言っていては駄目なんだよ。今までだって、身分差を乗り越えて結婚している例はあるだろ。時代は変わってきているんだ」

「いいえ、時代は変わってはいません。あなたはまだ世間というものを知らないのです。平民と結婚した貴族のことを、みんながどんな目で見ているのかよく知らないだけです」

 私は二人のやり取りを、ただぼう然と聞いているしかなかった。何か自分のことではなく、別の人のことで二人は言い争っているようにも思えた。ここから逃げ出したい気持ちが勝り、二人の会話が他人事のようにも聞こえてくる。

「ですから、シャルロッテさん、申し訳ありませんがオリバーのことは金輪際きっぱりとあきらめてください」

「あきらめるだなんて……、もともと私から言い出したことではありません」

 なんとかそう声を絞り出したが、その声は震えてしまっていた。

「お母さん、シャルロッテの言う通りなんだ。お付き合いを申し込んだのは僕の方で、シャルロッテから言い出したことではないんだ」

「でも、オリバーをそんな気持ちにさせたのは、シャルロッテさんの誘惑があったからではないのですか」

「そんなことない!」

 オリバーは声を上げた。

「オリバー、あなたはこの子をかばうけれど、大事なことを忘れてはいませんか」

 そう言うとモイラは、私に視線を向けた。

「オリバーにはすでに婚約者がいるのよ。カザスキー公爵家令嬢パトリシアという許嫁がいることを忘れていないわよね」

「……」

 オリバーに婚約者がいる?

 私は混乱し、暗い靄が頭の中でぐるぐる周りだし、めまいと吐き気を催しそうになってしまった。

 オリバーは婚約者がいる身で、私に交際を申し込んだというのか。そんなことをするなんて、私に対しても、その許嫁に対しても失礼なことではないか。オリバーとはそんな人物だったのか……。

 そう考えていたとき、モイラが驚くことを話し始めた。

「あ、そうそう、今日は婚約者のパトリシアにもこちらへ来てもらっているの。もうそろそろ、この部屋に来るころだと思うわ」

「パトリシアが来ているだって!」

 母親の言葉をきいたオリバーが、青ざめた顔で声をあげた。

「どうしてそんなことをするの?」

「どうしてって、婚約者がいつ来ても別におかしいことではないでしょ。それに、最近あなたが平民の女性にご執心なことを聞きつけて、心配になって様子をうかがいにきたのだと思いますよ」

 モイラの言葉が終わった直後、部屋のドアがノックされた。まるで測ったようなタイミングだ。

「どうぞ」

 モイラの声とともにドアが開いた。

「こんにちは、お母様」

 そう言って入ってきたのは、私よりやや若い女性だった。赤と白のまぶしいドレスを着こなし、金色の髪を上品な髪留めで束ねている。しっかりと化粧された顔は、目鼻立ちがくっきりと整っており、美人の部類に属する女性である。

 間違いないだろう。この女性がオリバーの婚約者であるパトリシアなのだろう。

 でも、なぜ、こんなことまでして、モイラは私に婚約者と会わせる必要があるのだろうか。私はもともとお付き合いの申し出を断っているのだ。身分差のあるオリバーと付き合っても、幸せになれるはずなどないのだから。

「まあ、オリバー、お元気そうで」

 パトリシアはオリバーに挨拶をすませると、チラリと私の顔を見た。そしてこう言ったのだった。

「この人が、オリバーの周りをうろついている魔法使いなの?」

 周りをうろついているだなんて……。

「ご存知かもしれませんが、オリバーは公爵家の嫡男ですよ。あなたのような一般の魔法使いが、近づけるような人ではないのよ」

「別に、私の方から近づいたのではありません」

 一方的なパトリシアの言葉に怒りが込み上げてきたが、何とか冷静さを装って言った。

「今日、ここに来たのも、オリバーの妹に会ってほしいと頼まれたからです。私から言い出した話ではありません」

「まあ、変な魔法で妹のサラまで取り込んでいるのですね。恐ろしい魔法使いだこと」

 パトリシアはここぞとばかり声を張り上げた。

「オリバーの目はごまかせても、私にはわかりますわ。この魔女は、ウィンリー公爵家を乗っ取ろうとしているのです!」

「そんな!」

 私は、パトリシアのあまりの言いように絶句した。平民の私を蔑んでいるばかりでなく「魔法使い」そのものを危険な存在として除外したいのだ。

 確かに魔法使いの中には、良からぬことを考える者もいる。しかしそういった連中は、常識ある上級魔法使いたちで結成されている「魔法使い連盟」で厳しく罰せられるため、人に危害を加えるような魔法使いはほぼ皆無な状態なのである。しかし、世の中には、今でも自分たちとは異質の力を持つ魔法使いのことを意味なく排除しようとする人たちがいる。パトリシアもその部類の貴族なのだろう。

「シャルロッテは僕とサラを助けてくれた女性だ。その彼女に対してこんな失礼なことを言うなんて、あんまりじゃないか!」

 パトリシアの声に合わせてオリバーも普段より大きな声を上げた。

 しばらく様子をうかがっていた母親のモイラが口を開いた。

「オリバー、パトリシアの言う通りよ。平民でしかも魔法使いでもある女に近づくなんてもってのほかです。目を覚ましなさい。あなたは利用されているのよ」

 何なのだろう、この言い様は。

 貴族の中でも圧倒的な力を持つこの人たちは、他人の痛みなど感じられない人間になってしまっているのだろうか。こんなことを言われて、私がどんな気持ちになるかなど、この人たちにはどうでもいいことなのだろうか。

 この場から、一時でも早く離れたい。

 そう思った私は、最後に一言ぐらい言ってやろうと思い、椅子から立ち上がった。

「こんな最低な気持ちになったのは久しぶりですわ。なので、あなた達と関わるつもりはこれからも一切ありません。お会いすることも今日が最後になるでしょう。では、失礼します」

 そう捨て台詞を述べた私は、一人で部屋を出ようとドアに向かった。

「シャルロッテ、待ってくれ!」

 慌てて席を立ち上がったオリバーが私の手を取った。

「オリバー、もう帰ります。少しでも早くここから遠ざかりたいの」

「わかった。こんなことになって申し訳なかった。せめて家まで送っていくよ」

「いいえ、結構です。一人で歩いて帰れますので」

「いや、送らせてくれ」

 私とのやり取りを聞いていたモイラが口を挟んだ。

「オリバー、送る必要などありません。もうこの女と関わりを持つことは禁止します。もし破るというのなら、あなたを勘当します」

 なんということ。勘当の言葉をちらつかせてまで、私との関係を絶とうとしているなんて。

 私は無言でドアを開け部屋から出ると、真っ直ぐな廊下を早足で歩き始めた。

「待ってくれ、送っていくよ」

 後ろからオリバーが追いかけてきた。

「大丈夫。一人で帰れるので。それに私とこれ以上関わったら、勘当されるわよ」

「別に勘当されても構わない。だから送らせてもらうよ」

 正直、オリバーが送ってくれるなんて、迷惑この上ないことだった。私はもう彼と関わるのはまっぴらごめんだったからだ。

「婚約者がいる人に送ってもらうなんて、こちらも迷惑なのよ」

「シャルロッテ、それは誤解だよ。婚約者のこともちゃんと説明させてほしい。だから僕の話を聞いてくれないか」

 オリバーの問いには答えず、私は屋敷の門をくぐり歩いて自宅へと向かった。オリバーは後ろからついてくる。どうせすぐに家に戻っていくだろうと思っていたが、オリバーは結局私の家まで付いてきてしまったのだった。

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