青龍国伝奇 ——捨てられ公主と龍の末裔——

碧月 葉

第1章 雲従龍

第1話 踏んでいますよ

「……あの、踏んでいますよ」


「はい?」


 誰もいるはずのない山道で突然話しかけられた。

 思わず返事をして、キョロキョロと周りを見渡したけれど、やっぱり誰の姿も見えない。

 狐狸が悪戯でもしているのかしら?

 

 うーんと、こんな時は……。

 私は頭を下げて、股の間から周囲を窺った。

 「逆さ覗き」は、お母さんが教えてくれたお呪い。相手の正体を見抜くってやつなんだけれど……。


 さわっと春の風が吹き抜けていく。


 景色は変わらない。

 さっきのは空耳かな?

 なんて思っていると、遠慮がちな声が再び降ってきた。


「ええと、上なのですが……」


(上?)


 ガバッと体を起こして、見上げると……

 柔らかい緑の葉々の、更に上にそれは居た。

 息をするのも忘れてしまうくらい見事な白銀の龍が。

 銀の立髪がなびき、乳白色の艶やかな鱗は太陽の光を受けて所々虹色にゆらめいている。

 その瞳は濃い紫みの鮮やかな青色。


—— 綺麗。


 先程の遠慮がちな声からは想像出来ない、堂々とした姿で龍は浮かんでいる。


「……その、まだ踏んでらっしゃるんですが」

 

 再び控え目に声がかかった。


 踏んでいる?


 美しい彼から地上に伸びるきらきらした尾は、桧の枝にゆるくかかり、そのまま地面に垂れて、その先っぽは……私の足の下にあった。


 この銀色のふさふさ、草じゃない!


「ごめんなさいっ! 痛かった?」


 私はぴょんと跳ねて退けると、尻尾の先端を拾ってパタパタと土埃を払ったあと、毛並みを整えながら謝った。


「痛くはないですけれど、驚いた……かな。俺を踏む者がいるなんて……」


 龍は尻尾をふわりと揺らした。

 初対面の相手を踏んづけるなんて、我ながら失礼が過ぎる。


「本当にごめんなさい。ちょっと、考え事をしていて……ぼーっとしすぎだった」


「君は妖なのですか?」


 龍は私の目をじっと見つめた。


「まさか! ただの人。だと思うけど……」


「ただの人がこんな山奥になぜ?」


「この山の泉に水汲みに来たの。今日が初めてじゃなくて、たまに来てるよ。ここの『神水』体調不良に良く効くから」


「神水? 申し訳ないけれど、それ迷信ですよ。あの泉に特別な薬効なんてないはずです。それこそただの水で」


「そう? 効いたけどな。こう見えて私、物凄く虚弱なの。よく発作が起きて高熱を出して倒れたり。でもね、ここの泉の水を飲むようになってから、それが殆ど出なくなったの」


「うーん。そんな事ありますかねぇ……」


 龍は首を傾げるような仕草をした。

 何だか可愛らしい。

 声も若いし、見た目じゃ分からないけれど、まだ若い龍なのかもしれない。


「あ! まさか。俺、あそこでよく泳いでるから……汗とか溶けたかな? ……そうだと、効くとしたら、呪いに対してか……あとは……」


 ぶつぶつ呟く龍の言葉の中には、泳ぐ? 汗? など色々反応したいものがあったけれど一番気になるのは……

「呪い」って何⁈


「ええ⁈ 嘘ぉ、私、呪われてるの?」


 思わず叫んでしまった。


「いや、その、水に効能があるとしたらの話で例えばですよ。病というのは気持ちからくる場合もあります。ですから単に泉の水が効くと信じるから効いているのかもしれませんし」


「呪い……やだな、呪われてる?……」


 動揺した私がブツブツ言っていると、見かねた龍が声をかけてきた。


「気になります? これも何かの縁ですし……よろしければ見ましょうか? 呪いが掛かっているかどうかを」


「できるの?」


「簡単ですよ。じゃあ、こっちを向いてごらん」


 瑠璃色の瞳と目が合う。

 銀龍は頭を下げてきて、ふうと息を吐いた。

 ひんやりとした風、冬の森のような澄んだ匂いがする。

 

「…………」


「どう? 呪われてそう?」


「いや、大丈夫。呪いはないようです。ただ……君、本当に人間ですか?」


 龍は首を傾げている。


「生まれてこの方、人間じゃないことなんて無かったと思うけど」


 私も首を傾けた。


「そうですか…… では、うん、なるほど。呪いは無いけれど……どうやら泉の水は君には効くみたいですね」


 どういう事なのか、私はさっぱりなんだけれど龍はひとりで納得して頷いている。


「ふふふ、長く生きていると、このようにおかしな事もあるのですね。……うん、面白い。今日ここで君に出会えて良かった」


「私もあなたに会えて良かった。素敵な龍に会えるなんて縁起がいい。何かとても良いことが起こりそうって思うよ」


「光栄ですよ、可愛いお嬢さん。これからも健やかな毎日を送ってくださいね。君の人生に幸多からんことを。では、さようなら」


 龍が微笑んだように見えた。

 ふと、この美しい生き物と別れるのが酷く寂しく感じた。

 もう、二度と会うことはないの? 

 それは、嫌だよ。

 だから……


—— 欲しい。


 このまま逃したくない。彼が欲しい。そう思ってしまった。


「はぅ…………⁈ 君、一体、何をっ」


 急に龍がふるふると身を震わせた。

 そしてさっきまでとは違う、鋭い目で私を睨んでいる。

 もしかして、心を読んだりしたのかな? それで「無礼者」って怒っているのかも。


「ごめんなさい。ちょっと飼ってみたいと思ったりして」


「飼う? 俺をですか⁈」


 火に油を注いだ⁈

 息も荒く、龍の声は落ち着きを失っている。

 

「いや、だからその、綺麗でカッコいいから一緒に居れたらいいなって一瞬そう思ってしまって。いや、でも、ごめんなさい。重ね重ね失礼なことを……怒らないで、できれば忘れて、許して欲しいです」


 私が言い訳と謝罪を連ねていると、龍は瞳を閉じてうっすら青白く光った。


「ふぅ……自分に鎮静の術をかける日がくるなんて……全く、ここ数百年で一番の衝撃なので、忘れられそうにありませんよ。さて、どうしましょうか……どうせ俺にとっては、ほんのひととき。君の無邪気なお願いに付き合うのもまた一興か……なんて思うのですが」


 目の前の龍は瑠璃色の瞳に悪戯な光を浮かべてこちらを見ている。

 

 さやさやと梢が揺れ、その上に浮かぶ龍のたてがみがさらさら揺れて輝く。


 本当に綺麗な生き物だな。


 なんて、改めてその姿に見惚れていると龍は言った。


「良いでしょう。君に飼われてあげます」

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