第2話 バケモノッッッッッ!!!!! 4 ―勇気の胃がキリキリ痛む―

 4


「ただいま、母さん、戻ったぞ!」


 勇気は自宅の玄関の扉を開けると、家の中に向かって声を掛けた。


「はいはいぃ~~」


 すると、玄関を上がった先にある、花柄のデザインガラスが貼られたガラス戸の向こうからすぐに声が聞こえた。


「おかえり、勇ちゃん」


 ガラス戸を開いて現れたのは勇気の母、勇気同様背が高くて、顔も小さくて手足も長い、おそらく誰がどう見ても母は勇気似……いや、その反対。勇気は母親似だ。


 そして、勇気にそっくりな母はゆっくりと息子に近付くと、何やら慌ただしい言葉を発した。


「……あのね、大変なの。大変、大変、」


「大変?」


 しかし、その言葉に対する勇気の態度は至って冷静だった。慌てるどころか、勇気は開け放ったままの玄関の扉の枠に腕を組んで悠長に寄り掛かる。母を心配する仕草すらしない。


「大変……って、"今日は"いったいなんなんだ?母さん?」


 でも、それも仕方のない事。だって、『大変、大変』……それは勇気の母の口癖みたいなものだから。本当に『大変』だった事は殆ど無い。因みに"昨日は"………


『勇ちゃん、勇ちゃん、大変、大変。今日はママね、スッゴい目覚めが良かったのぉ!』


 ………こんな内容だった。


 だから、勇気は母の『大変、大変、』を心配しない。逆に『やれやれ……』という感じだ。


 そして、勇気の母も『大変』という慌ただしい言葉とは裏腹に、とてものんびりした雰囲気。


「そうなの大変なの。あのね、今日石塚さん来れなくなっちゃって」


「石塚さんが?」


「うん。石塚さんね、昨日の内にメールを送っててくれてたんだけどぉ……」


「ソレを、また見忘れてた……」


「うん……」


 勇気の母は、元来とてものんびりとした性格だ。だから『大変、大変、』と言っていても全然慌てないし、何をするにもゆっくりゆっくり。

 サンドイッチ一個食べるのにも15分はかかるし、歩いて10分の筈のスーパーに着くのも20分。届いたメールを見るのも、決まって一日遅れだ。

 彼女の中では時の流れさえもゆっくりゆっくりと進んでいるのか、そろそろ高3になる息子の事を未だに『勇ちゃん』と幼稚園の頃と変わらぬ呼び名で呼ぶし、その見た目は45歳を迎えても20代の頃の美貌を未だ保ち続けている。


「そうか。まぁ、仕方ない。それで……石塚さん、仕事って事か?」


 だけど、勇気は母ののんびりさには慣れっこだ。メールを見忘れたって特別驚きもしないし、怒りもしない。

 母の行動をただ冷静に受け止めるだけ。


「うん、『麗子さんごめんなさい』って謝ってたわぁ……」


『麗子』とは勇気の母の名前だ。《青木麗子》これが勇気の母の名前。


「別に謝らなくても良いのにな」


「うん。昨日"あんな事"あったでしょう?」


『あんな事』とは《王に選ばれし民》が現れた事だろう。


「だからぁ、石塚さん仕事休めなくなっちゃって……」


 先程から二人が口にしている《石塚》という人物は、亡くなった勇気の父の友人でもあり同僚だった男だ。彼は毎年勇気達と共に、若くして他界した友の墓参りに行っているのだが、仕事柄今年は休みを取る事が出来なくなってしまった様だ。


「まぁ昨日の今日で、警察は休む暇も無いだろう。母さん、仕方がないさ」


 そう石塚は警察官だ。そして、他界した勇気の父も同じく警察に勤めていた。勇気の父が亡くなるまでは、父と石塚は二人一組で凶悪事件を追う捜査一課の刑事だったという。


『名刑事だったのよ、パパは』と、飲めない酒に酔った時、麗子は今でも勇気に話す。


 現在石塚が警察内部でどんな役職に就いて、どんな任務に就いているのかは、年に一度父の命日に会うだけの関係だから、勇気も詳しくは知らないが《王に選ばれし民》という前代未聞の集団が現れたのだ、警察が暇な訳がない事は容易に想像出来た。


「それで? 『大変』って言うのは、母さんの運転で行く……って事か?」


 黒寄りのグレーのワンピースを着て、小脇にコートを抱えた麗子の手には、車のキーが握られていた。


「うん」


「それは……ちょっと心配だな」


 母の性格、または行動に慣れっこの流石の勇気も、これには少し動揺した。


「……でも、仕方ないか。爺さんも昨日の今日で結局来れなくなったしな……」


 勇気は自分を納得させる様に独り言をボソリと呟くと、組んでいた腕をといて、皺の寄った眉間をポリポリと掻いた。


 石塚が来ないのであれば、今日は麗子に運転を任すしか無い。しかし、勇気の胃はキリキリと痛む……


 何故なら、麗子の運転は例によって例に如く、とてもとてもゆっくりだからだ。安全運転と言えば安全運転だが、同乗している勇気からすれば、逆に怖い。高速道路で定められた最低速度ギリギリで走っていた事すらある。

 だから、麗子の運転する車に乗る度に、勇気の胃はキリキリと痛むのだ。


「じゃあ、出発進行で良いね、勇ちゃん。忘れ物はなぁい??」


「あ、あぁ……無いよ。大丈夫だ」


 覚悟を決めた勇気がコクリと頷くと、二人は早速出発する事にした。




 …………因みに、『忘れ物はないか?』と聞いた麗子自身が、バッグを家に忘れているのに気が付いたのは、車を走らせた後の事だった。


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