妖怪退治倶楽部

影ノ者

第1話 別れ

「次は〜池袋〜 次は〜池袋〜 終点です」

 

 まるで機械のような無機質な声で喋る車掌の声が車内に響く中、俺は有線イヤホンを両耳に当ててスマホを片手に、もう片方で手すりに捕まりながらとある動画を見ていた。


「ここで緊急速報です。本日未明、東京私立貧北ひんほく高校が謎の現象に見舞われ、校舎の半分が壊滅してしまったそうです」


 俺は動画の再生を一時停止すると、視線を少し、画面の上部から中央にズラす。

 ズラした視線の先に表示されていたのは、この動画が公開された日付であった。


 2019年11月24日、これがこの動画が公開された日でもあり、——俺にとっては記念日でもある。そして2019年12月24日、それが今日だ。 

 つまり今日は記念日から丁度一ヶ月が経過した、めでたいめでたい一ヶ月記念日というわけなのだ。

 訳も無く日時を確認した俺は瞳孔を画面上部に戻すと、時が止まった世界を再び始動させた。


「それではこちらの映像をご覧下さい」

 

 女のニュースキャスターの合図とともに画面に流れた上空映像。そこに映されていた光景は、とても現実的とは思えない光景だった。

 

 二つの校舎を左右に繋ぐ空中通路が真っ二つに割れ地面へと崩れ落ちており、左側の校舎は大規模爆発が起こったかのように、見る影もなく中身が露わになっている。 

 ——いや、中身という中身は既に存在しておらず、残っているのは瓦礫のみ。

 

 校舎の中にあった玄関、職員室、教室などといった教師や生徒たちの思い出の場所は、虚しくも残ってはいない。

 この光景を見たらどれほどの教師や生徒たちが悲しむか、と考えただけで今にも笑みが浮かんできそうだった。いや、既に笑みは浮かんでいた。


「ふっ」

 

 笑みに留まらず渇いた笑い声までもが漏れてしまう。


「ねぇ、今なんかあの人言わなかった?」

「え? そうかぁ?」

「おいおい嘘だろ? なんかあいつ動画見ながら笑ってたぞ」

「え〜 なんかチョーキモいんですけどー」

 

 ケタケタと笑うのは長椅子を挟んだ先に立っている四人の男女。

 しかし動画と想像に意識が奪われていた俺は、普段なら絶対気にする視線と会話も、今は道端に歩く蟻のように気になることはなかった。


「今回の事件ですが、幸運なことに死者数はゼロであり、周りの住宅街にも被害は無かったとのことです。原因は調査中で、判明次第警察の方から発表があるとのことです。それでは次のニュースに移ります……」

 

 映像が切り替わりニュースキャスターが原稿を読み終わると、作業のように次のページを捲る。あんな映像を見せられたら誰しもが驚きを隠せずに目を疑うだろう。

 実際無表情と定評のある俺ですら、初めて見たときは声を出して目をカッぴらいてしまったよ。

 

 なのに表情を一切変えないまま淡々と喋り続けるニュースキャスターに、ある意味俺は畏敬の念すら覚えてしまう。

 ほんと、ニュースキャスターには表情筋や感情という人間に備わる基本ステータスが無いのだろうか。

 まあそんなことはともかく、動画が全て再生され終わると、俺はスマホの電源を颯爽と切った。

 

 真っ黒な画面に映る自分の顔。昔は晴れ空のように煌めいていたであろう碧眼も、今や全てを曇らす曇天のように色を失っている。

 そしてそのまま、何事もなかったかのようにデニムパンツの右ポケットにスマホをしまうのであった。


「はぁ」


 別に今何かが起こったわけでもなく、嫌なことや何かを達成したわけではない。

 しかしどうしてだろうか、ふと、自然と、俺はため息をついた。

 

 今のため息が予想以上に大きかったのかまたあの四人が笑っている。

 今は23時12分、この車両に乗っているのはあの四人と俺一人のみ。

 

 勿論そんな四人の笑い声は、電光掲示板を見ながらボーッとしてる俺の耳に入ってきた。

 あの四人が笑っている。つまりそれは俺に対して笑っているということに違いない。

 そんなことを意識した途端、沸騰して音が鳴るやかんのように、急に身体の芯から熱気が沸き上がってきた。

 

 ただでさえ車内の暖房に当たってあったかいのに、風邪でも引いたかのような熱さが更に追い討ちをかける。

 ドアのガラスに映る自分の肌色の頬も見る見る変化し始め、終いには顔全体が天狗のように真っ赤になった。

 俺が乗っている電車は昨日、たまたまサウナに改良された。そう言われても今の俺なら素直に信じたであろう。


 ——憎い。とても——憎い。

 

 何故アイツらは俺を嘲笑する? 

 俺が何かしたか? ただちょっと笑っただけなのに、ため息をついただけなのに、何もおかしなことはしていないのに、周りの奴らはそうやって俺を嘲笑う。

 集団でいるからって調子に乗るな。お前達だって一人のときは何も出来ないくせに!——


「——ッ」


 悔しさの余り、俺は感情を閉じ込めたまま全面に出して、唇を軽く噛んだ。

 ——わかってるさ。別に笑われても無視すればいいだけなのに、それを無視できずに直視する俺が悪いんだってことを。

 何度も無視できるほどの強靭な心を欲した。でも、それでも、俺は変わらない。変わることなんて、できやしないんだ。

 

 だから俺は、神に願う。この世界がより良くなる為に。俺が自由に生きれる為に! 大きな声を出しながら笑える為に!! 

 だからどうか、俺を馬鹿にするゴミクズどもがみんな仲良く死にますように!!!

 

 ——バリィィィィィン

 

 心の内で叫び散らかす俺とは対照的に、現実世界でド派手な音を鳴らしながらそれは車両に飛び込んで来た。

 頑丈に作られた一枚の窓ガラスもそれの勢いと威力に耐え切ることが出来ず、無数の破片へと姿を変える。必然的、いや本能的に、考えることもなく俺はそちらへと振り向いた。


 百度の熱で炙られたかのように、それの顔の九割は原型を留めることなく漆黒に焼け焦げていた。

 髪の毛が無いのはもちろん、鼻や口、それに加え左目も潰されている。


 唯一残っている紅蓮の右目を小さくも開き続け、僅かな隙間のできた口からヒューヒューと荒い息を溢す。

 黒焦げに染まった四肢は不気味な雰囲気を異様なまでに放つ、まさに化け物——。


 化け物を挟んで俺の対面に立っていたムカつくあの四人も、口を開きながら体を硬直させていた。

 それは俺も同様、この場にいる全員が、これが夢か何かと思っていただろう。いや、そう思うしか他になかった。


「キャァァァァァァァ!!!」

 

 狭い空間も相まって耳鳴りが起こるほどの悲鳴がすぐさま車両内を駆け走る。

 女二人は抱き合いながら膝から崩れ落ちて地面へと平伏し、男二人はパニック状態で頭が回転していないのか銅像のようにピタリと動かなくなっていた。


 一方俺は、地震が起きていると錯覚してしまうほど四肢を震わせ、膝がガクガクになりながらも手すりを握っているおかげでなんとか立ち続けていた。

 血管という血管が今にも破裂しそうなほど心臓が揺らぎ、充血しそうなほどに化け物を凝視する。


 ——これは現実か。そう疑うしか、疑わざるを得なかった。一体これはなんなんだ。人間か? なんで窓からやって来たんだ?

 次々と疑問が浮かび上がるそんなとき、事態は突然と動き出す。


 なんと床に横たわっていた化け物が体を震わせながら、両手で床を押し、胴体を徐々に起こし始めたのだ。

 まるで産まれたての子鹿のように、生を全身で表しながら、ゆっくりと起き上がる。

 

 そんな光景に、俺を含めた五人は相変わらず動かない。

 ——動けないんだ。しかも四人の表情はどんどんと悪化していき、血の気の引いた真っ青な顔はもはや人間の肌色とは思えないほどである。

 

 あの四人があんな表情ときた、一体今の俺の顔はどんな風になっているのか想像すらつかない。

 そんなことを考えている間にも化け物はみるみる立ち上がり、遂に、俺達と同じように二本の足でその場に立ち尽くした。


 まだ意識が朦朧としているのか、フラフラとその場で胴体を揺らし続ける。

 そしてそのまま、体を揺らした勢いで男二人に近づくと、二人の眉間目掛けて両手を突き刺した。


「——は?」

 

 刹那、化け物がとった行動に、俺は単語を一つ漏らしてしまった。

 何故かって? 

 それは誰もが予想し得なかった行動で、誰もがこれから起こりうる未来の選択肢として存在していないものを、堂々と目の前で見せつけられたからである。


「キャァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」

 

 一人の女は咄嗟に瞳を閉じながら叫び声を轟かした。

 一人の女はあまりの衝撃で顎が外れたのか金魚のように口をパクパクと開いていた。

 そして一人の男は水溜り色のジーンズに大量の黒い染みを付着させながら、——失禁していた。

 

 両腕を突き刺され穴の開いた二人の頭からは何やら黄色い液体が噴き出ている。

 化け物が両腕を引き抜くと、それと同時に勢いよくバラけた桃色の脳みそが糸のように垂れ落ち始めた。


 血の混じった黄ばんだ液体がドバドバと溢れ出し、瞬く間に車内に彩りを付け加える。

 もう何もかもが滅茶苦茶な状況に、誰もが正常な思考をしていなかっただろう。それも仕方ない、だってもう既に正常な世界ではないのだから。


「お…… ん…… な…… を………… こ…… ろ、せ」 

 

 鈍く低い霞んだ声が聞こえたと思うと、化け物は息絶えたかのように膝から崩れ落ちる。

 だがそんな化け物を他所に、新たなる化け物が今ここに誕生した。


「リョウカイ。オンナ、コロス」

「グギギ、グギギ。コロス、コロス」 

 

 なんと頭を貫かれた男二人が急に喋り始めたのだ。

 依然脳から溢れる液体と脳みそ。血走った瞳が空を向き、軋ませる歯元から涎を垂らしながら、男二人がまるで操られた人形のように喋って、動いているのだ。

 

 あまりにも不気味だった。いや、不気味とかそんなレベルではない。

 世界の常識を超えた、理を壊した世界線に、俺達は足を踏み入れてしまったのだ。


 化け物から命令された男二人はゆっくりと後ろに振り向く。

 ここからでは男二人の表情が見えなかったが、俺は女二人の表情を見て全てを察した。

 

 涙をポロポロと両目から垂らしながら二人ともがっしりと両手を掴んでいる。

 上目遣いで、「助けて」と小声で連呼し、俺と同じように尿を漏らしながら——。 

 

 あまりにも情けない姿だった。

 良い歳して子供のように失禁し、あられもない姿を公に晒す。

 

 先程俺を笑っていたとは思えないぐらいみっともなく、——無様だった。

 こんな姿を見せられて笑わない奴はいないだろう。本来ならば俺も声を大にして、指差しながら高らかに笑っていたはずだ。

 

 しかし状況が状況である。こんな状況じゃ笑うにも笑えない。

 今は軽蔑の感情なんて無く、俺の心は同情の感情で埋め尽くされていた。


 このままじゃまずい。せめて、せめてあの二人だけでも助けないと!


「ま——」


 俺が言葉を発する前に、全ての事象は終わりを告げた。

 男二人が素早い動きで振り抜いた手刀が、女二人の首を綺麗に跳ねたのだ。


 勢いよく吹っ飛んだ二人の頭は左右の扉と衝突して諸々を撒き散らし、残された胴体は前のめりに倒れる。

 惨すぎる現場だったが、大量に飛び散った血飛沫のお陰で殆んどの部分が覆い隠され、多少はマシになっていた。


 ——俺は手を差し伸べようとした。しかし間に合わなかった。これは仕方のないことだ。あの二人が死ぬ運命は既に決まっていのだ。


「オエェェェェェェェ」 

 

 俺は運命に抗うことなく、四つん這いになって嘔吐した。

 もう体が限界を迎えていたのである。

 

 恐らく異常事態の連続で脳細胞は何万と壊死し、体が悲鳴をあげているのだろう。

 現にこうして、体調が悪いわけでもないのに嘔吐を繰り返している。


 眼前に倒れている女達の胴体。

 そしてそれを歯を軋ませながら狂気の笑顔で見下す男二人、いや——化け物二体。


 そんな地獄のような光景の中、今にも死に絶えそうな黒焦げの化け物が僅かに口を開いた。


「ちが…… う。そ…… いつ…… ら…… では…… な…… い」


 ほんとに小さな声量であったが、俺の耳にははっきりとそれが聞こえた。「違う」そう奴は言ったのだ。


 俺は奴の言っていることがよくわからなかった。なにが違うんだ? 男二人を化け物に変えて、女二人を無惨に殺して、それが違うだと?

 お前のせいで、お前がこの場所にやって来たせいで、四人が殺害されたんだぞ。それのなにが違う?


 いや、なにも違くない。お前がこの世に存在してはいけないという事実はなんにも違くはない。

 そもそもお前は一体何者なんだ。なんで全身が焼け焦げている? なんでその状態で立っている? なんで男達は死なずに化け物に変わってしまった? 

 

 浮かび上げたらキリがないほど疑問。

 しかし数多の疑問の中、確実な答えが俺の頭の中には存在していた。


 ——刹那、俺が脳内で喋っている間、事態は展開を迎えた。

 化け物が喋った途端、急に男二人が動き出したのである。


 二人は互いに正面を向くと、右手を広げて互いの顔をがっしりと掴みあったのだ。

 そして——


「シッパイ。オンナ、チガッタ」 

「グギギ、グギギ。シッパイ、シッパイ」

「シッパイ、ハ、シ」

 

 そんなやり取りを残しながら、二人は互いの顔を右手で握りつぶし——死亡した。


「……」

 

 もう俺は声を出すことすらままならなかった。

 ド派手に舞った血飛沫は蛍光灯を赤色に染め、車両を紅く照らす。

 更に俺の頬を直撃したまま背後の席にまで飛び散った。


 俺は頬にかかった血を右手で拭き取ってまじまじと見つめる。

 軽く広げた右手は痙攣しているかのように大きく震え、瞳孔も穿っているのがはっきりとわかった。


 ——逃げろ。そう本能が俺に対して命令してきた。

 目の前に転がる四つの死体。そしてこのまま何もしなければ、この車両に五つ目の死体が転がるかもしれない。

 

 ——立て、立ち上がれ。脚を動かせ、身体を動かせ。逃げろ、ここから、今すぐに!


「だめだ」


 心の声が喉元を通り腑抜けた声となって外に出る。

 そう、俺は、俺の体は、もう——死を受け入れていたのだ。


 抜けた腰が動けないと駄々をこね、震える両脚が己の役目を放棄している。

 唯一活動しているのは心臓のみ。それも普段の何倍も元気よく命の音を鳴らしていたのだ。

 この先訪れる未来を知っているからか、せめて最後ぐらいは派手な音色を響かせようとしているかのように。


 一方で、立ち上がった化け物の方は小さな呼吸を荒げながら、床に転がった男二人の死体を見下ろしている。

 一体どんな表情をしているのか、どんな感情に浸っているのか聞いてみたかったが、生憎今の俺にはそのような余裕はない。

 

 それに聞くだけ無駄だろう。

 何故なら俺は人間だからだ。人間が化け物のことを知ろうなんてはなから無理な話なのだ。

 

 そのときだ、先程まで男二人に向けていた化け物の瞳がゆっくりと動き始め、ついに俺の方へと向けられた。

 目と目とが合い、今にも凍てつくような視線を浴びた俺の額からはこれでもかと汗が湧き出る。


「こい…… つら…… は…… だ…… めか」

 

 その言葉の意味を理解するのに一秒もかからなかった。

 「こいつらはだめ」、そしてこちらに向いている希望を孕んだ恐怖の視線。


 それはそれは、わかりやすいものだった。

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