第51話 舛上紅羽の説得
紅羽は、佐音綱紀が自首したと聞いた日の夜、椋を初めて自室に呼んだ。
椋はドアをノックし部屋に入ると中をキョロキョロ見回しながら「何か用?」と突っ慳貪な口の利き方をしソファに掛ける。
「綱紀が自首したんですって、あなたどう思う?」紅羽は対座し質問を投げかけた。
「さー、奴がやったことならそれで良いんじゃない」
「椋、あの日の午後8時頃私が風呂に入ろうとしたら、あなた外へ出て裏庭で何かをしてたわよねぇ。何してたの?」
椋は仏頂面をして視線を天井に向けて何かを考えている。
「どうしたの? 答えられないの?」
追い打ちを掛けるように訊く。
「なんもしてない。散歩してただけだ」
その返事がまるで叱られてるときの子供のようで、可笑しくて、クククと小さく笑ってしまった。
椋は紅羽の反応が理解できないのだろう「なんだよ、何が可笑しい?」口を尖らせて余計子供みたいだ。
「あなたが私をどう思ってるのか知らないけど、私はあなたの母親なの! 子供の仕草を見たらだいたいわかるのよ、言いたい事、やりたい事、それにしてしまった事もね」
椋を正視する。椋は微かに眉間に皺を寄せて、瞳を震わせこの場を逃げようと思っているようだ。
「あなたは、舛上コーポレーション株式会社の社長として不適格だわ!」
強く冷たく言い放ったら椋は目を見開いた。
「なんでだよ! 俺は親父の言う通りにやってきた。業績だって落ちちゃぁいない、ろくに会社経営をしたこともないくせに何言ってんだっ!」
椋の本領発揮といったところだが、所詮、井の中の蛙、世間を知らなさすぎる。
「あなた、海陽以外のだれから経営の実際を学んだの?」
「理論は大学、実践は親父だ」
「だから、海陽以外の誰から学んだかと訊いてるのよ」
「そんな奴いねぇ」
「だからダメなのよ、あなたは! 子会社、下請け、関連会社に取引先の会社、多くの社長さん方と会っているのに、あなたには受容力が無いの、海陽と同じにね。あなたは、賢人でも無ければ神様や仏様でも無いのよ! ただの人。だから、海陽みたいに社長だからって踏ん反り返っていては成長はないし尊敬もされない。海陽なんて死んだら悪口しか言われてない。この会社は大きな会社だから、魅力ある会社にして従業員を大切にして、関連するすべての会社には敬意を払って、共に成長をしてゆく。これが日本庶民銀行五条会長の基本姿勢なのよ」
「そんな甘いこと言ってたら、会社は潰れる。厳しくしないと従業員も関連会社もつけあがって、結局利益が伸びない。ダメだそんな考え!」
「ふふふ、正に、井の中の蛙大海を知らず、ね。だから、あなたには会社を辞めてもらう」
「何言ってんだ! 俺がいないと会社が潰れる。ダメだ! お前何言い出すんだ!」
椋の顔色が変わる。頭に血が上ってこれ以上この話は感情論になる、そう思って話題を戻す。
「この話は、別の機会があればそこでしましょ。それより椋! あなた自首しなさい!」
椋が落ち着かなくなった。貧乏揺すりを始めた。
「あなた、海陽を殺害したでしょう。母さんお前が飲みに出る前に書斎のトイレに外から何かをしてるの見てたのよ!」
「俺は知らない。親父を殺したのは俺じゃない! 親なら子供を信じろや!」
「ふふっ、あなたは私を親だと思ってるの? あなたに直接お母さんって言われた記憶ないけど?」
「……」
「綱紀くんは、あなたに世話になったから庇ったのね。あなたはそれを期待した。違う?」
「違う。俺は綱紀に人殺し何か頼んじゃいないし、俺がいないと会社が持たない」
椋の語気が少しずつ弱くなり始めている。顔色は失せたままだ。
「舛上コーポレーション株式会社の次期社長には綱紀くんになってもらう。あなたは知らないでしょうけど、その為に私がお金を出して経営学を学ばせ、日本民衆銀行で秘書として、人、物、金を3年間学んでもらったのよ。とは言ってもいきなり社長業は無理だから、私の秘書として働いてもらいながら学んでもらうし他の役員には社長をサポートするよう厳命するつもりよ」
「俺はどうなるんだ?」
「あなたは刑務所で自分の蛮行を反省してくるのよ。あなたは、高屋敷さんご夫妻の子供。それは今でも変わらないはず。ご夫妻が死んだってその思い、愛情は変わらないでしょう。それは私も同じ。綱紀は私が天塩にかけて育てた大切な子供よ。海陽みたいに血が繋がっていないから「さよなら」みたいな真似できないのが普通の人間よ。長年一緒にいたら愛情も湧くし、強くて太い絆もできる。だから、あなたが高屋敷夫妻が海陽によって殺害されたと知って復讐したんでしょ? その気持ちは分かるわ。分かるけど復讐が終わったら何故自首しない! 高屋敷さんの墓前に何て報告するの? 復讐しました。その罪を無関係な人に押し付けて僕は自由ですって言うの? それで高屋敷さんのお父さん、お母さんに恥ずかしくないの? 高屋敷さんもそういう人だったの?」
「違う! お父さんも、お母さんもとっても優しくって、思いやりがあって、正義感だって人一倍持ってた。俺は尊敬してたし大好きだった。……だから、だから、許せなかった。本当の親が俺の一番大事な親を殺すなんて……だから、だから、復讐したんだ」
やっと、自供した。
「じゃ、自首するね? 明日、付き添うかい?」
「いや、一人で行く」
「あなたは、私の子供だけど、私の夫の仇なの。私は、あなたの母親だけど、あなたの養父母を殺害した犯人の妻。こんな、仇同士が一つ屋根の下には住めないわよね」
「ああ、そうだな。もう二度とこの家の敷居を跨がないよ」
その夜は流石に眠れなかった。ああは言ったが椋は自分がお腹を痛めた子、やはり可愛い。血を分けた子というものはこういうものなんだと強く感じる。海陽が高屋敷さんご夫妻を殺害するなんてバカなことをしなければ、親が四人に子供が二人で一つの家族みたいな付き合いができたんじゃないかなぁ、という思いが心に染み入って無念さが込み上げる。
翌日、紅羽が鏡に向かうと目が真っ赤。それでも行かないわけには行かない。化粧をし一人浅草署に出向き、自首した綱紀に面会したいと丘頭警部に申し入れた。
「警部さん、綱紀は無実です。夕べ椋が海陽殺害を認めました。自首するように勧めましたのでここへ来ると思います。ですから、綱紀に会わせて下さい、自首を撤回させますから」
「そうですか、実は椋さんが犯人であることは分かっています。今、その証拠集めを全力でやっているところなのよ。ですから、いずれ綱紀さんは釈放されます。だから、いいわ、会って自首を撤回させてください」
取調室で久し振りに会った綱紀は、少しやつれたようだ。覇気がなくまるで殺人犯のようだ。
紅羽の顔を見て瞳を濡らしている。やはり、綱紀は自分の子供だと改めて実感する。
「元気なの? 体調崩してないの?」
普通の母親なら先ずは口にしたい言葉を口にした。
綱紀は、黙って頷いた。
紅羽は、気合を入れて元気にさせようと、心がけて明るく話す。
「椋が自首するわよ」
そう言うと、綱紀はピクリと眉を動かして、信じられないという顔をし紅羽を凝視する。
「夕べ、椋と話したの。親を殺された子供の気持ちについて。それと、あなたに恩を売って、あなたが忖度するように仕向けたことも。でも、そうやっても、養父母の高屋敷さんご夫婦のお墓に行ってなんて報告するのって言ったら、漸く分かってくれたみたいなの。どう? 感想は?」
「えっ、えぇ、えー、……」
「何? なんで『え』しか言わないの?」
綱紀も可愛い子供。返事に困ると昔からこうなる。思わず嬉しく、楽しく、微笑みが顔にでちゃう。
「椋には、はっきりと社長は継がせないと言ったわよ。そして、綱紀! あなたが次期の社長になるのよ! 良いわね。取り敢えずは私が社長を務め、あなたは秘書。で、社長業を覚えて欲しい。海陽のような、椋のような社長には絶対になって欲しくない」
「はい、紅羽母さんの親の銀行でそれは確り教わりましたから。でも、俺なんかが社長で、良いのかな?」
綱紀は嬉しいのか、嫌なのか、不安なのか、複雑な表情で紅羽を見詰めている。
「ふふふ、それは、綱紀! なって見なければ分からないってね。警察も椋が犯人だと特定して今証拠を集めている最中らしいわよ。あなた、警察の邪魔しないでさっさと自首は間違いでしたって言いなさいよ!」
「でも、お母さん、血が繋がってないのにどうしてそこまで俺を?」
「ふふっ、15年よ、あなたと暮らしてたの。生まれたばかりの赤ん坊の時から、生意気な口を利くようになった15歳の高校生まで、その間、怪我もあったし病気もあった、あちこちの友達の家に頭下げにも行ったわよね。そうそう、私が熱出したらあなた心配して学校から真っすぐ帰って来て、熱あるかなっておでこに手を当ててくれた。それに旅行もしたし遊園地にも行った。物凄く沢山の思い出を綱紀は私にくれた。だから、綱紀を命に代えても大切に育てなくっちゃと思った。血の繋がりって何? 二人が死にそうで一人しか助けられないとしたら、私は迷わず綱紀を助ける。綱紀と私の間には血よりも濃くて強くて太い絆で繋がってるの。それは、これからも変わらない。だから、嘘の自白は止めて、お願い!」
「分かった。ごめん。迷惑かけた」
綱紀はそう言って俯き恥ずかしそうに袖で目を拭っている。
思わず紅羽も涙を零した。
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