第7話 イタズラなささやき
猪俣 智司の朝は遅い。
いつもなら朝食の筈がいつも以上に遅れていた。
目を覚ますどころか起きる気配すらなかった。
そんな猪俣 智司を放っておけない一ノ瀬 涼香がいた。
すでに起き朝食の準備を終えていた。
ほんの少し前はパジャマ姿だった。今は人前に出られる恰好をしていた。
昨日は邪見扱いしたエプロンが良く似合っていた。
それにしても朝食が整ったというのに猪俣 智司はいまだに起きなかった。
これでは冷めてしまうと一ノ瀬 涼香は秘策を掲げ歩き始めた。
一ノ瀬 涼香の秘策とは起こすために猪俣 智司の耳元でささやくだった。
今までの恩返しも兼ねてやるにしてはイタズラ混じりのささやきだと言えた。
ゆっくりと寝起きにさせまいと近付き猪俣 智司まで辿り着いた。
ソファで横になっていることを確認するとこれまたゆっくりと耳元に口を寄せた。
もうここまでくるとイタズラな小悪魔が宿っていた。
一ノ瀬 涼香は頬を緩ますと静かに喉元から吐息混じりの声を出し始めた。
「もしもーし。猪俣くーん。朝ですよ~」
余りに福音過ぎたのかむしろ居心地が良い夢へと誘ったように感じた。
無理に起こすのではなく声だけを使っているところがもう反則に小悪魔だった。
やめる気配はなく一ノ瀬 涼香は続けようとイタズラ混じりのささやきに徹した。
「フフ。私のことは好きでも朝は嫌いですか~。猪俣くーん」
普段は本人の前では言い難いことでも今なら言えると一ノ瀬 涼香は可愛くなっていた。
こんなことをされても起きないなんて猪俣 智司の朝は鈍感にもほどがあった。
たとえ昨日の疲れが残っていたとしても余りに起きないのは失礼だと言えた。
「むぅ。猪俣くんって失礼だね。でもそれでも……大好きだよ。私だけの猪俣くんでいてね、お願いだから」
頬が膨れた。さすがの一ノ瀬 涼香でも失礼だと感じた。
でもそれでもと頬から空気を抜きまさに典型的な大好き発言を口にした。次の瞬間――。
目を覚ますと同時に起き上がる猪俣 智司がいた。
「あ……起きたんだ。あれ? もしかして起きてた?」
実は起きていたなんてことはなかった。でも夢の中で本当に一ノ瀬 涼香が現れていた。
詳しい記憶はないが実に頼りにされていたように感じていた。とても温かい幸せな一時だった。
過去には戻れないからこそに今を大切に生きようと猪俣 智司は寝惚けながらも思い始めた。
「不思議だな、夢でも現れるなんて。昨日の内に言えなかったことが夢の中で言えた」
夢心地な現実で一ノ瀬 涼香が素直に言っていたのと同じだ。
起きる前の猪俣 智司は夢の中で一ノ瀬 涼香と会い昨日の夜に言えなかったことを言っていた。
俺も守るから。諦めないから。一緒にいようって夢の中で言っていた。
「へへ。私も……言えたんだよ? 現実なのに。不思議だね? 猪俣くん!」
二人だけの秘密が出来上がった。
実にもどかしい雰囲気が襲っているはずなのに二人は実に幸せそうだった。
幸せの香りに続いてなんだかいい匂いがしてきていた。
「ところでなんの匂い?」
すっかり忘れ去られていた朝食が俺もいるぞと言わんばかりに匂いを発していた。
四角いミニテーブルの上には食器が並んでおり今すぐにでも朝食が食べられそうだった。
食べる前に一ノ瀬 涼香は思い出し開けていないカーテンに移動し始めた。
「ああ!? 作ってくれたのか!? 俺の分も!?」
一ノ瀬 涼香が退いたことで目の前の状況が確認出来た。
匂いの正体が分かったところで一ノ瀬 涼香の手によってカーテンは開いた。
眩しい日差しと共に部屋は光に溢れより鮮明に辺りが映し出された。
「さぁ! 食べよう! 猪俣くん!」
まるで後光を得た天使のように一ノ瀬 涼香が尊い存在に見えた。
こんなにも人から後押しされて食べたことはないと猪俣 智司は固唾を呑み込んだ。
幸せな一時に猪俣 智司は改め直し意気揚々とし始めた。
「ああ! 助かるよ! 一ノ瀬さん! 残さずに食べよう!」
起きたてでまだ寝惚け気味かも知れなかった。
でもそれでも残さずに食べないと罰が当たると思い込んだ。
こうして二人は四角いミニテーブルを挟み朝食を頂くことにしたのだった。
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