第32話「黒髪の魔女と堕ちた伯爵」

 魔女は人間より優れている。

 これはこの世界での常識だ。

 なぜなら魔女と人間が争った場合、たとえどれほど人数差があったとしても、魔女が負けたことなどないからだ。歴史が証明しているというわけである。

 故に魔女を侮る人間などいない。また人間を敬う魔女もいない。

 しかしいかに戦闘力が高いからといって、生物として優れているとは限らない。

 産めよ、増やせよ、地に満ちよ。

 これこそが生物として真に必要な要素だとするならば。

 果たして魔女は、優れていると言えるのか。



 ◇



「──本当に、娘は助かるのか」


 ディプラノス伯爵が黒髪の魔女──ユノ・マギサ・アーレアに縋るような声をかけた。

 縋っているにも拘わらず存在な口調なのは貴族という生まれのせいだろうか。


「もちろん。理論は完成しているもの。ただし、私たちとしても実践は初めてのこと。実証実験は何度かする必要があるかもだけどねぇ」


「実験とは、いったい何をすればよいのだ」


「んー。そうねぇ。コストパフォーマンスを考えると……何回かはそこらの平民を捕まえて、平民で試すのがいいかしら。平民でノウハウを蓄積したら、次は貴族ね」


「……平民か」


「なに? たくさんいるじゃない平民の人間なんか。ひとりふたり居なくなったってわかりゃしないでしょ。どうせいくらで湧いて出てくるんだから」


 ディプラノス伯爵は黙り込み、ユノを睨んでいる。

 しかしユノは全く意に介さない。


「どっちにしろ、法術適正とやらをお嬢さんに植え付けるには何百人単位で平民を犠牲にする必要があるんだし、今更それが多少増えたところで誤差じゃない?」



 伯爵が望んでいるのは、『無能』と呼ばれる貴族特有の先天的な機能不全に苛まれる、自らの娘の治療だった。


 生物の先天的な機能不全を治療するというのは、魔女の技術をもってしても容易なことではない。

 その中で少しでも成功率が高い施術となると、移植だろう。

 人間の貴族にごく稀に現れるという、法術適正を持たない個体。通称『無能』。

 貴族と平民と言っても同じ人間である。貴族にだけ発現する機能不全というのは通常考えづらい。

 あるとしたら、平民と貴族の違いによって発現率に違いが出るか、あるいは発現しても平民であれば問題にならないかのどちらかだ。

 ユノたち魔女が何人もの人間を捕まえて検証したところ、後者であることが判明した。

 平民も貴族と同じくらいの割合で、法術適正の高い個体がいるということなのだ。

 そうした平民を集め、法術適正とかいう能力を生み出している器官を摘出し、それを移植してやれば、『無能』を治療することができるはずだ。

 そしてその技術を応用、発展させれば。

 魔女が抱える先天的な問題も、いずれ解決できる日が来るだろう。


 ユノたちの狙いはそこにあった。



「誤差、だと……? 貴様、人の命をなんだと思っているのだ……」


「どうも思ってないわよ。当たり前でしょ。それに仮に私たちが人間ごときの命をどう思っていようと、平民を何人犠牲にしても娘を救うって決断したのはアンタでしょ。今更私に当たらないでよね。……っ!」


 話している途中でユノは急に息苦しさを感じ、胸を押さえた。

 どうやら薬が切れたようだ。


「なんだ、急に黙り込んで……」


「……なんでも、ないわ。今日はもう、話は終わりよ。じゃあ、また来るから。それまでに、実験サンプル、捕まえておきなさい、よ」


 ユノは遠のきそうになる意識を必死で繋ぎ止め、伯爵の屋敷を急いで離れた。

 魔素さえ豊富なら転移ポータルを開くのだが、こんな場所ではそんなことはとてもではないが不可能だ。もし無理に開こうとすれば、ユノ本人の体内の魔素をすべて持っていかれ、ユノは滅んでしまうだろう。


 ディプラデニアから最も近い『領域外』はインサニアの森だ。

 インサニアの森は「灰金」と呼ばれる異端の魔女が治めている。

 灰金が異端と言われるのには理由がある。

 それはある意味では、ユノたちとは違う方向性から魔女の未来を切り拓こうとした、その結実であるとも言える存在かもしれない。

 しかしそのような存在を認めるわけにはいかなかった。

 あれはあくまで偶然の産物だ。天文学的な確率の中、たまたまアタリを引いただけである。そのようなものに、魔女全体の運命を委ねるわけにはいかない。

 その成果だけを見れば、たしかに黄金の如き煌きに見えるかもしれない。

 しかし安易に手を出せば火傷では済まない。その思想、存在の一片に至るまで残らず灰にされてしまう。

 故に灰金。

 ユノたちは戒めを込めてそう呼んでいた。


「……いちいち灰金の縄張りに逃げ込まないといけないのは屈辱だわ。いくらちょうどいいサンプルがいたからと言って、こんな場所の領主をターゲットにしたのは失敗だったかも」


 自身が管理する『領域外』に異物が入り込めば、カンのいい魔女ならすぐに察知してしまう。灰金のカンの良さは不明だが、念には念を入れるべきだ。

 ユノはインサニアの森に入る際には常に気配遮断の魔術を発動するようにしていた。この魔術を使うと、魔女や魔物にはバレないのだが代償として周囲の魔素を乱すため、あまり推奨されていない魔術だった。


「……ふう。やっと落ち着いてきた。やっぱり魔素の薄さこそが魔女私たちの発展の最大の障害ね」



 ◇



 ディプラノス伯爵から、最後のサンプルを捕らえたという報告が来た。

 最後のサンプルとは『無能』の貴族のことだろう。平民を使った臨床実験ではすでに何度か成功している。もちろん相応に失敗もしているが、それぞれの原因は特定できているため、同じ失敗を繰り返すことはない。

 欲を言えば貴族でも複数回の実験はしたいところだが、無能の貴族自体が珍しく、また仮に無能を抱える貴族家があったとしてもその情報を積極的に発信することはないため、見つけるのは非常に難しい。ひとり見つかっただけでも御の字だろう。


 ユノは魔素欠乏症の予防薬を飲み、ディプラデニア城の地下実験室にやってきた。

 しかしサンプルはまだいない。

 何故か片腕を失っている伯爵に聞いてみると、これからやってくるのだという。そしてそのための餌が控え室に捕らえてあるそうだ。


(何を迂遠なことを)


 つまり、人質をとってサンプルに言うことを聞かせようということだ。

 人質が人質足り得るほどそのサンプルにとって重要な存在ならば、その人質から説得させれば手っ取り早い。交渉の必要がなくなる。

 ユノは控え室に向かう。


「おい、人質には傷をつけるなよ。交渉ができなくなる」


「わかってるわよ。バカにしてるの? それより、片腕ないみたいだけど大丈夫? たとえお宅のお嬢さんが寛解しても、もう両腕で抱きしめてあげることができなくなっちゃってるけど?」


「……貴様には関係ない。もとより、あの子を抱いてやる資格など、もはや私にはない。家族のために、守るべき民を犠牲にしてしまった私には……」


「あっそ」


 ユノは魔女という種族全体のために行動している。そのためならばたとえ何であろうと犠牲にする覚悟があるし、それを負い目に感じることもない。

 ディプラノス伯爵のその態度は、ユノにはどうにも煮えきらないものに映った。



 控え室に来たユノは、こんな事もあろうかと用意しておいた魔術具を取り出す。

 ナイフ型の魔術具で、この刃で傷を付けられたは脳へ特殊な魔素を送り込まれ、ナイフを振るった者に絶対服従するようになるというものだ。

 もし伯爵が指示に従わなくなった場合に使うつもりだったが、人質がいるならその人間に使った方がいい。

 脳の一部が変質してしまうため、実験サンプルにしたい本人に使うことができないのが歯がゆいところだ。

 実験を繰り返しデータを積み上げることができれば、いずれは移植などの外科手術に頼らずともこうした魔術具で無能を治療できるようになるだろう。

 もちろん、この技術を魔女に応用するにはさらなる理論の積み上げと気の遠くなるほどの実験が必要であるが。


「さて。貴方たちに恨みはないけど、話を手っ取り早くするために言う事聞いてもらうわよ。大丈夫、ちょっとチクッとするだけだから──」


 その言葉に警戒をしてか、人質の老人が人質の娘を庇うように前に出る。

 しかし関係ない。ふたりとも虜にしてしまえばいいだけだ。

 ユノは魔術具を構え、外すことのないよう勢いよく腕を突き出した。


「こんにち──うわっ危ない!」




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安全確認ヨシ!

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