第11話 岡引一心舛上椋の過去を探る
小学校に入る前や小中学校のクラス写真と高校入学後の写真を見比べていた一心は、どうしても納得がいかず、それを確認しようと秘書の氷見に電話を入れた。タイミングが悪く社長は会議中で、終了次第折り返すという返事だったので事務所で待つことにした。
氷見から電話が入ったのは午後1時過ぎで、面会したいと言うと、夕方6時に社長室でという返事だった。
止むを得ずそれまでの間、浅草にいる椋のクラスメイトに会う事にし電話を入れてみた。
浅草橋第三中学校時代のクラスメイトが会ってくれるというので、浅草のカフェで待ち合わせる。
午後2時、コーヒーを啜っているとそれらしい女性が店内をキョロキョロしているので、手を上げて席を立ち女性に近づいて「中谷結奈さんですか?」と声を掛けると、女性は「はい、岡引一心さんですか?」と尋ねるので頷く。
「中学時代の舛上椋さんのことで覚えていることを教えて欲しいのですが?」女性に飲み物を頼んであげてから問いかける。
「私は、彼のことはあまり好きじゃなかったんです。元気が良いと言えばそうなんですが、乱暴者という感じでしたね。しょっちゅう校内で喧嘩しては停学になったりで女の子は皆嫌ってたというか、怖がってました」
「この写真で間違いないですよね」一心はそう言って中学時代の写真だといわれているものを見せた。
中谷結奈はそれを見て頷いた。
「ちょっと、こっちの写真を見て下さい」今度は高校時代の写真を見せる。
「これ舛上くんですか?」中谷は首を傾げて訝しがる。
「はい、そうだと言われて渡された写真なんですが……」
「いや~違いますね。これ舛上くんじゃありません。こんなに大人しそうで頭良さそうな感じありませんもの。そうだわ、今川蒼太くんに聞いてみてください。彼は舛上くんと割と仲良くしてたから」
「今川蒼太くんですね。住所とか電話知りませんか?」
中谷はケータイのアドレス帳を探して電話番号を教えてくれた。
「後何か舛上椋くんのことで覚えていることはありませんか?」
「ごめんなさい。私の眼中には無かった人なのでそのくらいしか……」
「そうですか、いや結構です。ありがとうございました」
一心が礼をいうと彼女は席を立ち会釈をして帰って行った。まだ2時半にしかなっていない。約束の時刻まで間があるので、取り敢えず紹介された今川蒼太に電話をかける。
30分後今川の自宅を訪問した一心は、彼の口から中谷結奈と同じ言葉を耳にすることになった。そして高校生の写真の顔は舛上椋ではないと彼も断言した。
一心は一旦自宅に戻り早めの夕食を取ってから時間を見計らって舛上コーポレーションに向かった。
十二階建ての本社ビルは真っ白な壁面に大きな窓、一階のロビーには受付と様々な展示物が綺麗に区画され並べられている。そこを見て回ると同社の事業内容が分かるようになっているようだ。
受付で「6時に社長と面会予約した岡引一心です」と名乗る。
「少々お待ちください」
電話で面会予約の確認がとれたようで、受話器を置いてロビーのラウンジで待つよう促される。
5分程して制服なのだろう淡いブルー系の半袖ブラウスに少し短めで紺色のスカートを身に纏ったすらっとした美人女性がエレベーターから下りて俺の方へ向かってくる。
「お待たせしました、岡引様ですね。ご案内します」
一心は、美紗もこういうところで何年か働いたら言葉遣いも綺麗になるんだろうなと思いつつ、彼女から数歩遅れて付いてゆく。
エレベーターが9階で止まりドアが開くと、目の前には明るいベージュ色を基調とした幾何学的な模様の入ったふかふかの絨毯が敷き詰められている。そこを少し歩いて「応接1」と表示された部屋へ案内された。
「ただ今、社長が参りますのでお待ちください」
彼女とすれ違い位のタイミングでドアがノックされ、別の女性がドアを開き社長の舛上椋が姿を現す。
「探偵の岡引です。紅羽様のご依頼でお父様の殺人事件の捜査協力をしております」一心は立ち上がって名刺を差し出す。
椋は名刺を一瞥し一心に座るよう促して、自分は足を組んで背もたれに身体を預け対座する。
「そ、よろしくな。で、私に何を訊きたいんだ?」
社長らしくスーツをぴしっと着こなし、高飛車な態度に傲慢な言いよう、聞いてた通りの人のようだ。
「はい、まず事件の日の行動をお聞きしたい」
「ん~、そんな事警察に訊かれて喋ってるが? 同じ事を言うのか?」
「はい、お願いします」
椋は不満を隠すこともせずその気持ちがそのまま顔に表れている。
「確か事件は土曜日の早朝だったよな?」
そうだと頷く。
「金曜日は社で午後5時まで仕事をして自宅へ帰った。8時、居酒屋みちこで友人と待ち合わせ飲み食いして、9時半頃別れその近くの行きつけのスナック蘭に11時頃までいた。その後は街で女を拾いホテルへ行って3時半過ぎまでいて、運転の代行頼んで家に着いたのが朝の4時ってわけだ。ホテルの名前はラバーズ。代行もホテルに頼んだからそこに訊いてくれ」
警察にも何回か同じことを訊かれ、もう答えるのが面倒だと言わんばかりに乱暴で暗記した答えを一気の喋るような口調で言う。
「じゃ、家を出たのが午後8時頃と聞いていたのですが、移動時間があるからもう少し前、7時40分頃ということになりますか?」
「あー、そうだな」
その時間だとガスボンベ一本使った犯行だとするとまだ可能だ。
「わかりました。で、朝は、何時頃起きたんですか?」
「7時。9時に友人と待ち合わせして一緒にゴルフの練習してたら家から親父が死んだと電話がきた。それで友人にその旨話して急いで帰った。以上だ」
「ありがとうございます。居酒屋やスナックでは途中抜けたりしませんでした?」
「いや、俺を疑ってるってことか?」椋はぎろりと鋭い目を一心に向ける。
「ははっ、あらゆる情報を集めている段階で、まだ誰かを疑うという状況ではありません」
「ふ~ん、訊きたいのはそれだけか?」
「訊きずらいんですが、椋さんが高校を中退し翌年別の高校を受験したのはどうしてですか?」
「17、8年前のことが親父の殺人事件と関係があるとでもいうのか?」音量を上げ低く唸るようなトーンに声が変わる。従業員たちはこの野獣が威嚇するような声で何も言えなくなるのだろうと想像させる。が、一心はそんな事には慣れっこだ。
「いえ、疑問に思ったので訊いてるだけです」
「俺の素行の悪さを親父がしつこくあれこれ言うので腹が立ち、大喧嘩になって家を飛び出したんだ。確か3か月位家に戻らなかった。それで母親とか家政婦とか秘書とかに宥められて家に戻ってから、社のトップとなるべく行儀よく勉強に力を入れてきたんだ。これで良いか?」
「なるほど、お父さんから次期社長となるべく教育を受けたってことですね。こういっちゃ怒られるかもしれませんんが、亡くなった社長は傲慢で誰一人良く言う人がいないんですが、それを目指してるんですか?」
椋がふふふっと渋面を崩し声を出して笑う。
「あんたは自営業だから分からんだろうが、数千人の従業員と数十社の子会社や下請けを抱えていると、誰か一人とか何処かの一社を褒めたり優遇したりすると、瞬く間にその人や会社は妬みを買い爪弾きにされるんだ。それより俺一人悪者になることで社員間や子会社間などが上手く連携するようになる、という何処だかの偉い先生が書いた本にもあるんだ。だから、俺のことを誰も良く言わなくても業績は伸びてるだろう。あんたが見た社員間はどうだ、いがみ合いとか仲たがいとかしている社員いたか?」
「なるほど、しかし、先代の時に自殺した下請け会社の社長夫妻がいました。ちょっと行きすぎじゃないですか?」
「じゃ、あんたは親父が何のストレスもなく毎日をのほほんと暮らしてたとでもいうのか? 経済界や政治家は人の事なんかまったく考えない奴が大半なんだ。そんな連中と仲良くやらないと大手企業から仕事が貰えないんだ。うちの会社も大きいが、ランキングで行けば三桁なんだよ。
私が役員になってから、親父がよくそんな風に零してたよ……自殺した社長はリスク管理ができていなかったってことだろう。仕入れ先を限定すれば当然に発生するリスクをどう回避するのかを考えていたら、自殺なんかするはずはないんだ。俺に言わせれば経営者失格なんだよそいつら」椋は一心を一層侮蔑するような目付きで、一心に文句でも言うようなきつい口調で喋る。
「椋さんはお父さんのことを良く理解しているように思えるんですが、最近揉めたことはありませんでしたか?」
「経営上の課題で意見の対立はしょっちゅうだ。だが、そんなことで殺人なんかする訳が無い」
「そうですか、社内とか関連会社でお父さんとトラブルになっていた人を知りませんか?」
「それは先日警察に紙に書いて渡したとおりだ。それ以上は無い」
「お父さんとお母さんの間で何かトラブルは有りませんでしたか?」
俺が訊くと椋の表情が険しくなった。
「母を疑ってるのか?」
「いえ、先程言ったとおり情報収集です」
「ん~、あの二人は夫々の道を歩いているって感じだから、トラブルなんて見たことも聞いたことも無い。俺より家政婦に訊いた方が良いんじゃないか?」
「え~勿論お聞きしますよ。お父さんが毎夜2時頃トイレに行くことを知ってました?」
「そんなこと知ってる訳ないだろうがっ! 親父は一階、俺は二階だぞ、その時間、家に居たら爆睡してる」
椋が時計を見るのと同時に女性が入ってきて「社長、経済産業省の種森次官がお見えです」と告げる。
「探偵さん、悪いがそういう事なのでこれで失礼する」一心の反応を待つことなく部屋を出て行ってしまう。
考えていた質問を大方訊けたので満足だった。内心怒鳴られるシーンも覚悟していたがそれも無くわりと素直に話してくれたとホッとした。
帰りしな案内してくれた秘書の女性に話がしたいので浅草のカフェに来て欲しいとお願いすると、女性は辺りを気にしながら小さく頷いてくれた。
1時間後、いつものカフェのボックス席でコーヒーを啜って秘書を待っていると、絶妙なゆるシルエットのデニムパンツに小さなハートマークの付いたパステルピンクの半袖Tシャツ姿の若い女性がにこにこしながら俺の方へ近づいて来る。
俺がちょっとドキドキしながらその女性を眺めていると「お待たせしました」と言って俺の向いに座った。
「あのー、もしかして秘書の方ですか?」一心は恐る恐る尋ねた。
「私、秘書課の今野恵美です」女性は名刺を出して名乗った。
「あ~、済みません。あまりに会社にいた時と印象が違うものですから別人だと思いました」
直ぐに娘の美紗と比べてしまう。何て可愛いんだ! その気持をそのまま言葉にした。
「制服姿の方が良かったですか?」恵美さんはにこにこ微笑んでいる。
「いやいや、私服の方が遥かに若くて可愛く見えます」両手を振って感じたままに褒めた積りだ。
それから30分少々、恵美さんにご飯をご馳走しながら、美紗の抽出した懲戒処分された人のその理由などについて話を聞くことができた。
結局、理由があって社長命に従わなかった人、社長命に対して上司に反対の意見を述べた人、社長命に直接社内メールなどで反対意見を述べた人などが処分されたようだ。
一般職で解雇された遠野辺聡一27歳と瓜田ひとみ26歳は仕事に情熱を持つあまり直接社長に苦言を呈したのだった。彼らの上司は惜しい人材だと周囲に漏らしてはいたようだが、保身のため社長へ処分の軽減や撤回を具申することは無かったという。
椋の言葉と実態には齟齬があると感じた。
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