第1話 岡引一心探偵事務所への来客

 33年後。

 

 「ただいまぁー」美紗と一助が汗を拭きながら帰って来た。

「お帰り、どうだった? 見つかったか?」浅草ひさご通りに事務所を構える一心は家族五人で探偵を生業としている。が、最近客のほぼ全員が犬か猫を探してくれという、時々それらに混じってトカゲとか蛇とか探してと言われた日にゃ、自分が何屋だか分からなくなる。

「おー、見つけた。一助が腕引っかかれたから薬塗ってやって。猫一匹探すのに半日仕事だぜ」

そう美紗はぶつぶつ言って事務所の奥にある自宅へ姿を消した。女のくせに男言葉で、特異技はハッキングと盗聴器作り等々ときてるから、2回目の年女だって言うのに浮いた話ひとつない。

「静!ちょっと薬塗って」

自宅に向かって叫んだ従弟の一助は美紗より一つ年上だが完全に子分扱いされている。

静が事務所に出てきて「どないした? 見せとくれやす」差し出された一助の腕を掴んで、にたりとして薬をさっと塗ってぴしっと叩く。

「こないな傷くらいで、やいやい騒がんでくれよし」

 静は京都出身で東京の大学に進学し一心に捕まって卒業後に結婚、一緒に探偵業を始めた。

常時着物姿で優しそうだが、大きな声では言えないが美容のために始めたボクシングでプロ並みの実力を身につけてしまって、優しそうで大きな二重瞼の瞳が怒りで鋭くボクサー色に輝きだすと、体力には自信のない一心は恐怖で身震いする。その目で屈強な大男を何人ぶちのめして来たことか……ドキュメンタリー小説ができそうなほどである。

 

「ごめんください」階下から男性の野太い声がする。

「どうぞ、二階へ上がって」一心が叫ぶと、たったったっと軽快に階段を駆け上がる音がして黒スーツのがたいの良い中年男性が事務所に姿を現した。

「どうぞ」

事務所の中央にどっしりと置かれた応接テーブルを口の字型に囲んでいるソファのひとつを勧める。20畳ほどの室内には壁際にホワイトボードが、窓辺に背の低い書棚が置かれていて、自宅へ通ずるドア横に月捲りカレンダーが寂しく吊るされている。

「俺がこの探偵事務所の所長のです。何か、ご相談事ですか?」

対座し名刺を差し出すと、男は頷いていきなりバッグから札束を五つほど応接テーブルに積んだ。

「よう、おこしやした。どうぞ」

静が愛想笑いを見せながらお茶を出して俺の横に座る。長男の数馬に続いて妹の美紗、同居している従弟の一助も事務所奥の自宅からぞろぞろ出てきて客を囲んで腰掛ける。皆は金の匂いに誘われたのに違いない。

「これは?」訪ねると男は名刺を差し出す。そこには「コーポレーション(株)秘書長 氷見誠一」と書かれている。

「実は、うちの社長舛上が亡くなりまして」氷見は太く低い声で話を始めた。

「はあ、それはご愁傷さまで……」事件依頼とどう関わって来るのか分からないが取り敢えず反応する。

「ところが、死因が病死なのか事故または事件なのか不明でして……」

益々用件が分からなくなってきて、何か嫌な予感が身体を走り抜ける。

「ほー亡くなったのは何時?」

「はい、2日前になります」

「じゃぁ、警察が調べてるんじゃ?」

「え~、そうなんですが、はっきりしないので時間がかかりますと言われまして」

「それがはっきりしないことには、探偵の出番はないんじゃ?」

「そうなんですが、奥様が事件だとして調査して貰ってと私に命ずるものですから、ここに調査料をお持ちした次第でして、仮に病死となっても返金は要らないと奥様は仰っておられます。これで足りるでしょうか?」

漸く話が見えてきたが、随分気前の良い奥さんだ、大金持ちのにおいがプンプンする。取り敢えず、頷いておいた。

「そういうことですか……警察は浅草警察だと思うけど、警部さんと話されました?」

「はい、確かそう言う名前の女性の警部さんでした」

静を見ると黙って頷いている。数馬も美紗も一助もだ。皆、大金に目が眩んでいるようだ。

「わかりました。お引き受けしましょう。……で、事件だとすると、会社、自宅、家族、社員などの情報が必要になるので、ここ数年以内に退職された方を含めて履歴書とか現状の分かるものをメールでも良いので貰えますか?」

恐らく奥さんには何か事件に結びつくような心当たりがあるのだろう。

「あと、奥様にお会いしたいのですが?」

「はい、事前に電話いただければ時間など調整します。それと情報が十分かどうかは分かりませんが……」

氷見はそう言ってバッグからUSBメモリーを出して応接テーブルに置く。

美紗がさっとそれを取り上げ自宅へ、そして直ぐ戻ってきて「皆のパソコンで見えるようにしたから」と言ってメモリーを男に差し出す。

「もう、コピー取りましたから現物は返します」

氷見は一瞬驚きの表情を浮かべたが、それをすぐ飲み込んで来た時と同じ威風堂々とした姿に戻る。

「それじゃよろしくお願いします」

一礼して氷見は階段を降りて行った。

 その姿が消えると事務所の中が大騒ぎになったのは言うまでもない。

口々にご馳走ご馳走と大はしゃぎだ。

 

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