第25話「魔女と冒涜的な行為」

「……ジェラルド……。すまぬ。これは私の油断が招いたことだな。まさか、ルシオラ嬢が魔女まで味方につけていようとは……」


 ディプラノス伯爵は力なく横たわる息子の目をそっと閉じ、だらりと飛び出していた舌を口の中に入れた。


「あ、老婆心からアドバイスしてあげるけど、全身の筋肉が軒並み破壊されていい感じに熟成されちゃってるから、たぶんすごい早さで傷んじゃうと思うよ。葬儀をするならお早めにね。兵士さんの遺族の方にもそう伝えてあげて」


 もっとも、マリスにとって必要な情報さえ聞ければ伯爵本人にも早々に消えてもらう予定なので、他人の葬式を気にかけるだけの余裕があるかどうかはわからないが。

 しかしせっかくアドバイスをしてやったというのに、伯爵は射殺さんばかりの強い視線でマリスを睨みつけてきた。


「おのれ魔女め……! 、我々人間を弄びおって……!」


「いや、いつもってなんだよ。私人間とこんなに長く接触したのは生まれてはじめてだし、今だって別に弄んだりしてないでしょ」


 例の賊たちや今の兵士たち、それとディプラノス伯爵家にはちょっと強めに当たってはいるものの、それ以外の人間たちにはむしろ友好的に接しているつもりである。

 祖母ほどではないにしろ魔女の中では相当に人間に優しいつもりだ。弄んでいる意識はない。


「ていうかむしろ私のことを居ない者かのように無視して振る舞ったり魔女だって認めなかったり、どっちかっていうと弄んでるのは貴方の方じゃん。おのれ貴族めーいつもいつも魔女を弄びおってー、とか言えばいいの?」


「……ジェラルドにこのような冒涜的な魔術をかけておいて、どの口が……!」


 冒涜的。その言葉はマリスの記憶の「やることリスト」に触れた。

 シィラをミドラーシュ教団の追求から逸らすため、伯爵には冒涜的な罪を被って貰わなければならない。

 人間にとって冒涜的とか非人道的とかの基準がいまいちよくわからないマリスだったが、人間である伯爵が冒涜的というのなら、それは間違いなく冒涜的なことなのだろう。めちゃめちゃ睨んできているし、人として到底認められない、人道にもとる行為でもあるのかもしれない。

 そういうことならちょうどいい。令息や兵士の肉を柔らかくしたのは伯爵だということにしてしまえば一件落着だ。

 伯爵が睨んでくれて助かったと言えよう。


「なるほどね。使い慣れた魔術だったからつい使ってしまったけど、そういう反応をしてくれるんだったら使った甲斐もあったかな。よかったよかった」


「き、貴様……! なんという邪悪な……! 魔女だからだとしても、あまりに邪悪がすぎるぞ……!」


「なんか失礼なこと言ってない? 魔女だからって、別に邪悪とは限らないと思うんだけど」


 もちろん世の中には邪悪な魔女がいることは知っているが、マリスは違う。祖母も祖母の友人もそうだ。どちらかと言うと人間に友好的な部類に入る。邪悪とはむしろ正反対だと言っていい。

 もしかしたらだが、この伯爵は邪悪な部類の魔女の実例を知っているのだろうか。魔女がほとんど黒髪だということも知っているようだったし、魔女に知り合いでもいるのかもしれない。

『領域外』から滅多に外に出ないはずの魔女と知り合いであるとか相当なレアケースだが、「例がない」という言葉が何の免罪符にもならないことは先ほどマリス自身が言ったことだ。この領主は例外的に邪悪な魔女と知り合う機会があった人間なのだろう。


「……貴様に対する恨み、憎しみは決して忘れはせぬ。だが、あれほど恐ろしい魔術を使う魔女を自分ならどうにかできると信じられるほど私は若くはない。ここは、一旦退くとしよう……」


「なんで上から目線で退いてやるみたいに言ってるの? 逃がすわけないじゃん」


 出来れば一族郎党皆殺しにして後腐れのないようにしておきたいが、それも伯爵を始末した後の話だ。

 まずは伯爵の殺害がマストである。出来れば、人間の法術適性を察知する技術の詳細とその目的も知っておきたい。


「それと、このお城は伯爵のご自宅ですよね? 退くとおっしゃいましたが、一体どこへ……?」


「あのー。あたしの拳のこと忘れてませんかね。もうなんか、普通に無かったことにして下ろしちゃおっかなーとか思ったりもしてますけど、一度振り上げた拳は最後まで振り抜くのが騎士道みたいな話を絵本で読んだことあるんでそれもちょっとモヤモヤするんですけど」


「ちょうどいいや。シィラ、その拳は伯爵の肩口に振り下ろしていいよ」


 脳天だと死んでしまう。可能なら尋問したいので、肩口を指定しておいた。魔女の古い文献にあった「肩パン」というやつだ。挨拶で行う風習もあったと書いてあったので、いかにシィラの馬鹿力でも命にかかわることはあるまい。仮に吹き飛んでしまったとしても、肩口だったらギリセーフである。


「おっと。早まった真似はしないことだな。貴様たちの従者、名は忘れたが、老人と少女がいただろう? 連中の身柄は──」


「そりゃあ!」


「あっ! シィラストップ! 何か重要なこと言ってるから!」


 まさかそのまま殴りかかってくるとは思わなかったのだろう。

 伯爵の反応が遅れ、シィラの拳は彼の二の腕を吹き飛ばした。


「あぎゃあ! き、きさま……人質がどうなってもいいというのか!」


「いいわけないでしょうが! でも急には止められないんすよ! 次からもっと早めに止めてもらっていいですか!」


「ええ、なんで私がキレられてるの……? ちょっと伯爵! 命乞いなら次からもっと早くしなよ! 死にたいの!?」


「死にたい方は命乞いはしないと思いますので、命乞いが遅れて死んでしまってもそれは本望なのでは……? あ、でもこの場合死んでしまうのはノーラとトミーなのでしょうか。それは困りますわね」


 それだと伯爵が敵の使用人の命乞いを何故かしていることになるが、マリスもシィラに理不尽にキレられたせいでおかしなことを言っている自覚はあったので、ルシオラのその言葉には特にツッコまないでおいた。


「き、貴様たちの方こそ、次からもっと慎重に行動することだな! でないと大切な者を失うことになるぞ! とにかく、従者の二人は預かっている! 返してほしくば、この城の練兵場の地下へ来い! ただし魔女、貴様は駄目だ! 来るのはルシオラ嬢と法騎士のふたりだけだ! いいな! 絶対に来いよ! あと貴様は絶対に来るなよ!」


 伯爵はそう言い捨て、失った右腕をかばいながら食堂から去って行った。

 去り際にちらりと令息の遺体を見たようだったが、振り切るように視線を切っていた。死んだ息子より自分の命の方が大事だということなのか、それとも練兵場の地下にそれらより重要な何かがあるのか。

 人質の無事を盾にされたマリスたちは、去りゆく伯爵をただ見ていることしかできなかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る