忘れものしただけなのに

平中なごん

一 ウワサ

 それは、年の瀬も迫る、ある冬の日の出来事でした……。


 とある地方の小学校に通う五年生の女の子……仮にA子さんとしときましょう。


 その日、A子さんは一旦家に帰った後、友達と公園で遊んでいたんですが、日が沈む頃になってもう一度学校に戻ることになりました。


 じつは翌日の音楽の時間にリコーダーのテストがあることをすっかり忘れていて、そのリコーダーをうっかり教室の机の中に忘れて来てしまったんです。


 リコーダーが得意な子だったらそんな慌てることもなかったんですが、不得意だったA子さんは、どうしても練習しておく必要があったんです。


 音楽を担当している女の先生は金管バンドの指導もしている先生で、音楽に対してはとても厳しく、怒ると怖いことで有名だったのでなおさらです。


 遊んでいた友達からテストのことを聞いて思い出したA子さんは、慌てて家とは反対方向の小学校へと駆け出しました。


 公園から学校まではさほどの距離ではありませんが、季節は日の短い冬。その上、もうそろそろ帰ろうとしていた時刻だったので、辺りはすでに薄暗くなってきています。


 ほどなくして学校へ着くと、深い紫と橙色オレンジがないまぜになった夕暮れ時の空の下、薄汚れた鉄筋コンクリート造りの校舎が不気味な巨体を誇っています。


 さすがに昭和の頃のような木造校舎ではありませんでしたが、それでもそろそろ建て替えが必要だろうというくらいに古いもので、こうして夕闇の中で見るとかなり怖いものがあるんです。


 それに、時間帯に加えて寒い時期のこともあり、もうすでに帰ってしまったのか? 校庭で遊んでいる子の姿もひとっこ一人見えません。


 テストのことで頭がいっぱいとなり、とにかく急いで忘れものを取りに戻ったA子さんでしたが、夕闇に包まれた誰もいない昇降口の前に立つと、思わず入るのを躊躇ってしまいます。


 それには、校舎の不気味さもさることながら、もう一つ別の理由もありました……。


 いわゆる〝学校の怪談〟というものなんでしょうが、A子さんの通う学校には〝ナグサちゃん〟という女の子の霊が出るというウワサが、まことしやかに語られていたんです。


 ナグサちゃんは、ずっと昔にこの小学校に通っていた女の子で、身体があまり丈夫ではなかったのですが、ある冬の日、宿題をするためのノートを学校に忘れ、夕方、それを取りに戻った際に発作を起こし、日が短く教室も真っ暗だったために先生達も倒れている彼女に気づくことなく、翌朝、すでに冷たくなった状態で発見されたんだそうです。


 それ以来というもの、同じように夕暮れ時に忘れものを取りに行くと、彼女の霊が現れる……というのが、そのウワサのあらましでした。


 もしもナグサちゃんに出会ってしまったら、同じように翌朝、冷たくなって見つかるだとか、遊び友達として向こうの世界に引っ張られるだとか、神隠しにあってしまうだとか、諸説いろいろ……。


 そのウワサが嘘かまことか? 本当にそんな事件が過去にあったのかはわかりませんが、そうした話があったために、まさにそのシチュエーションにいるA子さんは校内に入ることを躊躇ったんです。


「で、でも、ウワサは聞くけど、実際に見たって人知らないし、きっと嘘だよね……」


 それでも現実問題として、いるかいないかわからない幽霊より、テスト不合格だった時の音楽の先生の方が怖かったA子さんは、自分にそう言い聞かせると、勇気を出して昇降口を入りました。


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