第36話 丘頭桃子警部の捜査(その10)

 一心を誘拐しようとし怪我をさせた黒スーツの男について捜査を始めた。何と言っても最初に思い当たるのは舛上家の秘書6名だ。同じような黒スーツに同じような黒のワゴンに乗っている。彼らの年齢は40から50代だから、一心の受けた印象より若干歳を食ってる感じだが、任意での捜査協力を依頼すべく部下数名を連れて舛上宅の車寄せに着いたところだ。

 9月に入っても真夏日が続く。捜査員も半袖姿だが手に持つハンカチは汗でべちょべちょで顔を拭くのが気持ち悪いくらいべたつく。庭の木々は青々とし蝉の声が五月蠅いくらいでいらつかせる。花々も暑さのせいかしんなりしているように見える。芝だけが色を濃くして溌溂と真夏の続きを謳歌しているようだ。

 ドアが開くと涼しい風が丘頭警部の頬を撫でる。ふ~っと一息ついて、目の前の秘書に手帳を見せる。

丁寧な挨拶をされた後、秘書の皆さんに話を伺いたいと告げる。

「どうぞ」秘書は無機質に答え丘頭警部らを応接室へ案内する。

 ややあって、秘書長の氷見が姿を現す。

「今、3名は社長と共に会社へ行っております。午後3時には戻る予定です」

時計を見ると今は午後1時半過ぎ。

「じゃ、3名の方は帰りを待ちます。氷見さんの他にいるのはどなた?」

「大樹と利根埼の二人です」

「先ず、氷見さんからよろしいですか?」

質す内容は事前に打ち合わせ済みだ。昨日の、午後1時から午後4時までの行動と、18年前の5月13日の行動についてだ。それと、念のため秘書用の車の中の確認。もちろん任意だから拒否されるかもしれないことは承知の上だ。

「氷見さん、ネット上の誹謗中傷の件、どうなりました?」

氷見は済まなかったと丘頭警部に電話したことを詫びる。

「電話した頃がピークだったみたいで、以降みるみる投稿数が減って、政治家の問題発言が報道された時点でほぼ無くなりました。話題が逸れて良かったと思ってます」

ネットは反応も速いが収束も速いものだと改めて教えられたと言う。

一心が襲われたころ、氷見は会田翔太が運転する車の助手席にいて、社長を乗せて数件の客先を訪問し、帰社したのが丁度4時頃だと話す。裏を取るために行先の社名を聞き取りする。

18年前の5月13日の昼前について問う。

「解決済みの、それも交通事故のことを何で訊くんですか?」

「実は、その事を調べようとした探偵。こちらにも来た岡引ですよ。彼が、襲われまして、車に連れ込まれたのを間一髪救出したという事件があったもんですから、関係者全員に再度お話を聞いて回ってるのよ。ごめんなさいね、煩わしいかもしれませんが一応誘拐傷害事件の捜査なんで協力をお願いしますね」

「はぁ~、前に警察に言ったとおり、私はお休みで東京ドームでプロ野球の観戦に行ってたんですよ。もう捨てちゃって無いですけど、観戦チケットを警察に見せたはずですよ」

「確かに、記録は残ってます。そこで知合いに会いませんでした?」

「それも言いましたが、あんな広い所で知合いに会うなんて、砂丘で落とした指輪を探すようなもんだって」

「確かにね。で、お帰りは?」

「午後6時ころでした」

「もう一点、現在使っている車の中を見させて貰えませんか。任意なので断っても良いんですが」

丘頭警部は氷見の眉を読もうと注目したが、氷見は泰然自若として「どうぞ」と車庫へ案内してくれた。

20分ほど掛けて車2台の後部座席とトランクに着目して、髪の毛や埃、土などを採取した。

どの車のトランクにも作業服と手袋、靴、帽子、ヘルメットなどがあった。ただ、主に連二が運転するという車に長い髪の毛が1本落ちていた。その他にも花粉、ほこりのようなものが付着していたので採取した。氷見はそれらの作業用具を使ったことは無いと言う。

部屋に戻って、氷見に髪の毛を1本提供してもらい寒井大樹に交代してもらう。

 寒井は昨日は休みで鎌倉の実家に帰っていたと言うので、念のため連絡先を訊く。

18年前は社長のお供で自分が運転してゴルフ場でプレイの終わるのを待っていたと言う。場所を訊くと現場からほど近い北区の河川敷のゴルフ場だし、待っている間ハウスで軽食を取ったりしたが知り合いには会っていないと言う。髪の毛の提供を受ける。

 利根埼恒心は舛上宅で待機だったと言う。特に指示も無かったので部屋で寛いでいたと証言した。三食を家政婦が運んでくれたので確認して欲しいとも言った。

 結局、夕方5時過ぎまでかかって秘書6名の証言と毛髪を手に入れた。

 

 2日後、鑑識からの報告書に私は驚かされた。

任意で提出を受けた秘書の車のトランクにあったロープが佐音姫香を絞殺したものと同じものだった。

直接的な犯行を示す証拠ではないが、急ぎ氷見のいる舛上コーポレーションを訪れた。

氷見に訊くと昔から同じものを用意してあったらしい。

当時、下一けたが「8」の車を運転していた冬月連二を署に呼んで事情を訊いた。

署に出頭してきた時から冬月の様子が2日前とは違っていた。

何を喋るのもとつとつとしている上、目が散っていて指先が微かに震えている。

「どうしたの? 体調でも悪いの?」丘頭警部はそっちを心配したのだが、大丈夫だと返す。

「18年前にあなたが運転していた車が古くなって、8年前に今の車に乗り換えた時、あなたがトランクの中身をそっくり移し替えたんですね?」

「はい」と言う声は何処までも小さく何かに怯えているかのようだ。

「ほかの車にも同じようなものがトランクに詰まれていたんだけど、ほかの車には2本ずつ詰まれているロープがあなたの車には1本しかなかった。どうしてかな?」

「……」

黙っているので、丘頭警部が、「分からないならそう言って頂戴」と答えさせようとするが、目を伏せたまま黙っている。

「それから、トランクの中から発見された僅かな花粉と佐音姫香さんが家の中で植木鉢で育てていたひまわりのそれと一致したんですよねぇ。どういうことでしょうか? 事件の時鉢が床に落とされていたんで、花粉とか土とかが犯人に付着して、それがトランクに入ったと我々は考えたんですが、違いますか?」

それでも暫くは黙ったままだったが、ぼそり「俺です」と聞こえた。

「もう一度言って」丘頭警部が念押しで訊く。

「俺が殺ったんです」

今度ははっきりと聞こえた。

「誰を?」

「佐音姫香さんを……」

「どうして殺したの? 誰かの命令?」

「俺はあの時、椋と綱紀のすり替えられた事が世間に知れると、それがスキャンダルとなって親戚が舛上コーポレーションを奪いに来ると社長が言っていたのを聞いていて、それはまずいと思い、そもそもそんな大事件を引き起こした彼女を憎いと思ったし、情報漏れの出口を塞ごうとして佐音姫香を殺害したんです。部屋を荒らしたのは強盗に見せかけるためと、何か証拠を残していないのかを調べるためだった」

そう冬月は自供した。

 

 その後、冬月連二の単独犯とは思えないので共犯者について糺すが頑として一人で殺ったと主張した。

翌日は人を変えて尋問専門の警官に委ねた。氷見や椋、紅羽にも連日取調室での事情聴取を続けた。舛上宅の家宅捜査も行われた。銀行口座の金の動きも調べた。

 あっという間に1週間が過ぎた。が、共犯の線は浮かんでこなかった。丘頭警部を始め捜査員は全員地団太を踏んだ。

結局、証拠が有り、自供し、動機もある冬月しか起訴できなかった。

 まぁ良いか、一心を襲った男の捜査が思わぬ結果を導いてくれた、瓢箪から駒ってやつだ。一心に感謝だと独笑いする。

 

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