第二章 戦奴の城邑②

 隼人たちは奥の郭に近い、かべの並ぶ剣奴の区郭くるわへ連れて行かれた。

 そこには両の頰に鎌形の刺青いれずみを三本ずつ入れ、肩や胸、背中の筋肉がおそろしく盛り上がった男たちがたむろしていた。まだ寝るには早い日没前のひとときを、屋内で休まず表に腰をおろして、水浴びや雑談で過ごしていたが、団らんというにはほど遠い。その殺伐とした剣奴の集団へと、平然と歩を進める鷹士のあとを、六人の若い戦奴と隼人たちは、身をすくませてついていった。

「シシド、炊き場で騒ぎを起こしてた連中を連れてきた」

 鷹士の報告に剣奴のとうそつが立ち上がった。髪を両耳の上でみずらに結い、豊かなひげはあごの下で切りそろえている。むき出しの腕に、波模様の刺青が肩から手首まで彫りこまれていた。

「飯を無駄にするやつには罰が必要だな。ことと次第によっては、見せしめにしなくちゃならん」

 シシドの声は野太くつぶれ、荒くれ男たちの頭卒らしく重厚な迫力がある。頰に三本ずつの鎌形の刺青だけでなく、こめかみから額にかけてうろこを模して彫られたげいめんが、シシドの形相をさらに恐ろしいものにしていた。

 壁屋の前に整列させられた若い戦奴たちが、罰を逃れようと隼人たちを指さし、つばを飛ばしながら言い訳をした。

「こいつらがおれたちより先に飯を食おうとしたから、順番を教えてやっただけだ」

 怒りが腹の底からこみ上げて、隼人は大声で叫び返した。

「違う。おまえたちがいきなり割り込んできて、理由もなく史人を殴り始めたんだ」

 顔をアザだらけにした体の小さな隼人が、おくすことなく声を上げたことに、シシドの眼に驚きが浮かぶ。それから髪もばらばらで顔にアザを作っている史人に視線を移した。

「だんまりの小僧だな。槍の持ち方も覚えられない役立たずだ。使えない上に問題を起こすようなら、明日にでも農奴の邑へ送ってしまえ」

 自分の里の神子を悪しざまに言われて、隼人はさらに頭に血がのぼる。

「史人は悪くない。役立たずでもない。悪いのはあいつらなんだ」

 右手をふり上げて戦奴たちを指さす。若い戦奴は自分たちのほうが有利なのを見て、口元に薄笑いを浮かべた。隼人は斜めうしろの鷹士にふりむいたが、鷹士は我関せずと夕陽に染まる西の空を眺めている。隼人は助けを求めることはあきらめ、シシドにまっすぐな視線を戻した。シシドは隼人の気丈さに興味をおぼえたらしい。にやりと笑う。

「槍も持てない戦奴など、役立たずだ」

「史人は役立たずじゃないっ」

 隼人はムキになって叫んだ。顔が火照り、頰が赤くなって涙が込み上げる。

「十四になるのに弓も引けないガキが、なんの役に立つんだ」

 説明してみろとシシドの黒い目が隼人に向けられた。

「史人はいろんなことを知っていて、みんなにとって必要なことを覚えるのが仕事なんだ。大切なことはひとつも忘れない。だから、史人を殴る奴は許さないっ」

 げきこうして叫ぶ隼人の肩を押さえ、サザキが顔を上げた。おずおずと一歩踏み出し、シシドの恐ろしげな顔を見つめる。

「史人は阿古の神子なんです。里の先祖たちの名前やくにの歴史、毎年の星の動きや、収穫の良し悪しを全部覚えているんです。伝説も物語も、山や海の神さまの名前もみんな。唄もできごとも、いちど見たことや聞いたことは忘れないから」

「神子か。道理で役に立たんわけだ。鷹士」

 気をがれたようすのシシドに声をかけられて、鷹士が前に出た。

「薬女さまに、豊邦の捕虜のなかに神子が紛れ込んでいたようだが、どうしたらよいかと訊ねてこい」

 鷹士は短く返事をすると、さっと身をひるがえして、奥の郭へと走って行った。隼人は、史人が神子であることを話して良かったのかどうかわからず、急に不安になった。

 当の史人は、焦点の合わない目を夕焼けに向けている。

 シシドは、こんど騒ぎを起こしたら罰を与えるとくぎをさしてから、若い戦奴たちに帰るように言い渡した。隼人たち三人は恐ろしげな剣奴に囲まれたまま、鷹士の帰ってくるのを待った。

 日が沈んだのち、薬女そのひとが宮奴を数人と鷹士を従えてやってきた。剣奴たちは地面に平伏して薬女を迎える。薬女は隼人とサザキにはさまれた青白い少年を見据えた。

「おまえが神子か。名は」

 史人の青白い唇が震える。聞きとりにくい、かすれた声が唇の間からこぼれ出る。

「ふ……み、と」

 薬女はうなずいた。

「名を聞けばわかるものを、誰も気づかなかったのか」

「もうしわけございません」

 責める口調でもないのに、シシドは頭を下げて謝罪の言葉を述べた。

「史人、おまえ、豊邦のるのくらの名を初代まで言えるか」

 薬女に問われた史人は上目遣いに空を見やり、体を前後に小さく揺らしながらゆっくりと、豊邦の現まつりぬしから二十代以上さかのぼり、代々の名と事績を滑らかに暗唱した。

「星の名はみな覚えたか」

 宵闇の迫る空には、まだ数えるほどしか星は見えなかったが、うすあいの空にきらきらと輝き出した星を指さしながら「ぬりこ、ほとおり、ちりこ」とその名をつらねてゆく。

 それが終わると、薬女は並んだ二十人あまりの剣奴にひとりずつ名を名乗らせて、史人に繰り返すように言った。史人はいちども間違えることなく、剣奴の顔を見ながらその名を告げた。

「本物の神子ですね。おそらくはしるしに生まれついた者です。私についてきなさい」

 促されても動こうとしない史人の腕を女の宮奴が取ろうとしたが、史人はその手をふり払って座り込む。隼人は一歩前に出て薬女に訴えた。

「史人は、知らない場所や人間が怖いんです。ここにきてから、なにも話さなくなってしまって──」

 続ける言葉に迷う隼人には目もくれず、薬女はじっと史人を見つめる。

「己が言葉を持たないのは、よりましたる神子にはよくあること。お前たちの名は」

 問いかけられたサザキと隼人は自分の名を名乗った。薬女は隼人を見るとまゆをひそめ、サザキや史人と見比べる。

「神子の言葉を伝えるはふりには、たけだけしいはやぶさよりも、霊鳥たる鷦鷯さざきのほうがふさわしかろうな」

と、サザキを名指した。サザキは「は」とかすれた声であいまいな返事をした。見えない手で背中を押されたように、足をもつれさせながら一歩前に出る。足を出す前に、ちらりと隼人を横目で見たが、ぎこちなく前を向いて、史人のひじを取った。

 サザキに促されて歩き出した史人が、隼人へと肩ごしにふり返る。

「史人っ」

 隼人の呼びかけに、史人はすべてをあきらめたかのようにほほ笑んだ。

 その哀しげなまなしに、もしかしたら、史人は神子であることを隠していたのかもしれないと思いいたって、隼人の背中に冷たい汗が流れる。

 神子とは本来、邦の祀主であるるのくらの血を濃く引くこどもたちから選ばれるものだ。

 久慈の大島では、日留座の子女を、神に仕える女性を巫女みこ、神事をつかさどる巫覡の見習いであるこどもたちを神子と、貴い血や異能を持つひとびとを『ミコ』と呼ぶ。

 阿古のような小さな里では、頭がいいというだけで、高貴の家からでなくても神子が選ばれることはある。しかし、津櫛の貴人である薬女が、史人を豊邦の貴人だと誤解したら、史人は津櫛と豊の争いに利用されてしまうかもしれない。

 おのれの無知と短慮が、史人を危機に追い込んでしまったのではと呆然とする隼人の肩を、誰かが押した。見ると、鷹士が帰るように目配せをしている。

「史人はどうなるんだ」

「あいつは神子なんだろう。そういう力が強ければ、大事にされる。巫覡に選ばれた神子に手を出すばかはいない。少なくともこれからは戦奴に殴られることはない」

「ここじゃ、神子は大事にされるんだな」

 念を押す隼人に、鷹士はわずかに首を傾けて問い返す。

「豊では神子は敬われないのか」

 隼人は一瞬、返答に詰まった。阿古から出たことのない隼人が、豊邦の他の邑や里ではどうかなど、知るはずがなかった。記憶力は優れていても、神子にもっとも必要とされる霊能力はあまり高くない史人は、里のおとなたちからは軽んじられていた。ここへ来て津櫛の貴人たちの中に放り込まれたら、内気な史人の精神はとてももちこたえられないかもしれない。

「おまえはこの先、他人のことより、自分のことを心配したほうがいい」

 隼人は思わず顔を上げて、鷹士の顔を見つめた。他人のことを気にかけることなど、およそ無縁そうな鷹士の口から出た言葉と思えない。

「どういうことだよ」

「言った通りのことだ。夕飯を食べ損ねたくなければ、炊き場が閉まる前に早く行け」

 言われて初めて、隼人は乱闘騒ぎのせいでなにも食べていないことを思い出した。

 空っぽの胃袋がぐうぅ、と音を立てる。

 来た道を指し示して隼人の肩を回した鷹士は、きびすを返して剣奴の壁屋へと歩み去る。隼人なら膝が震えて近づくこともできない強面こわもての剣奴たちにまぎれて、鷹士の姿はすぐに見えなくなってしまった。


 翌日から、鷹士の予言どおり、隼人は史人の心配どころではなくなった。邑の奥の郭にひっこんでしまった史人の代わりに、若い戦奴たちに目をつけられてしまったのだ。

 せっかく満たした大甕をひっくり返されて仕事の邪魔をされるだけでなく、矢や石が飛んできて背中の水瓶を割られた。炊き場の水を汚されて、大甕を洗ってふたたびそれを満たさなくてはならなかった。

 仕事に手間取り、夕方ひとりで炊き場にたどりつくころには、片づけが終わっていて食べるものがない。朝食だけは、他のこどもたちと行動をともにするので、なんとか口にできたが、夜に空腹で寝なくてはならないのはつらかった。

 その日の夕方も、隼人は食事の時間に遅れて炊き場へ行った。炊き場役の雑奴は片づけを始めたばかりで、今夜は食べ物にありつけそうだと隼人はうれしくなる。なべの底に残った粥汁をすくっていると、いつもの戦奴たちのせいが炊き場に響いた。

「どんぐり目玉が残飯をあさりに来たぞ」

 最近ではお定まりになった若い戦奴の嘲り声に、隼人は身構えた。

「泥みてぇに黒い手で、おれらの飯に触るんじゃねぇよ。ギョロ目」

「同じ里のやつらからも見捨てられてんな。だいたい、本当に豊邦の人間なのか」

「蛮人の雑奴でも紛れ込んでたのを、いっしょくたにさらってきたんだろ」

 隼人は悔しさに涙がこみ上げる。シシドが隼人を間近に見たときの、好奇心に満ちた表情。薬女が見せたかすかな嫌悪。もっとさかのぼれば、初めて会ったときの鷹士が、隼人の顔をじろじろ見ていたことも不快な記憶として思い出される。

 阿古のこどもたちに見られない浅黒い肌、はっきりとした二重のこぼれそうに大きな眼。彫りの深い目鼻立ちとふっくらとした唇は、そこまで珍しくいとわしいものなのだろうか。

 豊邦の民とよく似た、厚みのあるまぶたに、低い鼻根、面長の顔立ちに色白の肌をした津櫛の民もまた、南久慈に住む海の民への偏見を抱えているのだろうか。

 顔立ちのことを言えば、鷹士の細いりようおとがい、切れ長の一重まぶたの眼も、津櫛の民のそれとも微妙に異なる気がするのだが──と、下を向いていた隼人が、戦奴たちの口汚いちようろうから意識を逸らしていたときだった。

 突然、背中を突き飛ばされた。やっとかき集めた粥汁をこぼしてしまった隼人は、頭に血がのぼった。手にした椀を投げつけ、目の前の戦奴の腹に頭突きをらわす。思いがけない反撃に、若い戦奴はうしろ向きにひっくり返り、大甕に頭をぶつけた。大甕は割れてあたりが水浸しになり、その戦奴も隼人もずぶぬれになった。別の戦奴に衣の背中をつかみ上げられ、隼人は床に叩きつけられる。隼人は鷹士が鍛錬のときにそうしていたように、とっさに身を丸めて地面を転がった。

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