第35話「魔女と踊る伯爵」

 祭壇の上で立ち上がる伯爵。彼は元々背が高いので、こんな地下室でそんなことをすると天井に頭がついてしまいそうだ。

 賢くないとはいえ礼節は十分わきまえているつもりのマリスからすると、ああいう作業台の上に立つというのはどうしても抵抗がある。一般的な社会であんなことをしたら、絶対に師匠や先生、あるいは上司に叱られるだろう。そういうことを恐れない、無敵の人しかやらない蛮行だ。


「あ、なんか急にこう、胸がむかむかしてきました。吐きそうで吐けない気持ち悪い感じといいますか……」


 ルシオラが青白い顔で口元を押さえる。貴族令嬢が吐くとか言っていいのだろうか。


「空気悪いしねここ。どうする? 外出る? それとも天井に穴あけよっか?」


「穴あけるの? あたしの出番かな? 剣いっぱいあるし。で、どこ掘るの?」


 穴を掘るのに剣を使うのだとしても、シィラの腕は二本しかない。剣が何本あっても意味はない。

 それ以前に掘りたいのは天井だ。超身体能力以外はただの人間にすぎないシィラに天井に穴を掘るなんてことができるのだろうか。ギリギリできてしまいそうな気もするが。


「いえ……おそらくですが、どちらも無理でしょう。それに、空気を入れ替えたところで根本的な解決にはなりません。

 ……御覧ください。彼を」


 ルシオラに促され、祭壇に立つ伯爵を見やる。

 伯爵は祭壇の上で、何かをブツブツ呟きながら妙な踊りを踊っていた。


「うわ」


 隣のシィラの呟きが聞こえた。うわ、て。


「……あの妙な踊り……マリス様のマネですかね」


 狭い人質部屋から顔だけを出したノーラがそう零す。マリスの踊りとは伯爵にポータルについて説明していたときのあれだろうか。傍から見るとあんな動きをしていたのか。もう二度と身振り手振りで説明はしない、とマリスは硬く誓った。


「えっと、伯爵がカッコいい踊りを踊っているから空気を入れ替えても意味ない、ってこと? どういう意味なのそれ」


「いや別に踊りは全然カッコよくありませんけれど。でも、良くないことが起こります。きっと」


 踊りと空気の淀みに一体何の関連性があるのか、と考えていると、不意にその「淀み」をマリスの感知能力が捉えた。

 いや、淀みというより、これは。


「……法素濃度が上がっている? しかもこれは……」


 その法素には濃厚な死の気配もまとわりついていた。

 まるで、生きた人間から無理やり生命力を吸い出したかのようだ。

 死の匂いと共に集まってきた法素は、祭壇の上でヌルヌルと踊る伯爵に吸い込まれるように集まってゆく。


「まずいぞ、ひとりの人間が受け入れられる量の法素じゃない! 確かにこれは絶対なんか良くないことが起きる!」


 人間が許容量を超える法素を吸入した場合、具体的にどうなるかはマリスにはわからない。超過量が常識的な範囲であれば、そして生まれつきなど長期間に渡ってのことであれば、亡くなったディプラノス伯爵令嬢のように緩やかに死に向かうだけだろう。

 しかし急激に、それも何十人分という法素を一度に吸入してしまったとき、何が起こるのだろう。


「最悪の場合は……水を入れすぎた水筒(※革製の袋状のものを指す)を押し潰したときみたいに、ぱーんって破裂しちゃうかも!」


「人間が、破裂……!? なんと恐ろしい……!」


 ルシオラが口元に手を当て慄いた。


「え、どこが破裂するの? 頭? お腹?」


 シィラは踊る伯爵の頭部と腹部をジロジロ見ている。今の話を聞いて即座に出てくる言葉がそれなのか。自分と同種族である伯爵が今まさに死ぬかもしれないというのに。やはりミドラーシュ教団の教育はどうかしているな、とマリスは思った。

 とはいえ、破裂する箇所については確かに気になる。


「言われてみれば、法素って人間の身体のどこで蓄積してるのかな……?」


 純粋に生物学的な知識として、人間の男性の身体の仕組みもマリスは知っている。

 人間の男性には魔女で言うところの魔力を蓄積する器官は無いが、代わりに体の外に出っ張っている余計な部分があったはずだ。


「もしかして、あの辺りかな……? うーん、空間の法素濃度が濃すぎてよくわかんないな……」


 怪しい部分を凝視してみるが、伯爵のシルエットは至る所に上手い具合に法素が集中していてよく見えなかった。


「どこであれ、破裂してしまっては一大事ですよ」


 ルシオラが自分の胸元をさすりながら言う。胸のむかむかがおさまらないようだ。


「じゃあ一応止めときますか! 今だー!」


 言うなりシィラは抱えていた剣のうち一本を投擲した。

 シィラの身体能力なら普通に間合いを詰めて切りつけたほうが速いし確実だと思うのだが、この騎士は普通に剣を使ったら死ぬ病気か何かにでもかかっているのか。シィラが剣を使っているところなど、投げているか掘っているかのいずれかしか見たことがない。


 シィラの投擲術はいつかの野盗に向けて投げた時よりも随分うまくなっているらしく、放たれた剣は超高速で回転しながら真っ直ぐに伯爵の首に向かう。

 殺る気満々である。


「あっ」


 小さく声を漏らしたシィラの顔を見てみると、やべ、といわんばかりの表情を浮かべていた。

 別に投擲術がうまくなったわけではないようだ。

 なるほどこれが文献にもあった「手元が狂った」と言いながら殺っちゃいけない相手を殺ってしまうシチュエーションか。勉強になる。


 ところが、シィラの剣が伯爵を殺っちゃうことはなかった。

 濃度を増した法素の影響か、それとも伯爵が踊りながら何かをしたのか。

 単なる円盤に見えてしまうほどよく回っている剣が、不自然に軌道を曲げて伯爵を避け、壁に突き刺さった。


「なにぃ! じゃあもういっちょ──」


 シィらはさらに二本、両手に剣を持って同時に投げる。

 片手の、しかもおそらくは利き手での投擲でさえ狙い通りに飛ばなかったというのに、そんなことをして大丈夫なのか。

 と思っていたら案の定、シィラの投げた剣は超回転しながら飛んでいき、目標の頭上、地下室の低い天井に突き刺さった。


「あっ。あ、いや今のはほら、きっとあれですよ。さっきみたいに何かこう、伯爵がなんかやったせいで剣の軌道がですね。おっかしーなー。絶対曲げられないようにめっちゃ力入れてぶん投げたんだけどなー」


 変に力が入りすぎていたせいでそうなったのだろうな、と、剣が刺さった天井を何気なく見ていると、ピキピキミシミシという本能的に不安をそそる音とともに、剣を中心に天井に亀裂が入り始めた。


「シィラ! どんな力で剣投げてんの!?」


「やっちゃったー! でも結果的に天井に穴あいたからルーシーちゃん的にはオーライだったりしないかな!?」


「だったりしませんむしろさらに気分が悪く──」


 ガラガラという天井が崩れる轟音に、ルシオラのセリフはかき消された。




 ★ ★ ★


法素濃度が濃すぎて見えない現象は、テレビ放送アニメで謎の光や湯気で一部映像が見えなくなるのと同じ原理です(嘘

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る