記憶は弊害でしかありません
河城 魚拓
一部
第1話 昇陽
四月の頭。
俺は、仙川駅までの細い道を下校中。
今日は生徒がいろいろな書類を提出するために設けられた、登校日だった。
高校一年を、とある理由でパーにした俺はボーッしながらと歩いている。
その理由とは、「中学生の頃に好きな人を探し続けていたら、一年経ってました!」という理由である。
ほかにも、理由はあるけど、大まかな理由はそれである。
恋は盲目とはよく言ったものだ。
しかし、二年になり、さすがに過去に縋っているばかりでなく、美しい青春でも送りたい! なんてことを考えながら歩いてる。
とにかく高校生っぽい事をしたいのだ!
彼女とか作って、文化祭とか修学旅行とか行きてえ……。
ちょっとはっちゃけられる男友達もたくさん作って、海で馬鹿騒ぎとかも青春っぽいよな。
などと考えている俺の妄想は、俺の脳の三割を回転させ、残りの一割で歩いている。
残りの六割は、とある罪悪感。
これがボーッとしながら歩いている理由だ。
そんなとき、正面から歩いてくる人と肩がぶつかる。
「すんませ……あ」
……。
やってしまった。
目の前には、絵に書いたようなヤンキー。
リーゼントのやつな、リーゼントのやつ。
俺はどうやらこいつとぶつかってしまったらしい。
「ちょっと飛んでみろよオラ?」
出ましたこのセリフ。
この現代、キャッシュレス時代に突入し掛かっているのにも関わらず、こんなことを言いやがる。
とはいえ俺、高梨高校の二年になり、友達が出来ない、橘進は肝が小さいから飛ぶわけだ。
───ドスッドスッ。
おかしいな。聞こえるのは着地音だけ。
今日は水曜日なので、週間少年チャンプを買いに行く予定だった。
だから、千円札を入れて、小銭も飲み物を買う予定だったので割とあるはず……。
ちょっとすんませんと、手を縦にしてジェスチャーして、断りを入れてから、バックの中、ポケットなど、あらゆる所を確認する。
……落とした。
俺は電車通学なのだが、登校中、ICカードを通した際、ポケットにしまったはずが、落としてしまったらしい。
そこまでは確実に、俺のポケットに収納されていたからな。
あーでもないこーでもないと、四苦八苦していると痺れを切らしたヤンキーが、
「てめぇ財布ねえな? 分かってんだろうなこの後のことは? あ?」
と脅してきた。
とりあえず財布取りに駅行きてえ……と思った次の瞬間、ドスッという音とともに激痛が走った。
痛みの先を見てみると、ヤンキーの拳が突き刺さっていた。
もちろん、今は何も鍛えていない俺は、膝から崩れ落ちる。
「いって……」
少し意識が遠くなる。
またヤンキーが蹴りの動作に入ると、突然ヤンキーがその場でくねくねと倒れた。
そしてヤンキーが倒れると後ろには手前に一人の小さめな男と、奥に女が二人立っていた。
よく見ると小さめな男は、ヤンキーに蹴りを入れているようだった。
「カツアゲとか五億年ぶりに見たぞ」と手を差し伸べる男。
すごい力で引っ張られる。
そして、俺はその小さい男に、支えられるような形で立ち上がった。
身長が小さいのに思ったより力が強かった。
ありがとう、と言おうとしたが、意識が朦朧として、声が出ない。
「とりあえず私たちの家に連れて行きますか。制服的に、うちの学校の人みたいですから」
と大きい女が答える。
「身長的に蜜柑が担いだ方がいいんじゃないかしら? それとも何? このいかにも取り柄ないですーって感じのデカ男を担ぎたくない?」
と小柄のいかにも高飛車お嬢様っぽい女が、かなり言い慣れた様子で言い放った。
「そんなことはないですけど……。さすがにちょっと重いかもですね……おいしょ」
もちろん反論する力など残っていなかったので、そのまま大きい女に身を任せると、ヒョイっと俺の体をおぶった。
よく見るとその子は俺と同じか、少し小さいくらいの身長だ。
俺はその次の瞬間、女の子特有の柔らかさと匂いに眠くなり、寝てしまった。
目が覚めるとそこはベッドの中だった。
起きて、部屋を見回すとライトノベルやゲームの箱などが、これでもか置いてある。
壁には、バスケットアニメキャラクターらしき男が描かれているポスターが、額縁に入れて掛けてある。アニメのキャラクターらしきフィギュアも、しっかり透明な箱の中に飾られていた。
しかし物凄く整頓されていて、少しだが、部屋から桃の香りがした。
そのまま起き上がろうとすると、腹に力が入らないことに気がついた。
……そういやぶん殴られてるわ、腹。
腹筋をすごいした後の筋肉痛の、それの何倍も辛い感じだ。
俺は腹を押さえながら、ゆっくりと起き上がった。
部屋を出て、階段を降りると、さっきの小さい男と大きな女が、リビングで格ゲーをしていた。
こちらには気がついてなさそうだ。
すると、こちらに気がついたお嬢様っぽい女が声をかけてくる。
「起きたのね。てっきりあの部屋を物色するものだと思ったけれど」
顔を近づけながら言ってくる。
かなりの美貌の持ち主だった。
真っ直ぐ、吸い込まれるような黒のロングヘア、整った顔。
そして、女の子特有の桃みたいな甘い匂い。
なんで女の子っていい匂いするんだろうな。
身長はかなり小さいように見える。
150センチ後半も無いぐらいかな。
照れて視線を、ゲームをしている二人の方に写すと、これまたよく見ると二人とも美形であった。
男の方は小さいが落ち着いた顔立ちをしていて、髪は整えてあり、清潔感の塊だった。
前髪は流しており、右目が隠れている。
女の方は、大人っぽく、美人で、ショートカットより少し長めの髪型で、中性的な顔立ちをしていた。
「どういうことだ……? ライトノベルやゲームが沢山あったけど……それを漁るということか? 俺はオタク知識なんて、最低限しか持っていないぞ」
俺はアニメとかも流行りのものしか見ないし、小説はもちろん、ラノベすらも持っていない。
趣味はMBAと高校バスケ観戦と軽いスマホゲームぐらいだ。
「……鈍いのね。よく見たの? ライトノベルのタイトル。ゲームのタイトル。そして匂い」
……タイトル?
確か……『刀剣美男』とか、女子が好きそうなものが多かったような気が……匂いも桃の香り……まさか。
「そこにいる学園のレディプリンスの部屋よ。なーんで気が付かなかったのかしら。普段女の子と話さないの?」
「つまり寝かされてたベッドも……」
──沈黙。イコール肯定である。
なんてこった。こんな普通な俺でも、女の子のベッドで寝る時が来るなんて思わなかった。
多分、俺は今、全世界で一番後悔しているであろう。嫌でも落胆が表情に出る。
「あはははは。面白いわね。そんな顔に出るのね。馬鹿な男はほんとに見てて飽きない」
と俺に言う、サディストなお嬢様の雰囲気は、俺の好みにドストライクであった。
と同時に、俺にMの才能があることに、また落胆するのであった。
話によると小さいサディストお嬢様は、小鳥居弥生と言うらしく、小さい男は凪黛、大きい女の子は、中村蜜柑と言うらしい。
凪は右目が前髪で隠れており、目はいわゆるジト目みたいな感じ。身長はあまり大きくないが、かなりの美形である。声は見た目に反して低い。
中村は身長が高く、俺より少し小さいくらい。だから175センチ程だろうか。中性的な服装をしているが、胸はかなりあるように見えるし、足も長い。モデルでもできそうだ。そして声がよい。
今説明した二人については、聞いたことが無かったが、小鳥居だけは学園でも有名で聞いたことがある。
去年の文化祭委員で、一日目に何やらSNSで大バズりさせたものがあったらしい。
確か、出し物のデザインがすごいとか……そんな感じだった気がする。
それに真面目で、優しい性格のいい委員長だと聞いていた。
生憎、俺は一年の頃の文化祭には諸事情で行ってない。
というか凪くんは、凪が苗字で、黛が名前なのか……黛って苗字じゃないのか?
俺はゲームをしている三人を見ていた。
特に小鳥居を見ていたのだが、容姿端麗性格共におしとやかな委員長で、小鳥居グループのお嬢様だったはずだが、その面の欠片も感じられなかった。
とりあえず俺は、その疑問をそいつにぶつけてやることにした。
机を挟んで、椅子に座り、小鳥居に向き合って話しかける。
「君、なんかもっと真面目でお淑やかなイメージだったんだけど、全然違うんだな」
すると呆れたように、
「当然よ。あんなに性格が良いわけ無いじゃない? こっちが本当の私、それだけよ」
と不敵な笑みを浮かべながら答えた。
「お嬢様とか大抵、ろくなもんじゃないからな」
と凪。
「あら、じゃあそこのお嬢様はどうなのかしら?」
と小鳥居が指を指す先には中村が居た。
「こいつは性癖とか、趣味とかが終わってるだけで、それ以外はまともだから」
「性癖も趣味もまともです! なんでそんなこと言うんですかぁー!」
と中村が、凪を抱きしめながら反論する。
そんな二人を見て、二人は付き合っているのかと、小鳥居に尋ねようとしたところに、インターホンが鳴り、中村が出ると一人の執事が入ってきた。
「お嬢様、先に来られていたのですね。心配しましたよ」
と綺麗なアルトボイスで言いながら入ってきたのは、吸い込まれてしまうような、黒い髪をひとつに結んだ、一歩間違えれば女の子に見えてしまうような細身の執事だった。
執事、とは言ったものの、動きが執事なだけで、着ている服装は制服だ。
背丈は中村と同じくらいかな。
ただ、綺麗な顔に対して、目に光がなく、表情はあるものの、どこか恐怖を感じる。なんというか、月のような雰囲気だった。
言っちゃ悪いが……人を殺したことのあるような……そんな目だ。
心配しなくていいわ、と小鳥居が言うと、そのまま小鳥居は家を出て行ってしまった。
すると執事が、
「黛、また週末世話になる。よろしく」
と言い、あとを追うように去っていった。
キョトンとしていると凪が、
「そういや、お前は帰らなくていいのか?」
と尋ねてきた。時計を見るともう二十時だった。
「やべ、もう帰るわ、まじでありがとうな今日は!」
と言いながら、足早に荷物を持って家を後にしようとした。
「待て」
「え?」
俺は、凪に呼び止められ振り向く。
すると、すかさず口の中に桃を放り込まれた。
それと同時に、俺の左手には五百円玉が握らされていた。
「んじゃ、それで帰れよ。また今度」
そういうと、凪は振り向かずにまたリビングに戻っていった。
そういえば、財布を忘れていたことを忘れていた。
だから凪は五百円を渡してくれたんだろう。
桃は優しい甘さで、まるで凪の優しさを表現しているような味だった。
ただ、リビングに戻る凪の背中は、少しだけ、凪の弱さのようなものが見えるような、そんな背中をしていた。
次の日。始業式の日だ。
俺は高梨高校の最寄りである、仙川駅についてから、商店街を通り、学校前まで来た。
その時、小さい十字路を渡る途中で、左から何がぶつかりあったような音を聞いた。
あまりにもでかい音だったので、様子を見に行くと、歩道のない道で、原付と人との接触があったのか、転倒した原付と、倒れた男を抱える女の子二人が見えた。
近寄るとなんと倒れていた男が最初に、俺に気がついた。
「ん? 昨日の進くんじゃないか」
凪だった。
そして、二人の女の子のうち、一人は中村。もう一人は、知らない女の子だった。
倒れこんでいるが、割とピンピンしているように見えた。
そして、凪は立ち上がった。
「急に立ち上がったら危ないよ! そんなことはどうでもいいの! ほんとに大丈夫なの?」
とギャル風の盛りポニテ女が、凪に尋ねた。
「まあまあ、平気だから」
凪は淡々と言う。
そのギャル女の顔には見覚えがあった。
しかし、その場では思い出せなかった。
凪は大丈夫だ、としっかり答えていた。特に大事ではなさそうだった。
そして様子を見て、俺はギャル女に、昔知り合いだったかを尋ねようとした。
「おい、お前……どこかで……」
その瞬間、とんでもない目眩と軽い衝撃に襲われた。
後ろから来る原付に、不運にも、俺は軽く追突されたらしい。
そして、脳みそを急に消費して、何かをしようとするような感覚があったあと、俺は倒れる衝撃だけを感じ、意識がなくなった。
なんとなーく顔に違和感を感じ、目が覚めると、そこは保健室のベットの上だった。
目が覚めると、弥生の顔が、すぐ目の前にあった。
「あら、起きたの?」と目の前で微笑む弥生を見て、理性を保てなくなりそうになり、目を逸らした。
すると、弥生は視界の端からでも分かるくらいにニヤつき、「顔赤いわよ? ねえ? なんで目を合わせないのかしら?」とわざとらしく視界に入ってくる。
「ああやめろ! 頭がおかしくなるだろ!」
「一種のご褒美よ。喜びなさい」
と性悪っぽくに言うと、クルっと扉の方に振り返り、
「とにかく、さっさと教室へ戻ってくる事ね。さっきあなたが気絶した時、目の前にいたポニーテールの女の子。かなりあなたのこと心配してたわよ」
と捨て台詞を残して、教室へ戻って行った。
俺は二年五組で、どうやら弥生や執事だけでなく、あのギャルとも一緒のクラスだったらしい。
戻った時には、先生が自己紹介をしている最中だった。
その自己紹介の間、ずっと小鳥居の顔を見てるあたり、これは一目惚れと言うやつだろう。
いつからあんなにドM男になったんだ。俺は。
先生の自己紹介が終わり、色々説明が終わると、すぐにあのギャル女が近寄ってきた。
すると、
「あのさ、あの時なんて言いかけたのか聞きたいけど、その前に改めて黛くんとかにも謝りたいから付いてきてくんない?」
と言ってきたので、
「人を事故に巻き込んどいてよく言えるよな」
と嫌味っぽく返した。すると、
「……なによ、あんた勝手に巻き込まれただけでしょ? 黛くんはピンピンしてたのに、あんただけ減速中の原付にこづかれたくらいで、泡吹いて倒れてたじゃん」
とツンと背かれながらギャルは答えた。
「はぁ……お前とは仲良くなれそうにないな。俺は一応事故は事故だし、被害者なんだけど。……だが、謝らないといけないのは俺もだ。不注意だったしな。行こうぜ」
そのギャルはキョトンとした顔をしたあと、すぐさまため息をついた。
「あんた……めっっっっっちゃお人好しでしょ、絶対断られると思ってた」
「……お人好しはよく言われるが……ならもっと気を使えや……とにかく行くぞ」
とギャルを引き連れて、黛たちがいる教室へと向かった。
そのギャルは、如月未来というらしい。
名前には全く聞き覚えがなかったが、一応気になるので、俺と面識があったかを尋ねると、そんなものは無い、と一蹴された。
容姿は、小鳥居よりかは少しだけ劣る……いや、美人だ。好みの問題だろうな。
化粧が濃かったり、派手な髪型をしているので、好みが分かれると思う。
凪たちが居る二年二組に着いた。
凪は何やら、昨日の執事と一緒に、ひとつのタブレットを見ていた。
執事がすぐに二組に来てる辺り、凪と執事はかなり仲がいいのだろう。
すると如月は、凪の元へ歩いていき、凪に話しかけてから、凪を廊下に連れてきた。
「ほんとに朝の事故の件……ごめんなさい!」
「……その事な、まあ気にするな。そんなこともあるさ。よくあるこった」
「よくあることでは無いな。うん」
と即座にツッコんでしまう俺。
すると凪が、まあまあと笑いながら続けた。
「そんなことよりあいつとの将棋再開したいんだが、話は終わりか?」
如月はキョトンとした後、すぐに頷いた。すると凪は、手早く執事の前に戻った。
少し冷めてるやつなのかそれとも、本当に気にしてないのかわからんコイツは。なんか、ケラケラしてる。
まるで、人にマイナスなことを言うのが、怖いみたいに見える。
普通、原付でぶつかられて、大丈夫大丈夫で、済むか?
それだけ余裕があるってことなのかもしれないけど。
俺は、如月の要件が終わったのを察して戻ろうとしたが、如月はある一点を見つめて動かなくなっていた。その目線の先には、昨日の一つ結びの髪の執事がいた。
制服だが、執事っぽく少し着崩している。
普通制服は、少し大きいサイズ感なのだが、執事くんの制服はぴちっとしていた。
細身でよいスタイルがわかりやすくて、よく似合っている。
うちは校則が緩いから、なんなら私服でも平気なのだが、二年になって、クラス変わってから、まだ時間が経っていないせいか、制服の生徒が多い。
「……お前あの執事が気になるのか?」と肩のラインを合わせて、如月に目線を合わせながら尋ねた。
「ええ? 違う違う違う! つーか近寄るな!」
ブンブンと彼女は首を振った。ついでに押されて距離を取られた。
すると、後ろから、少し前に保健室で聞いた、女の声が聞こえた。
「ふーん、うちの執事が好みなのね、あなた」
小鳥居だった。やっぱり少しだけドキッとする。
そのまま如月の肩を抱きながら、
「だからこいつを薫が抱きかかえて運んでた時、薫の顔をずっと見てたのね〜……」
と如月の顔を覗き込む。
こいつとは恐らく、弥生の目線の動き的に、俺のことだろう。
「……ちがうもん」
いや違わないだろなどと、俺は思っていると、突然小鳥居が執事を鈴で呼び寄せた。
羊かあいつは。いや、執事なんだけどな。
「お呼びですか」
羊、ではなく執事くんは、滑らかな動きで弥生の前までやってきた。
「この子と連絡先を交換しなさい」
「かしこまりました」
すると、光の速さで執事はスマホを取り出した。
上の方にテープが巻かれていた。
カメラを塞いでいるのか? 画面にもフィルムが張られていていて、反射しないようにされていた。
少しヒビが入っているのも見えた。
買い換えればいいのにな……。
すっかり顔を真っ赤した如月は、口をぱくぱくさせながら、なんとかスマホを取り出した。
「ふるふるでいいかな?」
真面目そうな執事が、ふるふるとか柔らかい擬音を言うことに、めちゃくちゃ吹き出しそうになったが、この執事に殺されかねないと思い、なんとか笑いを押し殺した。
執事の問いかけに首でしか返事ができない如月。二人は携帯を振り、連絡先を交換した。その時にチラッと連絡先の画面が見えたのだが、執事は出雲薫というらしい。そして俺は、さっき小鳥居から話されていた、出雲が俺を抱きかかえて運んでくれたという話を思い出した。
「記憶はねえけどよ、小鳥居さんの話だと俺を運んでくれたらしいな、マジで助かったぜ」
「問題ない。お嬢様の指示だった上に、中村様に抱えさせる訳にもいかなかったからな」
と出雲は、全く変わらない表情で言った。
中村? 中村様って誰だ?
あ、あのレディ……プリンス? とか言ってたやつのことか……。
「また連絡させるわ」と、小鳥居は如月に伝えた。
その後、俺らは教室へと戻ろうとしていた。
「まさかアンタが小鳥居さんと知り合いだったとは盲点だったわ……言いなさいよ……」
「なんでだよ」
「だって薫くんと会話がやっと出来たんだよ? ずっと話しかけれなかったのに……話しかけるために、何度あのお嬢様や本人に接触しようとしたか……」
「そんな高貴な野郎じゃねえぞあいつ、ドSだし」
「なんてこと言うのアンタは! 薫くんにボコにされても知らないわよ!」
……何だかこいつにとっては、出雲と話せたことは奇跡だったらしい。まあルックスは最上級だし当然だ。
「あとアンタとも連絡交換させて」
「え? いいけどなんで?」
「小鳥居さんと知り合いなんでしょ? だったらそっから薫くんと接触出来るかもしれないじゃない」
「む。断る。お前の踏み台になるつもりは無い」
「はああ? そういうあなたも小鳥居さんの顔みてデレデレしてたじゃない? どうなの? ねえ?」
バレてる。この女割と見てる。
はあ、とため息をついたあと俺はこう持ち出した。
「交換してやってもいいが……条件がある」
「何よ」
「お前と俺は共同戦線だ。俺は小鳥居と近づきたい。お前は出雲と近づきたい。あとは分かるな?」
というのも高校に入ってから、俺は彼女が出来たことがない。
中学の頃は……別にいたんだが、今は音信不通だ。
美人と付き合えたら、俺の高校生活は薔薇色だろう。
それに、中学の頃のことだって、吹っ切れるような気がする。
罪悪感も、どこかに行ってくれるような気がする。
「なるほどね。お互いに強い手札を使って二人で協力して、好きな人と近づくのか。乗ったわ、それ」
そして俺らは、左手で硬い握手を交わすのだった。
未来は薫と、俺は弥生といい感じになるための共同戦線。
今、ここに誕生だ。
共同戦線を結んだ俺らは、とりあえず情報共有をした。
簡単にまとめるとこんな感じだった。
小鳥居弥生
・小鳥居グループのお嬢様。
・サディスト。
・表の顔は完璧美人。
・実はインドアで、ゲームが好きらしい。
出雲薫
・小鳥居の執事だが、本人曰く、ごっこ遊びのようなものらしい。
・本当の両親がいない。これは噂。
・目がたまに泳いでたり濁ってたりする。ボーっとしていることも。
・成績は学年トップ。
そして、二人に共通してある特徴は「中村家によく出入りしている」ということだった。
というか俺も、如月も、二人のこと知らな過ぎだろ。
足しても、一にすらなっていないかもしれない。
「マジで謎よね。薫くんがなんで、中村って人には様をつけるか分からないし」
「中村蜜柑って知ってるか?」
「うん。演劇部のレディプリンス」
「あいつそんな二つ名マジであんのかよ……そのレディプリンスもお嬢様なんだとよ、凪から聞いた。だから様付けしてるんだろ」
「うん? ってなんて黛くんとも知り合いなのよ!」
「昨日知り合ったばっかだ。一応連絡先もあるし、家にも上がったことがあるぞ。というかそんなの有名なのかあいつ」
「コアなファンが少なからずいるって感じね。あの冷やかなような雰囲気から繰り出される、全てを見透かしたようなミステリアスな口調と低音ボイス。そしてそんなに高くない身長というギャップ……中性的な顔立ち……実は包容力絶大なお人好し……でもちょっと冷たい時も? ……とにかく、ファンはいっぱい居るわ。過激なファンもいるとか……。私は薫くんの方が好きだけどね。で、なんであんたは黛くんの家に行けたの?」
それを聞いた俺は、昨日の腹パンの件を伝えた。すると呆れながら、
「うん。あなたが間抜けなことがわかった」
と言われた。
うっせーな、と俺は突っ込みを入れる。
すると思いついたように、
「そうだ。だったら今日も黛くんのおうちにお邪魔すればいいんじゃない?」
と如月は言った。
「そうだな……? うん?」
「どうかしたの?」
俺は違和感があった原因が、すぐに分かった。あの家で俺が寝かされてたのは中村の部屋だった。つまり、あの家は中村の家、ってことになる。
しかしあの時出雲は、凪に世話になることを伝えていた。
……おかしい。
なんで凪に世話になることを伝えて、その家に中村の部屋があるんだ……?
もしかして一緒に住んでんのか?
もはやそういう関係なのか……?
俺が考え込んでるのを見ていた如月に、俺の考えていた事を説明したが、結論はとにかく直接行って聞いてみる、ということになった。
凪はなんと、二つ返事でOKを出してくれた。
如月が、出雲経由で、凪に話を通してくれた。
そして件の家に着く。
表札には「中村」「凪」と書かれていた。
これは同居説が、さらに濃厚になってきた。
インターホンを鳴らすと、すぐに中村が出てきて中に入れてくれた。
家に入ると、凪はリビングのモニターでゲームをやっていて、もう一人、女の子が机で勉強をしていた。
かなり身長が小さく見える。
150センチ位だろうか。
すこしパーマをかけたような、茶色寄りの長めのロングヘアで、かなりぼんやりふわふわした感じに見える。
ゆっくりと家に入ってきた、如月と俺をちょっとだけチラチラ見ながら、その子は
「……だれ?」
と小さく言った。
俺らが言い出す前に、中村が「この前知り合った、進さんと、未来さんです」と、俺たちのことを説明してくれた。
すると、
「……そう。私は中野若葉。よろしくね」
と答えてくれた。誰が見ても守りたくなるような微笑みを浮かべながら。
うん。可愛い。
小鳥居や中村や若葉やら、美人しかいないのかこの家は。
俺がデレデレしていると脇腹に肘を入れられた。
如月だ。こいつもいたなそういや。
如月もなかなか美人であるが……こいつとはただの協力関係だしな。
「あんたの聞きたかったこと、さっさと聞くよ。今は薫くんと弥生さん居ないみたいだし」
と言ってきた。
俺は頷くと、丁度ゲームを切り上げた凪に聞きたいことがある、と切り出した。
「まず、よくここに小鳥居と出雲が出入りしてるってこいつが言ってたんだけどよ、ヴッ」
腰にグーパン。如月からだ。気にせず続けようとすると、凪が察したように話してくれた。
「小鳥居家と中村家は家族ぐるみの付き合いでな。それで仲がいいんだ。ちなみに若葉は蜜柑のお気に入りだからここにいる」
と若葉ちゃんに目線を向ける。若葉ちゃんは直ぐに目を逸らし、顔を真っ赤にする。
まあおとなしそうだし、目を合わせるのが苦手なのだろう。
凪はキョトンとしてる俺らに、またまたなにかを察したようで、凪のほうから話しかけてくれた。
「まだありそうだな? 聞きたいこと」
「あっ、悪い。まあ言いづらいことならいいんだが……家の表札……なんで中村と凪の両方があるんだ?」
凪の表情が、廊下の角で意図せず急に出てきてぶつかりそうになる、曲がる先の相手に驚いたような表情になった。
しかし、軽く笑いながら答えてくれた。
「ああ、色々あってな、ぼくはこの家に住ましてもらってるんだ。この家は、今は中村家の所有物だ」
たった二日の付き合いだから、勘違いかもしれないが、少しぼかしてるように感じた。
「つまり同居ってこと?」
「お前は初対面なのにすごいことを聞くんだな! アホ! バカ如月!」
と如月に説教をする俺。
「な! いいじゃない気になっちゃったんだもん! ほらめっちゃ笑ってるもん凪くん!」
「いや人の家で夫婦喧嘩は辞めてくれな二人とも」
「「夫婦じゃない!」」
改めて、凪の心の広さと、如月と俺との相性の悪さを理解した。
ふとソファに居る中村を見ると、少し寂しそうな笑顔をしていた。
その後、小鳥居と出雲が来る予定と聞いた俺らは、二人を待つことにした。
というか自然と待ちやすい環境だった、というのは言うまでもない。
中村があれやこれやともてなしてくれた。
お茶菓子などを出してくれて、テレビゲームのマイオパーティで遊んだ。
若葉ちゃんは、参加していなかったが、楽しそうに笑顔で見ていたのを見て、天使だなと感じた。
するといつの間にか、小鳥居と出雲が家に上がってきていた。
「あら? 新しい黛塾の生徒?」
「違うよ。お前だけだよ勉強出来ないのは」
と小鳥居と凪は、仲が良さそうに会話をしていた。
黛塾? と引っかかった俺は、一年の頃の定期テストの結果が張り出されていたとき、凪黛という名前が、上位に書かれていたことを思い出した。
「もしかしてお前らのよくここに来る理由って……」
俺は小鳥居たちが、勉強しにここに来ていると思い、バッグを壁に置いたところの小鳥居に尋ねようとした。
「あら? そんなに私のことが好き?」
と言いながら、小鳥居は、席に座っている俺の顔を覗き込んでくる。
なんだこいつ、と思いながら内心少しバクバクしていることは、言うまでもない。
「まあいいわ。私、勉強出来ないのよ。だからこうやってここに来て、勉強教えてもらってるのよ」
ということで、中村家に小鳥居弥生は、勉強しに来ていることが分かった。執事である出雲も付いてきているのだろう。
「それであなた達は勉強出来るのかしら? 進? 未来さん?」
今こそ、『ギクッ』という効果音を使うべきなのだろう。
そう。
俺は勉強が出来ない。
素晴らしい位真っ赤っかで帰ってくる。真っ赤っかだ。まっかっか。
……まあ一年の時に、全く勉強していないのが響いているのだが……。
隣の如月を見ると全く同じような顔をしている。こいつも同じくらいまっかっかなのだろう。
そうに違いない。
ドSお嬢様の読心術は半端なく、上手く言われ、勉強に付き合わされることになった。
なんというか、確かに、凪や、若葉ちゃんに勉強を教えられると、スラスラと内容が入ってきた。
凪は国語関連の鬼というのが分かったし、何よりここに来るとなんと、若葉ちゃんに歴史を教えて貰える。
なんかいい匂いするし、声は可愛い。
しかも少しぼーっとしてると、「聞いてる?」と顔を覗き込んでくるおまけ付き。
最高か?
その傍らで、中村と出雲の二人のイケメンに挟まれ、幸せそうに如月が数学を教わっていた。
まあレディプリンスと、大好きな出雲くんに挟まれた如月の鼻の下が、キリンの首より伸びているのは言うまでもないが、何より驚いたのは中村と出雲の計算能力の高さ。
高校二年の数学の問題を、紙を使わず暗算でさくさく解いて、如月に解説。
如月がわからないところをすぐに察知して、解説。
見てるだけで凄いのがわかった。
そしていつもドSな小鳥居は、俺と凪をからかいながら一生懸命勉強していた。
何だか、こんな奴でも真面目なんじゃん。
意外。そういえば俺らの前以外だと優等生だったけ。
そして黛塾が終わり、幸せそうな如月は「また来てもいい?」と、下心丸出しで凪に尋ねていたが、グッドサインをノリノリで出した。
そのまま、凪は俺に視線を向けた。
そしてそのグッドサインを俺の方にも向けた。
あ、来ていいのね。
……予感でしかない。
ただ、何だかつまらない日常から、運命から、なにかが変わるような気がした。
それからというもの中村家に入り浸り、平日は放課後、勉強をし、土日は勉強した後ゲームをしたり、ボードゲームをしたりした。
凪は「明日も来るか?」と、毎日のように嬉しそうに聞いてきてくれていたので、申し訳なさとかは特になかった。
ただ、ずっと引っかかっていたのは、凪と中村の親がずっと帰ってきていないことだけが気がかりだった。
小鳥居や出雲は、まったく気にしていなかったようだし、なんだか聞くタイミングなかったから、まだそのことについて、聞くことができていない。
ただ、すごい充実していた。
そして、あっという間にゴールデンウィークになった。
それまでに、かなり顔を合わせたものの、なんとなくしか知らないお互いの関係を深めようと、小鳥居と中村がキャンプをしようと提案してくれた。
キャンプなんて小学生ぶりだ。
あの時は純粋だったので、クラスの女の子とはなんも考えずに触れ合えたものだが、俺はかわいい女の子とキャンプ、と言うだけで無意識に意識してしまう。
俺は遅れたく無かったので、少し早めに中村家に着くと小さいバスがあった。
小鳥居グループとローマ字で書かれていた。
中に入ると、凪と中村が仲良く隣に座っていた。
一人席と一人席の間にある折り畳み式の席をわざわざ広げて座っていた。
凪は全身黒の色で統一しており、ワンポイント銀のネックレス。
中村はいつもより女の子っぽい恰好をしていた。
かなり似合っているし、胸が大きいことが判明! ただ、抱く感情は、何だか惚れるとかいうよりは、憧れに近い感じだった。
『プリンス』ってのもよく分かる。
凪と話してるようだ。
「だいぶ早いな。家近かったのか?」
「そうだな電車で三十分ぐらいだ」
「ふふ、絶妙に遠いとも言いづらい時間ですね」
中村は楽しそうに言う。
「自販機で買う飲み物の値段も、そんな感じだよな。スーパーで勝ったほうが安いけど、スーパーまで行く手間を考えると買ってしまう、微妙な値段だし」
凪はうんうんと頷きながら言った。
「その絶妙にわけのわからない、下手な例えよりはマシだろ」
と突っ込むと、凪と中村はケラケラ笑っていた。
このゆるい感じが妙に癖になる。
多分ゴールデンウィークまで、中村家の家に通いつめることができた要因の二割がこのゆるさだ。
三割が若葉ちゃん。
四割が小鳥居。
一割が如月との契約モドキの協力だ。
このゴールデンウィークまでの間、俺は全く進歩がない。
小鳥居は、ドS女過ぎるし、顔だけとわかった。
ただ、たまに見せる意地悪っぽい笑顔がどうしてもキュンとくる。
それに、何に対しても、一生懸命だ。
勉強はもちろん、ゲームに対しても、一生懸命だった。
若葉ちゃんは説明無用。
ただ、大人しくはないことが分かった位だ。
割と言うことはちゃんと言う子。
そしてかわいい。
その後、少ししてから、全員が揃い、キャンプ場目指して出発してから数時間、ゆるい会話をしながらたどり着いた。
まず到着すると、みんなで川遊びを始めた。いや川遊びじゃないな、川付近で遊ぶが正しい。
なんなら凪と出雲は、川の近くの岩の上でオセロを始めていた。家でやれ。
若葉ちゃんは、中村に泳ぎを教わっていた。
姉妹のようで微笑ましい。
尊い。
そして、若葉ちゃんの意外な胸の大きさ。
しっかり谷間がある。
目に焼き付けておかなければ。
中村は白シャツだったが透けていて官能的だ。こっちも、目に焼き付けておかなければ。
かくいう俺は、なんと小鳥居に捕まった。少しグラビアっぽいポーズをしながら、どうかしら、と聞いてきた。
若葉ちゃんや中村と比べるとまあ、貧相。こういう時は、
「うん。健康的だな」
「薫。ちょっとこっちに私の胸をバカにする人が……」
あー! と俺はでかい声を出して誤魔化すと、小鳥居は苦笑し、俺から少し離れたところで、持参物であろう椅子に座り、くつろぎ始めた。
優雅なこった。
それから少しすると、如月が話しかけてきた。
「泳がないのあんた?」
「可愛い子たちの水着拝んどいた方が、ベリー有意義だ」
そう、と如月が言ったあと、なんとなーく水着に目をやる。
フリルタイプの水着だった。
ただ、腰に巻いているスカーフが気になった。
なんとなくだが、あとから足されたような、違和感があった。
「なーにー? そんなにエロい腰つきしてる?」
「え? いやいやいや! ただ……それ、ない方が自然な気がしてな」
俺は、如月が腰に巻いている違和感があるスカーフに指を指す。
少し驚いた表情をしたと思うと、
「これね、なんか知らないけど、中学生の頃からアザがあるのよね」
と見せてくれた。確かにすごいアザだ。並の人間じゃこんなんならんぞ。実は俺も、と俺は話を切り出した。
「俺もアザがあるぞ、太ももの深い部分の側面とこ。見る?」
そう、俺にもアザがある。
中学の頃に、交通事故になりそうだった彼女を助けようと思った時に、思いっきり擦ってしまったのだ。
「見るわけないでしょキモイし。スネ毛が」
「やかましい」
男は全部そんなもんだ。
「というか、アンタもあんのね。なんか知ってる? って知らないよね。何言ってんだろ……」
如月は腕を組みながら、自分の発言にツッコんだ。
「まあいいや、とりあえず私は薫くんのところに行くから、そっちも頑張るんだよ」
と言ってから、如月は出雲と凪のオセロを見に行った。なんとなくモヤっとした記憶が湧き水のように、弱々しく吹き出そうな感じがした。
炊飯は小鳥居の申し出により、男女グループに分かれてカレー作り対決になった。
女子の方を見ると中村が無双していた。見とれるくらいいい手際だった。他は誰も料理出来ないらしい。女子力どこ行った。
男子グループに関しては、俺は料理とか、からっきしだったので、米を見ていることを、凪に頼まれた。
ただ、俺は器用ではあると自負してるので、包丁の扱いには慣れていた。
野菜を切ったりすると、凪に褒められたりもした。
出雲は執事だから、なんとなく料理が出来るのはわかっていたが、そこそこの手際で、凪を助けていた。
ただ、驚いたのは、いつもゴールデンウィーク中、何もかも中村に任せていた凪がものすごく、料理ができることだった。
玉ねぎを切り刻みとろみを出し、野菜や肉を放り込んでいく。
俺は、凪に何故そんなに料理が出来るんだ? と尋ねると、
「昔、人に料理を毎日作らないといけない時期があってな。美味い料理を作る気持ちなら誰にも負けない」
と懐かしそうに答えていた。
カレー作りは凪の圧倒的活躍により、男チームの勝利で幕を閉じた。
そしてテントを組み立て、張り終えると、気がついたら夜になっていた。
予定していた、ナイトウォークは七人を二人組二組と三人組一組に分けることになった。
どこからともなく若葉ちゃんが、割り箸の先に番号を振ったくじを持ってきていた。有能である。
紆余曲折を経て、神のいたずらか、如月は出雲と組むことになった。おめでとう。三人組は凪と中村と小鳥居になった。そして俺はなんと大天使若葉ちゃんとナイトウォークをすることになった。やったぜ。
ナイトウォークと言うのもは、肝試しと同じではないが、どうしても肝試しというものを意識してしまうものである。
俺はそうでもなかったが、隣にいる若葉ちゃんは少し怯えているように見えた。
俺が心配そうに見つめてると、若葉ちゃんも少しだけ目を合わせてくれたが、すぐに逸らしてしまった。
とにかく、こんなにおとなしい美少女と、話したことはほとんど無かったのでなんの話しをすればいいのか分から無かった。実はゴールデンウィーク前もあまり話せていない。
とりあえず質問をいっぱいすることにした。
「クラスは何組なの?」
「二年二組。蜜柑ちゃんと黛と一緒……」
「なんか趣味とかあるの?」
「ゲームと本読むことと楽器弾くこと……」
「楽器って何弾くの?」
「ギター……」
「ギター弾けるのかぁ……凄いね!」
……会話が終わった。
キャッチボールでもなくドッヂボールでもなく、千本ノックを、カカシを相手にしている気分だ。でもこのままではまずい、とか思っていると、
「弥生ちゃんのことが好きなの?」
と急に若葉ちゃんは、俺に尋ねてきた。
どうしようもなく、
「ただの友達だよ」
と咄嗟に答えた。
そう、と言って頷くと若葉ちゃんは前をまた向いてしまった。
このままではまずいと思い、視線を若葉ちゃんから、逸らしたまま、
「若葉ちゃんは好きな子とかいるの?」
と聞いてみた。すると、俺の隣から若葉ちゃんは消えていた。
少し後ろを見ると、顔を真っ赤にした若葉ちゃんがいた。
口をぱくぱくさせて、停止している。
俺の中の悪魔が、もっといじめろと言ってきたものだから、
「いるんだね? 誰かなー?」
と調子に乗って尋ねてしまった。すると真っ赤になりながら、
「え、えぬさんがすきなの」
といった。えぬ。Nのことか?
……凪のNか? 気になった俺は「凪……」と言いかけた。
その瞬間に、若葉ちゃんはわーっと腕をブンブン振りながら、俺に近寄ってきて、俺の話を遮ってしまった。
「誰にも言わないで、絶対!」
はーい、と俺は答え、その後若葉ちゃんの顔を見ると、ぷくーと膨れていた。
若葉ちゃんは、「あと……」と言った後、
「よければ……手伝って……」
と言った。
「まあ、気分が乗れば手伝ってやるよ」
「……うん」
若葉ちゃんを見、少し嬉しそうな表情をしていた。
やっぱり、若葉ちゃんは、好きって言うよりは……なんかこう……推しに近い。
結婚したい! 彼女にしたい! ってよりは、幸せになる手伝いをしてやりたいっていう感じだ。
そしてそんな会話をしていると、いつの間にか、ゴールの森の開けているところに辿り着いた。
そこにはカードが置いてあった。
中村によると、これを回収してくるまでがナイトウォークらしい。
三枚あるうちの残りの一枚だったことを考えると、恐らくほかの二組、如月と出雲、凪と中村と小鳥居は、先にここまで来ていたのだろう。
俺たちはそのままスタート地点のキャンプ場に戻った。
若葉ちゃんは安心しきった様子で、川の近くの石に座り込んでいた。
俺も若葉ちゃんの近くに行くが、話す内容が……ない。
それでも、若葉ちゃんについて知っていることで話をすることにした。
「やっぱり……凪と一緒にナイトウォークが良かったか?」
「えっ! うーん……」
そのまま考え込んでしまう若葉ちゃん。
好きって言っていたのに、どうして悩むんだろうか。
「まあ……自分のことしか考えないなら……黛と一緒が良かった」
ほそぼそと答える若葉ちゃん。
なにか後ろめたいことでもあるのかな。
「そっか……」
少しの間沈黙が流れた。
ぼーっとしていると、ここの自然環境が掴めてきた。
川の音は綺麗だし、夜の星空はいつもの街中の雰囲気とは違い、光り輝いている。
「ねえ」
若葉ちゃんが話しかけてきた。
「なにかな」
「ゲームとか漫画とか……ライ……小説とか読む?」
「ん……? そうだな、ゲームはソシャゲとかスマホでやるぞ。若葉ちゃんは好きか?」
「うん。ほかにも、アクションゲームもやるけど、シナリオゲーが一番好き」
「へぇ、どんなシナリオをやるんだ?」
「え」
「へ?」
黙り込んでしまう若葉ちゃん。
そこで詰まるのね。
「こう……人と人との関わりや交わりを描いてる系……かな……」
若葉ちゃんは、顔を赤くしながら、恥ずかしそうに言った。
「おお……」
なんて深いんだ。
どんなに深みのあるゲームなのだろうか。
しかも、それを言う若葉ちゃんの顔は真っ赤だった。
暗くなってきてから、かなり経ったのもあって、目が慣れてきている。
肌が白くて本当にかわいい。
こんなのに好かれている凪は。
羨ましすぎる。
せめて、今度一緒ゲームする約束でも取り付けておくか……。
「今度一緒にやってもいいか?」
「え……やだ……」
「なんだ!」
「た、多分バカにするから……ほかの人とやるもん。黛はそういう系大好きだから一緒にやっても平気だし楽しんでくれるし……薫は純粋だから楽しんでくれそうだし……」
そんなに人を選ぶのか……。
マジで、人と人との関わりや交わりを描いてる系ゲームって、どんなやつなのだろうか……。
割とそのまんまっぽいけども。
「そ、そんなことより好きな漫画は、小説は!」
と強引に話題を変えにくる、若葉ちゃん。
ぐいぐい顔を近づけてくる。
あざっす。
ご尊顔。
もうゲームの話はしたくなさそうだ。
乗ってあげることにしよう。
「そうだな……昔から続いてるやつとか、流行りのやつが好きだな。小説は……読まないなぁ……」
その瞬間、
「そう」
と言って、すぐに若葉ちゃんの表情が陰った。
……さっきから感情のトリガーがわかんねえな。
「若葉ちゃんは何読むんだ?」
「答えない。やっぱりバカにしそう」
とぷいっと向こうを向いてしまった。
「一つぐらいいいだろ?」
「やだ」
「……黛との関係、協力してやんねえぞ」
「え? うう……いじわる……」
と拗ねてしまう若葉ちゃん。
少し泣きそうになっている。
本当に、表情がコロコロ変わって可愛い。
「じゃあ言うね……」
「おう」
そして深呼吸をして答えた。
「地学室でぼっち飯を食べる女の子の弁当がとんでもなく豪勢なのを見てしまった俺はどうすればいいんだろうか……ってラノベ……」
「なっが!」
「ほらバカにした!」
「してねえよ! 一感想だよ!」
「うるさい! バカ! ライトノベルをバカにするな! ばーか!」
と走って逃げていく若葉ちゃん。
少し楽しそうにしている感じもする。
俺もなんだか、テンションが上がってきた。
「若葉ちゃんってそういうの読むんだ! おじさん初めて知ったなぁ! もっと知りたいなぁ!」
と追いかける。
「わー! 来ないででかい気持ち悪い人! って足遅い!」
とか言いながら追いかけっこをしていたんだが、なんと俺の方が先に力尽きてしまい、大きな石に持たれかかった。
少し呼吸を整えていると、若葉ちゃんが隣に座ってくれた。
若葉ちゃんはまったく息は乱れていなかった。
「ラノベは面白いから……ばかにしないで……」
「わかったよ……というか、別に馬鹿にしてるわけじゃねえんだけどな。とにかく、今度読んでみるわ」
「というかさ……私、気がついたんだけど……」
「なに?」
若葉ちゃんが、少し俺らが帰ってきたナイトウォークをしていた森を一瞥すると、
「なんでみんな帰ってこないの……?」
と疑問を投げかけてきた。
あれから確か……三十分は経っているし、やっぱりおかしいな。
「確かに……カードを最後に取ったのは俺たちだ。なのに三十分経っても、誰も帰ってこないのはさすがにおかしい……よな……」
「探しに行こ……方位磁石はあるし……あっ……雨?」
ちょうどその時、霧雨程度だが、雨が降ってきた。
「このまま雨足が強まるとまずいな。さっさと行こう。はぐれないようにな」
と俺が言うと、若葉ちゃんは頷き、一緒にまた森の中へと入っていった。
「おーい。凪〜。とかその辺〜の奴ら〜」
俺達が森の中に入ってから、十分ほど。
若葉ちゃんと俺は、誰も見つからずに森の中をウロウロしていた。
霧雨はありがたいことに止んでくれた。
「いないね」
「そうだな……どっかから落ちてるとかなければいいが……」
「それに関してなんだけど、弥生ちゃんが言うに、特にこの森は怪我をするところとかなくて、三十分ぐらい歩けば、村に続く道があるから、いざとなれば誰かが助けてくれるかも、らしいよ」
「早く言えよ……まあまあ焦ってたぞ俺……」
「ほら休憩しよ。そこの木の下あたりで」
若葉ちゃんは、とてとてと走って木の下に腰掛けた。
まあ……安全なら……焦っても仕方ないか。
「ふう……なんだかんだ疲れたな」
「そうだね。歩きっぱなしだったし」
「なにか話すか。ネタあるか?」
「人と話すのに、なにかネタある? とか振るからダメなんだと思うよ。私もあなたも」
「うっ……」
めちゃくちゃ真顔で言われた。
若葉ちゃんは、やっぱり結構ストレートにずかずか言ってくるな。
「まあそうだな……どうやって凪と出会って……好きになったんだ?」
「えっ」
「他の奴らには言わねえからよ」
「うう……わかった……」
と若葉ちゃんは言うと、どこから話そうかな、と上を向いて少し考えてから、話し始めた。
「一年の夏休み終わり……初めてあったのは図書室のラノベコーナー。そこでは会話はしなかったんだけど……たくさんラブコメとかそっち系のラノベをいっぱい借りていった男の子がいて……それが黛だったの」
「凪もオタクなんだな……」
「なんなら蜜柑ちゃんもオタクだよ」
「それは知ってる。部屋を見たら、直ぐにわかった」
呆れながら、彼女の部屋で寝たあのことを思い出しながら話す。
「そっか。それで……はっきり言うけど……顔がめっちゃタイプだったの。それで、なんとなく、黛が友達の話しているところを、遠くから見ているうちに、性格とか雰囲気とかも好きになったの」
「なるほどなるほど」
凪は中性的な顔をしているし身長も低めだが、どこか男らしく声も低音のため男の俺でもモテるのがわかる。もちろん、あの執事くんには敵わないと思うけどな。
「それで……それから校舎ですれ違うと、目で追うようになるくらいに好きになっちゃったんだけど……いつも隣には蜜柑ちゃんとか男の子の友達が居て……話しかけられなかったの。でも……文化祭の後夜祭で……一人でいる所に突然、黛が隣に座ってきたの」
「え……? なんで……?」
「私はバレてないと思ってたんだけど……私に見られてることを、黛は知ってたらしいんだ。それで気になって、チャンスと思って話しかけてくれたんだって」
「んで、お前はなんて黛を見ている理由を答えたんだ?」
「さすがに……好きだからとは言えなかったんだけど……私もこれはチャンスだって思ってたから……友達になりたいからって言ったの。そしたら連絡先とか交換してもらって……それから蜜柑ちゃんとも仲良くなって……蜜柑ちゃんのお家によく行くようになって……蜜柑ちゃんは、私と黛のこと応援してくれて……黛のことをもっとよく知っていくうちに……本当に優しくて……もっと好きになっちゃった……」
話を終えた若葉ちゃんの顔は、すごく幸せそうな、優しい笑顔だった。
本当に凪……黛のことが好きで……ここまで仲良くなったんだな……。
俺も応援すべきなのかもしれない。
黛と若葉ちゃんの関係を。
そんな若葉ちゃんの顔を見ながら夢中になっていると、俺達の前の方から唸り声が聞こえてきた。
「おい……やばくねえか……この森安全じゃねえのかよ」
「待って……なにか見える。それに少し聞いたことあるようなリズムの唸り声かも……」
「なんだその感想は……唸り声ソムリエにでもなったらどうですか若葉先生」
「お断り。ほら来るよ」
少しずつ影がハッキリと見える。
それはよく見る長身のレディプリンス、中村蜜柑だった。
こっちを見るとすぐに若葉ちゃんの方に走り込んできて、
「うえーん! やっぱり若葉ちゃんと進さんだー! はぐれちゃいました〜! よかったー!」
と若葉ちゃんに擦り寄った。
俺は、
「それより黛と小鳥居は?」
「わかりません……気がついたらはぐれてしまって……私、いつの間にか置いていかれたようで……」
「そうか……とにかくこのまま黛と小鳥居を探そう。中村は疲れてないか?」
「平気です。演劇部って割と体力あるんですよ」
「そうか。じゃあ行くぞ。若葉ちゃんも平気か?」
「うん。平気。行こ」
また俺達は、森の中を歩き始めた。
「そういえば、二人で何を話されていたんですか?」
と中村が尋ねてくる。
「若葉ちゃんが黛のことをどうやって好きになっ……って痛って! なにをするんだ若葉くん!」
「ばか。殺す」
若葉ちゃんの御御足が、俺のサンダルから見えている足に踏まれている。
ありがとうございます。
ご褒美です。
「あはは。大丈夫ですよ。私は知ってるので。ねー若葉ちゃん」
「う、うん」
と若葉ちゃんを撫でる中村。
まるで姉妹だな。
「というか私は、割と進さんの初恋とか気になりますね。女子として」
「うん! 気になる気になる」
と中村と若葉ちゃんが詰め寄ってくる。
まあ、若葉ちゃんが心を開いて話してくれたし……話すかなぁ。
「中学の頃なんだけどよ、一年の頃同じクラスの早川 咲って奴のことが好きでな。まあ色々あって、告って付き合うことになったんだ」
そこまで言うと、若葉ちゃんと中村はすぐに口を挟んできた。
「そこカットするとかないない」
「進さんつまんないでーす」
「うるせえ! 普通にアプローチして告白しただけだっつーの。特に話すこともねえよ!」
二人のブーイングを受けながら続ける。
「そんでな……中三の卒業式のあと……俺と咲が事故に遭った……」
事故、という単語を出すと中村の顔が少し、不安そうになったので、少しぼかして、フォローを入れることにした。
ま、こういう時は、嘘ついてもいいよな。少しぐらい。
「大したことじゃねえよ? 少し骨折ったぐらいだ。んでその間に一緒の高校……高梨高校に入学する予定だったのが、いつの間にかあいつだけ消えやがった。そっから連絡がつかねえんだよ。……まあ俺の初恋はこんなもんで……」
申し訳ないと思いながら、ある程度ぼかして答えた。
その必要があったからだ。
そして二人を見ると泣いていた。
「うう……初恋の人と突然の別れ……なんてドラマティックなんでしょうか……」
「進はよく頑張ったよ……うんうん……」
「そ、そんな感動する話でもねえんだけどな」
と泣いている二人をなだめていると、
「いやー良い話を聞いてしまったな」
「そうね。少しいじわるだった気もしたけど、これで進との距離も近くなったわね」
とひょっこり黛と小鳥居が現れた。
「あ。いた。よかった」
「黛さん! 弥生さん! よかったです!」
と若葉ちゃんと中村は、手を握りあって喜んでいる。
「ちょっと何も無くてつまらんと思ってな。あえて蜜柑を置いていく振りをして、後ろからついていったんだ。すまんな!」
ニッと笑いながら話す黛。
「これは私のアイデアよ。ごめんなさいね蜜柑ちゃん」
と小鳥居は、中村に謝罪をする。
「あれ……ということは……俺のことを知りたいから泳がせてただけ……?」
と俺は小鳥居に尋ねた。
「そこまで深く予想はしてないわ。でもまあ収穫はあったわ。咲ちゃんね。このネタで一ヶ月はいじれるわね。ドラマティック失恋野郎って呼んであげるわ」
「くそ! 話すんじゃなかった!」
俺は、ついその場で頭を抱えてしまった。
この手のドSに、こういう弱みを握られると、ろくなことが起きないことはよーく知っている。
何も無ければいいけど……。
「それより。薫と未来ちゃんはいいの?」
と若葉ちゃんがみんなに尋ねる。
「ああ! そう言えば! 探しに行かねえと!」
と俺は方位磁石を確認し、進んできた方向を確認する。
「そうね。早く探しに行きなさい! さあ!」
と小鳥居。
「ああ、行ってくる。みんな疲れてるだろうし待っててくれよ!」
俺は方位磁石を持ちながら、少し駆け足でさらに奥に進もうとすると、小鳥居の笑い声が聞こえた。
「ふふっ……おかしいわね。本当に疑うことを知らないのかしら。ねえ? 黛」
「ん? そうだな。進は良い奴だ。とにかくここは進に任せるとしよう。お前たち、戻るぞ〜」
なんだ? またなにか企んでんのか?
俺はそのまま、戻ろうとしている小鳥居のところに戻り、
「おい、探さなくていいのかよ」
と尋ねた。
「未来ちゃんから話があってね。薫と一緒にいたいから、なかなか戻らないと思います、だそうよ」
といたずらっぽく笑う小鳥居。
「あなたが二人を探しに行って、どこかに行ってしまわなくてよかったわ! あーよかった!」
「てめぇ……俺を嵌めるつもりだったんだな……」
清々しいほどの棒読み。
機械音声のほうがマシなレベルだ。
こいつ……本当にサディストが過ぎるだろ。
危ないところだった……。
「まあ、もしあなたが探しに行っていたら私はついて行っていたでしょうけど」
「は? なんでだよ」
すると小鳥居は、先に帰った黛たちの背中を追いかける前に、
「それが分からないから、女の子に何も言われずに逃げられるのよ。ドラマティック失恋野郎さん」
と唇に指をあてながら、いつもより幼い感じの表情で言い放ち、黛たちを追いかけていった。
……永遠にあの表情なら可愛いんだけどな……あいつは……。
色々ひやひやすることがあったナイトウォークから戻ると、すぐに幸せそうな如月の顔が目に入った。忌々しい。あいつだけしっかり出雲とのしのし歩きやがって。こっちの心配も知らないで。ああ、忌々しい。
その後、みんながテントに入る前に天体観測をした。理系っぽい中村が望遠鏡をしっかりバスの中に詰め込んでいたみたいで、興味津々な若葉ちゃんと出雲と一緒に、仲良く望遠鏡を覗いていた。
都会では星があまり見えない。俺達の学校がある地域は半分都会、半分田舎なので、頑張れば、星は見えるっちゃ見える。だがこういう満天の星空はプラネタリウムでしか見た事がないもので、なんだかんだ魅入ってしまっていた。
川の近くでぼーっとしていると、小鳥居が話しかけてきた。あなたに質問をするわ、と切り出した。
「私、そんなに楽しそうかしら?」
……なんですかいきなり。
ともかく、真面目に思い出してみたが、こいつとの思い出はあらゆる失言、欠点を指摘され、からかわれるぐらいしかない。
ただ、なんとなく、楽しんではいた気がした。
「そうだな。楽しそうだったぞ」
俺がそう答えると、邪魔して悪かったわねありがとう、とだけ言い残し、黛のところで会話を始めた。
あいつにありがとうなんて言われたのは初めてかもしれない。
なんだかんだ世話になりっぱなしだった。
ゴールデンウィークまでの間、あいつのおかげでやっとこさ、新クラスの友達ができた。
とは言っても、弥生と薫、如月の三人だけだが。俺こそありがとうと言うべきだ。うん。どっかで言おう。どっかで。
そしてテントの中に入り、こじんまりとしたスペースに男三人で寝ることになった。
「こういうの初めてだ……少し緊張するな……」
「大丈夫だぞ。女の子と一緒に寝るわけじゃないんだから」
と緊張の面持ち薫と、余裕の表情の黛。俺も、
「こういうのは話しながらいつの間にか一人が寝て、つられるように他の奴らも寝ちまうってのが定石だ」
と慣れていなさそうな薫を、安心させるべく言った。
ふむ、そうなのか、と薫は顎に指を乗せた。
「よし、お互いのことをもっと知りたいし質問し合うことにしよう! そうだな!」
薫の独り言なのか、よくわからん決心と同時に、薫は寝袋にスススと転がり込んだ。
俺たちも、続いて寝袋に入る。
質問合戦はかなり有意義だった。
黛がとんでもないくらいのオタク知識を保持していたり、中村のスリーサイズを知っていて、中村はかなりグラマーだってことが分かったし、薫がポニーテールなのは、弥生の趣味で、薫もその髪型が好きだからしていることもわかった。
ふと俺の番が回ってきた時に、この前黛が居候する理由を少しぼかしていたような気がしたことを思い出して、あの時少し理由をぼかしていたように感じた〜という旨を伝えた。
すると黛はテントの壁際、ちょうど女子チームのテントがある方を向き、少し長くなりそうだが睡眠導入剤にはなるだろうな、言ってから、続きを話し始めた。
「小学五年ぐらいの頃な、それまで……今もだけど、ぼくと蜜柑は家族ぐるみで遊ぶ仲だった。ただお互いの両親は旅行好きで、ぼくと蜜柑はインドアだった。ゲームとかアニメとかの方が好きだったんだ。でも理解のある両親でな、無理に連れていこうとはしなかった。今となっちゃ束縛しない、いい親だったと思うぞ。むしろぼくはそんな両親のために、家のことは任せて欲しいって思ってた」
ため息をしたあと、少し間を置いて黛は話す。
「で、ある日、ぼくたちの両親が、旅行に行く時のバスが崖から落っこちてな、蜜柑のおやじ以外、三人とも即死。生き残ったのはサービスエリアでうんこしてて、バスに乗り遅れて、取り残された蜜柑の親父だけ。急に日常が壊れちまった。ぼくはひとりぼっちだったのを、蜜柑の姉ちゃんと蜜柑の親父にケツ叩かれて、中村家にぶち込まれたってわけ。すまんな。薫は知っているだろうけど、進にとっては、やたら重いわ長いわで」
……かなり黛が明るく話してくれたから緩和されているが、相当不幸な思い出だ。
「んで、お前が気にしてた、ぼくがやたら料理できるのは、蜜柑のために美味い飯を食わせる為って事。姉さんも親父さんも忙しそうだったしな。涙目で、『蜜柑を元気づけるにはお前しかいない!』と頼み込まれてしまったし、うまい料理でも食べれば、元気になるかなって思ったわけ」
なんだか一気に、黛と蜜柑との距離感が近くなった気がした。
「大変だっただろ?」
「まあね? お葬式の会場取りとかね? 中村グループは、やたら関係者多いからな。あとまあ、寂しかったな。もう誰とも離れたくない。誰かと居たい、そう思ったさ」
冗談交じりに話してくれる黛を見ると、やっぱりこいつは少し口が悪くても、とんでもなく優しい人物だと再理解した。
それに、俺と如月を、家に受け入れてくれたのは、黛自身が寂しがりや……という理由もあるのかもしれない。
ふと薫を見ると、眠りについていた。薫の昔話も聞きたかったのだが……こいつは凄い図太いのか、感情が薄いのか分からん。
俺も知らず知らずのうちに、眠気が襲いかかってきていたが、その朦朧とした中で、どんだけ辛い思いをして、黛と蜜柑はここまで明るく振る舞えるようになったのだろう、と疑問をまた抱くのだった。
次の日、弥生に黛と蜜柑の過去のことについて話した。
黛と蜜柑の過去については知っていたらしく、それを話してくれるのは、親しくなった証拠みたいなものだ、と言っていた。
蜜柑と黛が楽しそうに朝ごはんを作る姿は、そんな過去がないかのようだった。
今は、心に余裕があり、心から楽しんでいるように見えた。
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