意外すぎる一面

 ……とまあ、それがエレノアと初めて交わした、まともな会話だった。

 でも、その日から、何かが変わったというわけじゃない。

 相変わらず交流と呼べるものはなく、僕はエレノアを影から見ているだけ。

 エレノアの方も、僕じゃなく女の子に言い寄っていた。

 お互い、大切な存在というわけじゃなかった。

 でも、この後僕らは、唯一無二の相手とも呼べる関係になっていく。

 そのきっかけは、ある日、橋の上での思わぬ邂逅であった。

 

 その日僕は、戦闘訓練の授業に参加していた。

 生まれたての天使は、一定期間、旧時代の学生のように集団で学び、能力を磨いていく。

 でもどちらかというか、それは心を鍛えるためのもので、その理由は至ってシンプル。

 心そのものが、僕らの力の源だから。

 星のエネルギーより前に、心が生む心力が、天使を駆動させているのだ。

 心が強くなればなるほど天使は強くなるし、弱ければ弱いほど天使は弱くなる。

 だからこそ、自信や一体感、仲間意識というものはとても大事で、それを育むために、授業のカリキュラムが組まれているのだった。

 

「……」

「……」

 

 仮想空間、真っ白な世界の中で、僕は空に浮かび武器を構えていた。

 無骨な盾に、片手剣。

 天使の一般的な武装にして、初期装備とも言える代物だった。

 僕と向かい合うように飛んでいる天使も、同じものを持っていた。

 

「来いよ、盾持ち。お前になんか負けてやらねえ!」

 

 彼は馬鹿にするように挑発的した。

 攻撃的なその態度に、僕の体が硬直する。

 天使はそれにニヤリと笑い……、

 

「来ないのなら、こっちから行くぞ! 臆病者!!」

 

 バン!! 

 宙を蹴って、一気に肉薄してきた!!

 

「……っ!!」

 

 僕はすっかり怖気付いていた。

 機械の翼から大気中のエネルギーを取り込んで、必死にエンジンを吹かせ、後ろへ飛んでいく。

 その逃げっぷりは脱兎のようだったと、後に仲間は言った。

 

 でも、弱気な心は能力に影響を及ぼす。

 気迫で負けている僕が、相手に叶うわけがなかった。

 彼はすぐに追いついてきて、鋭い刺突を突いてきた。

 

「あ……」

 

 そこで反撃すれば良いのに、僕は剣で受け止めることしか出来なかった。

 結果として当たりどころが悪かったのか、叩き落とされてしまう。

 残されたのは、防具である盾。

 攻撃する手段が、何処にもない。

 

「お前はやっぱ、その姿がお似合いだよな、“盾持ち”」

 

 繰り出される練撃。

 必死に盾で防ぐけど、ジリジリそのまま押される。

 そして、とどめの一撃で、墜落。

 僕はまた負けた。

 

「またか、五十番!! 何度やっても駄目だな!!」

 

 仮想空間が出て現実に戻ると、教官から怒鳴られた。

 僕は項垂れた。周囲には子供の天使達がいて、僕をドッと笑い物にした。

 よくあることだ。

 

「もう貴様には期待せん。このまま戦場で死ね、五十番!!」

「……はい」

 

 弱々しく返事をすれば、教官はもうようは澄んだとばかり、他の子の元へと行ってしまった。

 僕はポツンと一人ぼっち。近寄ってくるものも、大抵僕を揶揄うやつで、盾持ち、盾持ちと嘲笑う。

 

「お前役に立たない木偶の棒!」

「教官の言う通り、戦場で死ぬのがお似合いね!」

 

 口々に言う言葉は、教官が僕に対していつも言っていること。

 彼らは教官を真似しているのだ。

 それもこれも、教官が僕を劣等生として扱い、最底辺の存在として晒し者にしているから。

 そうすることで、他の天使の優越感を増長させているのだ。

 汚いが、上手い手だ。

 僕がやられればやられるだけ、周りの子は強くなっていく。

 

「ったく、……もう嫌になるな」

 

 他の天使が居なくなって、僕はようやくぽつりと呟いた。

 泣けてくるが、もう慣れた事だ。

 強くなれない僕が悪い。

 それよりも、気分を切り替えないと。

 

「よし、あそこ行くかぁ」

 

 僕はお気に入りの場所に行くことにした。

 そこは忘れられた区画と区画を繋ぐ橋で、剥き出しなこともあって少し危険な場所だ。

 でも、大河のせせらぎは気持ちよく、そこへ行くと安らかな気持ちになれるのだった。

 きっと今回も、一人楽に過ごせ──

 

「……、なんじゃありゃあ……」

 

 橋に着いた途端。

 僕は思わず呆れ顔というか、困った顔になってしまった。

 

 原因は、橋の隅っこの方にいる巨女だ。

 巨女は黒髪のポニーテールで、床に体育座りで座り、膝に顔を埋めていた。

 

「うぅ……ぐすぐす、びえ……びええ……」

 

 そしてみっともなく、泣いている。

 その巨女を以前から何度も見たことがあったが、しかし普段とはあまりに違うこの姿に、僕は別人じゃないかと疑った。

 というか、認めたくなかった。

 でも気配に気づき、上げられたその顔は、やっぱり見覚えがあった。

 彼女はエレノアだった。

 

「……っ、……っ、〜〜〜〜っ!」

 

 こちらを見るや否や、エレノアは放心したように固まった。

 今、奴の脳内は、エラーの文字で埋め尽くされているに違いない。

 やがて、しばらくして状況に気づいたのか、真っ赤になった目を大きく見開いて、あわあわとし始めた。

 その表情に、凛々しさなんてものはなかった。

 あるのはか弱い乙女のような、あるいは幼い少女のような、そんな顔である。

 

「……」

 

 対して、僕もぽかんとして、固まっていた。

 だって、あのエレノアが……あのエレノアが、なんか弱い姿を晒しているのだ。

 その事実だけで、僕には物凄い衝撃だった。

 そして、何か見てはいけないものを見てしまった感がハンパない。

 

 しばし重たい沈黙が流れ、川のせせらぎの音が妙に響く。

 非常に気まずい。

 どうしよう。

 何を喋れば良いんだ、これ。

 

「えと……何……泣いてるんだ?」

「……」

 

 なんとか口を開いたものの、出たのはそんな当たり感触のない質問だった。

 エレノアは何も答えない。

 答えないどころか、また膝の上に顔を埋めた。

 無視されたのか?

 思わず抗議しようと、僕は彼女の側に近づいた。

 その時。

 

「そっちこそ、何でここにいんのさぁ。ここ私だけの場所のはずでしょぉ……」

 

 弱々しい声で、逆に質問された。

 僕は恥ずかしさで頬を掻く。

 

「いや、ここ僕のお気に入りの場所でもあるので」

「……うっそだあ。だって、一ヶ月ここに来てたけど、こなかったじゃん。信じないもん」

 

 もん、て。

 こいつこんな口調していたっけ。

 普段とギャップあり過ぎんだろ。

 やっぱ誰よ、こいつ。

 

「うう……見られたぁ、見られちゃったよぉ……」

 

 エレノアは弱気な態度で頭を抱えた。

 相当今の姿を見られたくなかったらしい。

 まあ、いつもの行動を考えると当然か。

 僕でさえ困惑してんだから、このことが広まれば、とんでもないことになるだろう。

 

「……その、何だ。人にも秘密の一つや二つ、あるよな。うん」

 

 気に入らなかった奴なのに、何だか急に気の毒に思えて、僕はエレノアの肩に手を置いた。

 エレノアは、めそめそ、しばらく泣いた。

 

「優しくするなあ……、辛いだけだってぇ、そういうのぉ。……余計なお世話だよぉ」

「……めんどくさ」

 

 せっかくの気遣いなのに、態度が悪い。

 思わず僕は文句を口にする。するとエレノアは僅かだけ顔を上げてこちらを見て、ムッとした目になった。

 

「何だよぉ、急に冷たくなるなよぉ」

「アンタが悪いだろうが」

「……」

 

 返す言葉もなかったのか、エレノアは表情を変えずに黙った。

 二回目の沈黙。

 埒があかないので、僕は耐えきれなくなり、彼女の隣に座り込んだ。

 すると、川の流れをじっと見つめているうち、エレノアはおずおずとした様子で聞いてきた。

 

「……ねえ。今の私って、やっぱ変だよ……ね?」

「そりゃあ、まあ。いつもと全然違うし」

「幻滅したとか、出ていけ、とか思った?」

「何で?」

「……いやだって、普通はそうなんじゃないのかなあって」

 

 エレノアは何故か、普段の自信が嘘のように怯えている。

 僕はそのことに少々驚き……妙にほっとして、親近感が湧くのを感じていた。

 今初めて、こいつに好意を持ったかもしんない。

 

「別にそんなことは言わないんで。好きなように振る舞えば?」

 

 なのでぶっきらぼうにそう言ってやった。

 エレノアは数秒はっとしたように息を呑んで……少しだけはにかんだ。

 

「ありがと……」

「……!!」

 

 僕は途端、少し恥ずかしくて顔を逸らした。

 それもこれも、今、少しキュンとなったからだ。

 何でだかは知らん。

 知らんがこう……ギャップがあってだな……、その顔でしおらしい態度をとられると、その……心臓に悪いというか……、でもちょっと悔しいけど可愛いと思った自分もいて──って、ああもう、何だこれ!!

 思考がおかしくなってきたぞ!?

 

「?」

 

 勝手にあたふたしている僕に、エレノアは訝しがるように小首を傾げている。

 僕は堪えきれなくなり、咳払いを一つする。

 そして、最初した質問を再度ぶつけてみた。

 

「……で、アンタは何で泣いてたんだよ」

「ふっ、それは谷より深く、海より濃い、語りきれえぬほど深刻な──」

「そういうのいいからさっさと話せよ」

「単純に新しい配属先になって、寂しくて不安で辛くて怖くて泣いてました、ごめんなさい!」

 

 若干キレ気味になると、エレノアはやけっぱちに叫んだ。

 泣いていた理由は思ったよりガキっぽかった。

 こんなデッカくて良い年してそうなのに。

 そう思ってると、それが伝わったのだろうか。

 

「……しょーがないでしょ。私まだ生まれたばっかなんだもん! なんなら君より年下なんだもん!」

「え、マジで? アンタ製造されていくつよ」

「んー、と。一ヶ月半!」

 

 本当に僕より年下だった。

 僕が一ヶ月ほど早く生まれ、未だ訓練を受けている身であること考えると……こいつが今ここにいるのはおかしなことだった。

 ついでに、ここまでデカいのもおかしい。

 普通は僕と同じ子供の姿してるはずだろ。

 

「……怪しい。アンタ、本当は年齢を誤魔化してるんじゃないか?」

「っな……失礼だよ! 正真正銘、生まれて一ヶ月半しか経ってないよ! 私がこんな風なのは、私は試作機だからよ!」

 

 ぷんぷんと擬音がつくほどに怒るエレノア。

 一方で俺は、聞き慣れぬ言葉に眉を寄せた。

 

「試作機? 何だそりゃ」

「……文字通りの意味だよ。私は実験個体だったの」

 

 そこからエレノアは、自分の出自について語り始めた。

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