公爵家嫡男とパン屋さんをはじめました

銀野きりん

第1話 出会い

 不安な気持ちが、夜の帳のように広がっていた。

 というのも、魔法高等学校の卒業がすぐそこだというのに、私の進路がまだ決まってなかったからだ。これからどうやって生きていけばいいのか、全く見通しが立たない。魔法学校の学生だと言っても、その力は中途半端、魔法で生きていけるだけの実力はない。かといって、魔法以外で何か特技があるわけでもない。多くの同級生が進むべき道を決めてしまっている中、私一人が置いてきぼりにされている。

 まあ、難しく考えたって仕方がないわ。

 私は、心の重りを振り払うようにして、魔の森へと向かって歩いていた。

 魔の森は、魔物の巣窟でもあり、危険な場所とされているが、私にとっては癒やしの場でもある。なぜなら、魔の森には魔物だけではなく、妖精もたくさんいるからだ。

 魔法力は冴えないものだが、私には一つだけ特技と呼べるものがあった。それは妖精と会話できる力。私はほとんどの人には持ち得ない力を持っていたのだ。けれどその力にしても、結局は中途半端なものなのだけれども。というのも、私は妖精を見ることができない。できることといえば、会話することだけ。けれど、上級魔法使いの中には、妖精と会話するだけでなく、その姿をしっかりと見取る能力を持つ人もいる。その人たちに比べたら、私の力なんて誇れるものではない。

 でも、そんなことはどうでもよかった。

 実際、妖精と話をすると、心が浄化されるようにすっとした気持ちになれるのだ。何か悩み事があるときでも、妖精と話をするだけで、前向きな明るい気持ちが沸き上がってくるのだ。

 なので私は、少しでも嫌なこと不安なことがあると、こうして魔の森に向かい、妖精たちと話をするようにしている。

 ただ、一つだけ注意することがある。

 魔の森には妖精以外にも凶暴な魔物が住んでいる。人を襲い、その生命を奪ってしまう魔物もたくさんいる。なので私は、決して森の奥には入らないように注意している。決して奥には入らず、せいぜい森の入口で立ち止まり妖精とお話するだけ。それが私の決め事であり、今までもそのルールをちゃんと守ってきたおかげで、魔の森で危険な目にあったことは一度もない。

 緩やかにカーブする道を進むと、風にのって緑色の繊細な匂いが漂ってきた。雲の隙間からキラキラと反射した粒子が舞い降りてくる。

 もうすぐ魔の森に着くわ。

 重い気持ちを振り払うように足を前に進めるが、それで将来への不安が拭い去られるわけではない。やはり、森に入り、妖精と会話しないとこの気持はどうにもならないのだろう。森に近づくにつれ私の足は早まり、ついには細いあぜ道へと辿り着いた。

 目の前には暗く鬱蒼と生い茂る木々が出迎えてくれている。ここだけ周囲より温度が低く感じられる。

 吸い込まれてしまいそうな神秘的な森、でも決して奥に入ってはいけない。私はそう強く自分に言い聞かせながら森の入口からほんの僅か中へと入った湿地で立ち止まった。

 しばらくここでじっと立ちながら、耳をすませている時だった。

「こんにちは、シャルロッテ」

 聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。

「こんにちは、妖精さん」

 妖精たちには名前がない。なので私はいつも『妖精さん』と呼ぶようにしている。

「浮かない声だけど、何か悩み事でもあるのかい?」

「ええ、その通り」

「どんな悩み?」

「私、もう十八歳よ。成人しているし、もうすぐ魔法学校を卒業するんだけど、この後のことが何も決まってないのよ」

「つまり、仕事が見つからないってこと?」

「そう」

「ふーん、ゆっくりできるじゃないか」

「ゆっくりなんてできないわよ。私だけ世の中から取り残されている気分だわ」

「そうなんだ。人間って大変だね」

「そうよ、大変なのよ」

 そんな他愛もない会話を楽しんでいると、それだけでなんだか心の中がスッと晴れ渡ってくる。

 すごいわ、やっぱり妖精と話すだけで、なぜか気持ちが楽になっていく。そう私が感心している時だった。どうやら別の妖精が現れたようだった。今までの妖精とは明らかに違う声の様子だった。

「シャルロッテ、大変だ」

 かなり慌てている調子だった。

「どうしたの?」

「人間が……、この先の道で、男の人が倒れているんだ」

「ええ?」

 私はとっさにこう思った。この先の道でということは、魔の森の奥へ足を進めてしまったということね。でもどうかしているわ。道の奥に進むなんて、魔物に襲ってくださいとこちらから言っているものじゃない。

 男性に多いのだが、自分の力を過信している人が、時々いるのだ。そうして命を落としてしまう人も多いと聞いている。

「その男の人、亡くなってしまっているの?」

「いや、まだ生きているよ。でも、このままだと……」

「そうなのね。でも残念だけど、私ではどうにもできないわ。私の力では魔物の中に飛び込んでいくことなどできないから。それにこうなったのも、安易に奥に足を踏み入れたその人が悪いのよ」

「そうだよね。どうもその人、治癒の実を取ろうとしていたみたいだよ。そんな簡単に取れるものではないのにね。自業自得だよ」

 治癒の実、それは病気の人を回復させることができる魔法の木の実で、魔の森でしか取ることができないものだ。

 ということは、その男の人は、誰か病気の人を助けようとして、こんな森の中へと入ったのだろうか。そうだとしたら、そのような理由で森に入っていったのなら、同情する余地はある。なんとか助けてあげたい気持ちも湧いてきた。でも、私に何ができるというの。私の力なんて、回復系の魔力が少しあるくらいで攻撃系は全く使えない、中途半端な魔法使いだし。

「妖精さん、今、魔物はその男の人の近くにいるの?」

 一応聞いてみた。

「今はいないよ」

「だったら」

 私は思い切って言葉を続けた。

「私をその男の人のところまで誘導してくれる。今なら助けることができるかも」

 ほとんど無意識に私はそんな言葉をはいてしまっていた。癖なのだが、実は私は何も考えずに勘だけで動くところがよくある。自分ではこれを『野生の勘』と名付けており、このカンの通りに行動すると、偶然かもしれないがなぜか物事が上手く回る時があるのだ。今回も、なんとなくだがそんな気がした。今ならその男の人を助けられるような気がしたのだ。

「わかったよシャルロッテ、じゃあ、そのまま真っすぐに進んでいって」

 私は妖精の声に従い足を前に進め、魔の森の中へと入っていった。

 鬱蒼と茂る木の葉が明るい太陽の光を遮断し、まるで夕暮れのような空気の中を、私は恐る恐る歩いていく。結構奥まで進んでしまい、やっぱり引き返したほうがいいのではと考えている時に妖精の声が聞こえてきた。

「もうすぐだよ。そこを右に曲がったところに男の人が倒れているから」

 言われるがまま、右に曲がりわき道へと入る。木の枝が目の高さまで垂れ下がっており、太い幹には裂け目があり、そこからまるで黒い血があふれ出しているようにも見える。

「ほら、目の前にいるよ」

 木と草の間から、うっすらと何かが現れ見えている。

 あれは!

 深緑の隙間に、その場にはそぐわない光沢を放った白いものが見えた。その白いもの、それは襟のついたシルクのようなつややかな上着で、その服をまとった男性が細い草の生い茂る間に倒れていた。

「大丈夫ですか」

 私は倒れている男性に駆け寄った。

 私よりもずっと背の高い男の人で、年の頃は同じくらいだろうか。栗色の髪の毛が若さを象徴するように輝いている。

「しっかりしてください」

 男性はなんとか息があるものの、目はつぶり意識を失っている様子だ。

 もしかして。

 私は急に不安になった。もしかして魔物は、別の人間をおびき寄せるために、この男の人をわざと殺さずおとりにしているのではないのだろうか。私はまんまとおびき寄せられ、この場で魔物の餌となる運命ではないのか。

 けれど、ここまできたのだから、もう引き返すことなどできはしない。やるだけのことをしてみるしかない。

 そう思った私は、倒れている男の人の手をそっと握った。指は細長く、器用そうな手だった。

 いくら気を失っているとはいえ、年頃の男の人の手を握ると、ゾクッとした。

 さあ、回復魔法をかけなくては。

 両手で包みこむように男性の右手を持ち、意識を手のひらに集中させる。体全体が熱くなると、やがて私の手は仄かな光に包まれ、その粒子が男性の手を伝い、相手の身体へと流れていった。

 お願い、意識を取り戻して。

 そう思うが、なかなか男性の目が開くことはない。そうしている間にも、おとりにかかった私の元へ魔物がやってくるのではという不安がつきまとう。

「ねえ、妖精さん、魔物は近づいていない?」

 私は回復魔法をかけながら聞いてみた。

「うん、来ているよ」

 妖精は私の不安とは裏腹に、のん気そうに答える。

「来ているの!」

 もう駄目だ、やはり私は魔物のえさになってしまう運命だったのだ。そう観念している時、妖精が思いもよらないことを言ってきた。

「シャルロッテ、安心して」

「安心?」

「うん、魔物は僕たちの力でこれ以上近寄らせないようにしているから」

「近寄らせないようにしている? 妖精さん、そんなことできるの?」

「うん、今回の魔物くらいなら大丈夫だよ。でも、僕たちの力の及ばない魔物もいるので、あんまりのんびりともしていられないけどね」

「わかったわ、ありがとう」

 妖精がそんな力を持っているなんてつゆとも知らなかったけれど、とりあえず急ぐ必要はありそうだ。

 私は自分の両手に意識を集中し、回復魔法を掛け続けた。

 さあ、意識を取り戻して、お願い!

 包んでいる両手の中で何かが動いた。男性の人差し指が震えるように小刻みに動いている。そのまま私から放出される気の粒子を流し続けていると、指だけだった動きが手全体に伝わり、その繊細そうな五本指が動きだし、私の手を握り返してきた。

「わっ!」

 相手の手の動きに驚き、私は思わず、包み込んでいた両手を離した。その時点で回復魔法は中断されたが、もう一度術をかけ直す必要はなさそうだった。

「うっ」

 男性の口から声がもれ、やがてゆっくりと閉じられていた目を開けたのだった。

「ここは……」

「ここは、魔の森です。あなたはここで倒れていたのです」

 私は男性を見ながら恐る恐るそう話した。男性の目がこちらに向けられた時、ドキッとしてしまった。その目は、知性と感性を併せ持った優しい紺碧の光を宿していたからだった。白色の上着の胸にはどこかの家紋が刺繍されている。由緒ある家の生まれの証だ。

「魔の森……。ああ、そうか、僕はここで魔物に襲われてしまったんだ」

 男性は上体を起こしながら私に聞く。

「きみは、もしかして、僕を助けてくれたのかい? 意識を取り戻すとき、君の魔力を感じることができたけれど」

「はい、あなたに回復魔法をかけました。ですが、まだ助けきったわけではありません。ここから無事に脱出しなければなりませんわ」

 私は、男性と一緒にこの場から立ち上がって空を見上げた。

「ねえ、妖精さん、もう少しだけ力を貸してちょうだい。私とこの人を、森から外に出るまで守ってほしいの」

「分かっているよシャルロッテ。僕たちは君のことが大好きなんだから、ちゃんと君を守ってみせるよ」

「ありがとう」

 そう会話していると、隣りにいる男性が目を丸くしてたずねてきた。

「きみは、もしかして、妖精と話ができるのかい?」

「ええ。話だけですが」

「すごい力を持っているんだね」

「すごいと言っても、世の中ではあまり役に立たない能力です。さあ、そんなことより、今は森から出ることだけを考えましょう」

「うん、ただ、ちょっと待ってくれ」

 男性はそう言うと、一本の木に指を向けた。

「あの木になる実を取って帰りたいんだ。あれは治癒の実なんだ。どうしてもあれを取って帰りたいんだけど、僕一人では届かない。協力してくれないか?」

 私は男性が手を伸ばしても届かない高さにある実を見ながら聞いた。

「協力? どうするの?」

「僕が君を肩車するので、取ってくれないかい?」

「ええ? 肩車?」

 私は自分の足の間に男性の頭が入る姿を想像し絶句した。

「そ、そんなこと、できないわ」

「初めて会った君にこんなことをお願いするのはどうかしていることくらいよく分かっている。けれど、どうしてもあの治癒の実が必要なんだ」

「どうして? 誰かの病気を治すため?」

「うん、妹が病気なんだ。原因不明の病気で、ずっと寝込んだままなんだが、もしかしたら治癒の実で治すことができるかもしれないんで……」

 妹さんが病気。

「わかったわ、協力する」

 そう決めたのは、またもや野生の勘が働いたからだ。この人はきっと悪い人ではない。真面目そうな目を見ていると、妹を助けたいと言っていることに嘘はないと思えた。

「さあ、時間がないわ。私を肩車してちょうだい」

 ズボンを履いていて良かったと思いながら私は足を開いた。男性がかがむと、「申し訳ない」と言い、私を担ぎ上げた。肩の上に座った私は、木の実へと手を伸ばした。

「もう少し、もう少し高くできない?」

 指にかかりそうな実を前にしながら私は手を伸ばす。

 もう少し、もう少しでつかむことができるわ。

 腕が高く上がるように、身体を傾け、指先がなにかに触れた時だった。私はバランスを崩し、「わっ」と声をあげながら、男性ともども地面に崩れ落ちてしまった。

「ごめん、大丈夫かい」

 すぐさま男性が倒れている私をのぞき込んできた。

 幸い、地面には柔らかい草が生い茂っており、それがクッションとなり私は無傷でいられた。

「大丈夫です」

 そう答えた私の腕を男性はそっとつかみ、私を立ち上がらせた。そして私は、まっすぐに右腕を伸ばし、向かい合っている男性に対して、自分が握っているものを開いて見せた。

「こ、これは!」

「探しものは、これよね」

 私は得意げに手のひらの上にある治癒の実を、男性に渡した。

「ありがとう」

 その実をじっと見つめながら、男性はほっとしたような顔を見せている。きっと妹の元気になる姿を思い浮かべているのだろう。そう考えるとこの男性の優しさがよく分かる。

「さあ、魔物が来ないうちに行きましょう」

 私たちは魔物に注意しながら足音を忍ばせ、来た道を歩いていった。途中、何度も迷いそうになったが、ありがたいことに妖精たちがしっかりと道案内をしてくれたおかげで、無事に出口へとたどり着くことができた。

「ありがとう、妖精さん。あなたたちが守ってくれたおかげでここまで来られたわ」

「どういたしましてシャルロッテ。僕たちは君のことが大好きなんだよ。だから役に立ててうれしいよ」

 私を嬉しくさせるようなことを妖精は話してくれる。このままずっと妖精と話していたい気分にもなったがそうしてばかりもいられない。男性は私の回復魔法を受けているとはいえ、まだ万全ではないことに間違いはない。早く家に戻って、ちゃんとした医者に見てもらう必要がある。

「家はどこですか? 誰かに助けを求めましょうか? このまま一人では帰れないですよね」

 私の言葉に男性は首を横に振った。

「いや、君の魔法のおかげで、家までなら一人で帰れそうだよ。いろいろありがとう。君には何とお礼を言っていいのかわからないよ」

「お礼の言葉などいりません。それより早く帰って身体を休めてください」

「うん、そうさせてもらうよ」

 男性はそう言いながら右手を前に差し出してきた。

「僕の名前はオリバー。君の名前は?」

 私は差し出された相手の右手のひらに、自分の右手をそっと合わせた。

「私の名前はシャルロッテ」

「シャルロッテか、素敵な名前だね」

 オリバーはそう言うと、握手していた右手を離し、ゆっくりと森から町に伸びる道を歩き始めた。しばらくそんな彼の後ろ姿を眺めていたが、やがて私は自分の家に帰るため別の方向に伸びるあぜ道を歩き出したのだった。

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