君と隣りあわせて

児玉二美

1章

いつにない顔 ( 1/4 )

 その『夢』から覚めました。

 姿勢はそのまま、焦点が合わない目で俺は一点を見てた。


 飯の支度の音が聞こえる。俺も行く準備しよう。

 授業はもう、あってないようなものだ。体を連れていって机で座らせとけばいいだろ。仕事も本番は四月から。ここでオタついたら劣敗よ。



  昼が息をつき


   影が去るまで



 なぜ、このタイミンときグなのかを知りてえ。


 考え考えチャリ移動し――着くといつものところにはほかのやつのチャリが駐められてしまっている。三年になってから、ときどきこうだ。校舎の角を折れてもっと奥に場所を探した。

 鍵を抜いて靴箱に向かいながら、もう一度思いめぐらした。


 見事に遠のいてる記憶。


 たしかに近くにいたあいつ。体感時間がちがったや、いままでだと小っせえ砂時計のぶんもないぐらいが、今朝のはいやに……長くて。


 今度のは、‘手続き’のスパンと絡んでないって――どういうことだよ?

 教えてくれい、太助。真友。


 頭の中に、けだるい系ロックミュージックとどことなく相通う音色が響きわたっている。そして太助たすけ。この肩の上で、俺の頭を撫でさするおまえの手の感触、それはまざまざとよみがえる。


    ୦


「あらどうしたの、福留ふくとめちゃん。他覚徴候発現か」

 そいつ藤野は机の前に来て言うと、眠そうな顔でもって苦笑いを浮かべ、さらに言った。


「聞きたくもなるよ、いつにもなくそんな顔してりゃさ」


 俺の喉が、犬のごとくにうなった。

「なんでもグォロナと結びつけやぐゎる」


「じゃない、ウイルスじゃない。vacワクから来るんさね」


 そのスラング調がなおさら青スジ立たすんじゃ、「いー、いい、いい。そう言って、話が布教に発展するんだろ」

 おまえはへんな御教えにかぶれてるからいやなの、マジに。


 俺の親――別居中の、いや。俺とスッパリ別れた二親も、同じ団体の構成員とくる。


 地理的に、集会所は別々なんだろう……っていって交流がないかとなると、わかりゃしない。

 近年まで鳴りをひそめとった新々興宗教、御倉総神山みくらそうしんざん。校内にかぶれてるのはまだいる。藤野の彼女までが染まっている。御倉のなにがおまえらの血を沸かせるんだか知らんがよ。

「んで、どんな面してんの俺」


「いまのいままで、頭の中がヘチマになったようなお顔してたよ。俺、心配になっちゃったねっ」


 ヘチマだ? ひでえや。やっぱりおまえはひですぎるよ。


「熱はござらぬな……どうしたのかなぁ福ちゃんは」


――気持ちいい。

(認めたくないが)

 肩を叩かれたことならあったが、こいつに顔の一部を触られるのはいままでになかった。

「いいのか? 藤野。四条が見てないところで俺におタッチなんかして」


「おや? 照れてませんか? 福留ちゃん」


「そーよ、僕照れてるの。って、なるかい、いちいち。おまえ、なんで二時間目から出てきたの? それも、いつにもなくマスク着けて入ってきたよなあ」俺でさえ、いまマスクはずしてるのに。


 登下校に休み時間、頑強にマスクをしようとしてこなかった者のほぼ全員を占める御倉信者。授業中にはずしてたときすらあった……。それで連中は学校と揉めたりもした。

 三年になるまでクラスのちがった藤野とは、この一年間テキトーに関わってればいいぐらいに思ってたんだが。

 こいつと話すとへんに熱の入った談義になることがある。


 藤野は上着のポケットに手をやって言った。「保温だよ、これは」

 言いながら、ふあっとあくびをした。「今朝はすこぶる寒かった……残業したから一番サッブい時間に自転車漕いできたんだぜ? サミーネミー」


 寝すごされたか。


 半分に折りたたんだマスクを取り出すと、「これはそんじょそこらの'顔おむつ'とはちがってな。特殊なアマ科の植物繊維のつむぎ糸を用いて縫われたすぐれもので」


「いい、いい」

「宣伝しようなんて思っちゃいないさ。おまえに宣伝するとなったら、プレゼントしないことには気がすまなくなる。ンでもって、あいつにも、こいつにも…………と」


「ほら、鐘が鳴ったよ。席にもどれよ」


「悲しいかな、いまんとこ、俺は、俺とさつきの分で手いっぱいでな」


「たーのーむーから。着席しやがれってんだ」


 藤野ふじのけんは、年度の変わり目に四条しじょうさつきと婚姻届を出すことになってる。

 二学期の期末テストあけ、さつきは体育の授業中に救急搬送され、そこで妊娠と診断された。通学時のリスクが懸念されて、ぱたりと彼女は登校しなくなった。

 藤野は深夜の仕分けバイトをはじめた。それまでやったアルバイトとは毛色がちがくて、当初は苦戦したもよう。いずれ就労時間を増やして、当面そこでやってくようだ。


 俺は俺で、同じ会社で夕方からバイトしたことがある。二年の夏休みにはフルタイムでも働いた。教習所にいく金を貯めるためだった。


    ୦


 前の空いてる席の主は陽性が出て、自宅で療養中。解熱はもうしてて、今週中に出てこれないこともないらしい。


「しっかり飯食ったかーい?」


 言いながら前の席の椅子に、藤野が横へ足を出して座った。


「ああ」


 俺は午後カットでも食べて帰る組。特にきょうは、ほうれん草の卵炒めがおいしかった。

 のはいいんだが、今朝は伯母ちゃんが呼びとめてくれてなきゃお弁当を持って出忘れていた。この頭ほんとにヘチマになった疑惑。

 浮かせていた椅子の前足をもどして、すこし机に引く。


「どんなときでもがっつり食うよ、弁当は。俺がここにいるってのは、そういうことだ」


 どういう意味でもないが、後半をすこし小さめの声で言った。


 あの夢で真友たちに会うのはきまってコロ注した次の日だった。連動してたから日付を忘れにくいんだが、今度はどう覚えようか。そうだ、生徒手帳。

 右手を胸に当てた。生徒手帳に一日一行、見開き二ヶ月の予定表がついてたじゃないか。

 あとでなにげに書きつけとこう。


「あのね、あのね」


 布教でなければなんだよ藤野。もったいつけよる。


 藤野は、

「さつきがさ。卒業見込めそうなんだ」


「ほう」

「オンラインで補講してくれる。きょうあたり、二者面談にここに来ることになってる」


「それはそれは。もったいないもんな。よかったじゃん」


 きょうフケずに出てきたの、四条が来るかもしれなくてか。

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