28 戸惑いと友達と駆け出す愚か者

 僕・伏世ふくせゆうが呆然と――愕然とする中、普段の連絡事項を伝える調子と何ら変わらない声音で担任は告げていく。

 僕にとってはまるで呑み込めない……切那せつなさんが転校したという事柄を。


「実は、昨日が最後の登校だったんだが、本人の希望で連絡は次の日にして欲しいということでな。

 だから、今報告させてもらった。

 まあ、と言っても親しかった奴らは既に知っていただろうが」


 ………知らない。

 僕は、知らない。


 何で、知らない?

 昨日の事は、嘘か? 夢か? 幻か?


 僕は昨日、切那さんと確かに心を通じ合ったと、通じ合えたと思ったのに。


 身体だけでなく、心の奥からも馬鹿でかい心音が広がっていく。


 切那さん。

 切那さん。

 切那さん、が、もう、いない?


 ここに、来ない?

 僕の前に、来ない? 現れない?

 いなく、なった?


「……んで、連絡事項は以上だ。

 もう少ししたら授業をはじめるからな


 そうしている間にいつのまにか、ホームルームまでも終わってしまっていた。


 担任はそう言ってその場で何かを書き取っていた。

 そういえば今日は一時限目が担任の授業だった。

 だから、ここにまだいる。


 でも、彼女は――


 ざわつく教室。


 ――その中に彼女は。


「……気付かなかったのか、伏世」

「――――――!!!」


 道杖くんのその言葉が響いた瞬間。

 僕は反射的に立ち上がり、暴力的なまでに道杖くんの胸倉を掴んでいた。

 ――そうする事が、抑えられなかった。


「……君はっ!! 知ってたのか!??」

「ふ、伏世くんっ?!」


 慌てる羽代さんの声。

 ざわつく教室。

 でも、そんなものは気にもならなかった。


 あるのはただ、何か。

 追い立てられる、何かの感情だけだった。


 そんな感情に良い様にされている僕を嗤うように、道杖くんはいつものように薄い笑みを浮かべながら言った。


「ああ。昨日の彼女の態度で気付いて、問い質したよ。

 君は近々転校するんじゃないか、ってな。

 そして、彼女自身の口からはっきりとその事実を肯定された」


 道杖くんは胸倉を掴まれながらも全く表情を変えない。

 それに苛立ってしまい、僕の腕の力はより一層強まっていく。

 自分でも情けないけれど、僕はそれを抑えられないでいた。

 

「……っ!!!」

「どうして教えてくれなかった。そんな顔だな。

 彼女自身が教える気がなかった――それを気付いたからと言って俺からお前に伝えるのは境乃嬢の意思を無視する事だろう?

 あるいは、お前自身が気付くべき事だったんじゃないのか?

 ――もっとも、お前は彼女との関係に浮かれていてそれどころじゃなかったみたいだがな」 

 

 ぎりっ、音が鳴る。

 何の音かと思えば、それは僕の歯が軋む音だった。


 訳の分からない衝動が浮かび上がる。

 その衝動のままに、僕は拳を握り、持ち上げていく。


「おお、殴るのか? お前らしくもない。

 殴った所で何の解決にもならないぞ? それでも殴るか?

 まぁたまにはそういう刺激も悪くないから好きにするといい」

「………………………っ!!」

「伏世くんっ!!」


 羽代さんの悲痛な声が響く。

 ――そのお陰で、僕はようやく自分らしさを引っ張ってこれた。


「――ありがとう、羽代さん」


 彼女の声が耳を、頭を、心を通り過ぎた後、僕は腕を下ろし、胸倉を掴んでいた片方の腕も外した。


「……ごめん。道杖くん」


 分かっていた。

 彼の言う通りだということは。


 切那さんがそれを伝えなかったのなら。

 僕がそれに気付かなかったのなら。

 僕には、文句を言う資格など、ありはしない。


「お詫びにならないかもだけど、僕を殴ってくれ」


 ガタン、と自分の席に力を失って座り込む。

 そんな僕に対して道杖くんは肩を竦めてみせた。

 

「するまでもなかろう。お前は既にボロボロだ」

「そっか。そうかもだね」

「……伏世くん……その……」

「ああ、いいんだ。羽代さん。

 こんな馬鹿にかける言葉なんかないんだから、うん。

 ――でも、ありがとう」

「そんな、そんな事は――」


 何とか僕への言葉を生み出そうとする羽代さんの気持ちが嬉しかった。

 ……そして、そんな言葉を掛けられるほどに憔悴しているであろう自分が情けなかった。


「……」


 情けない。

 本当に情けない。

 そして、悔しかった。


 そうだ。こんな僕だから――切那さんだって話せなかったんじゃないのか?

 言えば僕がこうなるのが見えていたから、話さなかったんじゃないのか?


 もしそうだとしたら――


「…………ああ、情けな過ぎて、なんか腹立ってきた」


 ぐつぐつと、僕の中が沸き返る。

 方向性のなかった感情が、今、ひとつの方向に進もうとしていた。


「伏世、顔が赤いぞ?」


 にやりと悪だくみをするように笑いながら道杖くんが言った。


 その言葉は、とてもありがたいだった。

 ありがたく利用させてもらおう。


 決意して、僕は改めてゆっくりと立ち上がった。

 瞬間教室が静まり返る。

 まるで、舞台の一幕のようだ――そんな馬鹿らしい事を思考した。


 実際、僕は馬鹿だ。とんでもなく阿呆だ。


 きっと、切那さんをちゃんと見ていれば気付く事が出来たのに――気付かなかった。

 道杖くんが気付いたんだから、不可能じゃないはずだったのに。


 抱えた想いに浮かれて浮足立って切那さんをちゃんと見てなかった。

 見てもらえる事ばかり考えていて、僕の方こそちゃんと彼女を見ていなかった。

 どうしようもなく恥ずかしい道化ピエロだ。


 だから笑われても仕方がない。

 でも、ならその笑われついでにしたいと思った事を形にしてみよう。


 このまま、切那さんに会えないままお別れなんて――絶対に嫌だから。


 そうして、先生の近くへと歩み寄り――浮かび上がったままの言葉を僕は口にした。


「……先生」

「なんだ伏世?」


 何事もないかのように問い掛ける担任……その事に感謝しつつ、意を決して言葉を続ける。


「申し訳ないんですが、熱があるんで早退しようと思います」


 瞬間、教室の中はそれぞれの反応で沸き返った。

 笑うもの、眉をひそめるもの、心配そうな表情をするもの、実に様々だった…と思う。

 ちゃんと周囲を確認する余裕はないので正確には分からないが。


 反応が気にならないわけじゃない。

 でも、今はそれ以上に優先すべき、大切な事がある。


「……」

「……」


 先生は僕の顔を値踏みするようにじっと見据えた後、小さく息を吐いた。


「顔が赤いのは確かか。

 まあ、子供じゃないんだし、その辺は自己判断だな。

 帰っていいぞ」


 直後、喚声が巻き起こった。

 ……後の事を考えるといろいろ怖いけど、今は先生の寛大さに感謝して、最優先すべき事を最優先しよう。


 僕は弛みそうになる顔を必死に堪えて、真面目に告げた。


「……そうさせてもらいます。ありがとうございます」

「ま、気をつけてな」


 深く頭を下げて担任に背を向けた僕は、自分の席に戻り、荷物を手早くまとめた。

 罪悪感はある。ないわけがない。皆や先生方には申し訳なさでいっぱいになる。

 学園に通う事は無料ただじゃない。父さんや母さんには謝る他ない。

 ――だけど、今日は、今日だけは、譲れない事が、しなくちゃいけない事が……いや、そうじゃなくて、もう一度会いたい人がいるから。


「伏世くん、えと……なんて言っていいか分からないけど、その……頑張って!」

「うん、ありがとう」

「馬鹿らしく、馬鹿みたいに走れ」

「ああ、全力で行くよ」


 応援の言葉を掛けてくれる羽代さんと道杖くん。

 そんな人達が、友達がいてくれる事が嬉しかった。

 二人に応える為にも……彼女に必ずもう一度会ってみせる。


「……じゃあ、伏世憂、行ってきます――!」


 そうして僕は教室を飛び出した。


 その行先はたった一つ――いや、たった一人。

 境乃さかいの切那きりなこと、切那さん。


 彼女にもう一度会うために、体調不良という建前は教室に置いてから僕は全力で駆けだした――!

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