第16話 密告
少し時は遡り、ジョゼフィーヌはルドゼーを大司教に就任させる任務に成功してからは、長官としての仕事をこなしつつ待ちの姿勢を取っている。
直属の部下へは自分を襲撃した大男の背後を洗うのは無用だと言って止めていた。
「それは市長殿にお任せしましょう」
職分を侵さないようにとの配慮をにじませつつ、心の中では無駄だと思っている。
大男にマジックマッシュルームを食べさせて暗示をかけた人物にたどり着けたとしても、その先の手掛かりは途切れるだろうと判断していた。
それに何か腑に落ちないものも感じている。
あのタイミングで自分に危害を加えることで利益を得られる存在が思いつかなかった。
司教を説得というか、発言を逆手にとって追い詰める前のことであり、誰もあれほど上手くいくとは思っていなかったはずだ。
若いジョゼフィーヌが途方にくれると考えるのが普通である。
だからガイダル侯爵一門の誰かが命じたとは思えない。
スコティア陥落の報を受けたキタイの誰かが送り込んできたという可能性は否定できないが、戦争中でスワロウゲートは閉じられている。
動機と実行可能性の両方を満たす容疑者が見つからず、ジョゼフィーヌは一旦追及を保留としていた。
少し苛立ちを感じていたジョゼフィーヌが喜んだのがリラダンの到着である。
こっそりと砂漠の狐アザートの陣へと遠縁の少年を送り込み、戦況を視察して戻ってきていた。
借り上げている館で報告を済まし、ジョゼフィーヌの近況を聞く。
教会で襲われたという話を聞いたときは顔色を変えたが、未然に防いだエイダを褒めた。
「褒美を出してくれてもいいんですよ。おっさんのゲロ浴びたんですから」
手を出すエイダににべもない一瞥をくれる。
「それがお前の仕事だろ。それにニールが間に入らなければ閣下が怪我をしていたかもしれない」
「ええー。僕だけでも十分守れたと思うんだけどな」
続いてジョゼフィーヌがルドゼー司教に説いた内容を聞いてリラダンはジョゼフィーヌに頭を下げた。
「見事な手腕と存じます。しかし、これで閣下の才能の片鱗を示すことになってしまいましたね。子息二人はともかくガイダル侯爵や懐刀のギュスターヴに警戒されるのは避けられないでしょう」
ジョゼフィーヌがソファのひじ掛けに片ひじをついて身を預ける。
片方の拳をあごに当て足を組んで座る姿はとても御令嬢とは見えない。
気の置けない者といるときはこんな格好をしてしまうジョセフィーヌだった。
「それは仕方ないわ。ルドゼー殿が大司教に就任するのは絶対に必要なことだもの。空席のままだとキタイと停戦もできないわ」
話が飛んだことにリラダンはいぶかしんだ。
「それは……どういうことです?」
「リラダン。あなたも見てきたように、スワロウゲートでの対陣は双方打つ手を見出せなくて暗礁に乗り上げたようなもの。キタイ側としては体面が傷つかない形での講和を模索しているはずよ。仲介役としてはバルバド聖教会が最適だわ。そのときにセルジュー王国の窓口役となりえる大司教の席が空白のままだと交渉が難しいでしょ」
「そこまで計算されていたのですね」
「ガイダル候は功を焦っているし、無理に仕掛けられて大損害を出されても困るもの。だいたいキタイよりも少ない兵力で決戦をしかけるなんて自信過剰すぎるわ。ご先祖さまの活躍をなぞりたいのでしょうけどね」
ガイダル家が今の勢力を築くことになった始祖であるオズワルドは、類まれな戦術を駆使して寡兵良く大敵を打ち破ることで名をとどろかせていた。
今では各国でもオズワルドの用兵の研究が進み、その応用では容易に戦果を得られなくなっている。
ただ、家名を誇りとするガイダル侯爵としては、自分も鮮やかな勝利を飾りたいと考えているのは明白だった。
ジョゼフィーヌは足を組みかえる。
スカート姿の令嬢としてはあるまじき態度だったが不思議と似合った。
「兵站の心配がないのだから、キタイよりも大兵力を動員すれば良かったのよ。東方と南方は落ち着いているのだから。それを精鋭とはいえキタイより少ない兵でぶつかって損害を出すなんて」
「要塞駐留軍もあくまで一部を使っているだけのようです。その上、扱いが良くないので不平の声が囁かれています」
リラダンは後々のために情報源の友人ボールスの名を出す。
「そう。休戦したら一度あなたの友人に会いましょう。それで、侯爵が勝手に評判を下げてくれるのは助かるのだけど、逆に言えば中央軍での支持は厚いのね」
「まあ、中央軍へはそれなりに景気よく恩賞を振る舞っているようです」
「いずれはそこを切り離さないといけないわね。ゆっくり考えましょう。リラダン。お疲れ様。ゆっくり休んで」
それから数日後、使いに出ていたリラダンは役所に入ろうとする。
もうすぐ事務市長が相談事があると言ってジョゼフィーヌに面会を求めている時間だった。
リラダンは自分に向かって踏み出す人影に身構える。
「あの……。神箭のリラダン様ですよね?」
目鼻立ちの整った若い娘が手紙を差し出していた。
ジョゼフィーヌへの警告をどうしようかと悩んでいたセシリアである。
「これ受け取ってください」
爽やかな容貌のリラダンはこうやって恋文を受け取ることが少なくない。
本音を言えば有難迷惑ではあったが、根が真面目なのでその場で受け取り拒否をすることはしなかった。
頬を赤くしたセシリアに軽く頷いて封筒を受け取る。
「後ほど読ませてもらいます」
そう言って役所の中に入っていった。
階段を上がって、長官室に足を踏み入れる。
ジョゼフィーヌが部屋の壁沿いにある
「リラダン。時間がかかったわね。また熱心な女性から恋文でも受け取っていたのかしら?」
リラダンは両手を広げてやれやれというように首を振る。
「確かに一通受け取りましたが、時間がかかったのは使いの用件ですよ」
そこへ扉がノックされた。
応諾の声に事務市長が部屋に入ってくる。
ジョゼフィーヌは机の前の椅子を勧めた。
「お忙しいでしょうし、単刀直入に申し上げます。不審火の件なのですが、容疑者の少年を捕らえたとの知らせがありました。しかし、村でも評判の正直な働き者でどう判断したらよいか困っているのです。ルドゼー殿も唸らせる智謀をお貸し願えないでしょうか?」
事務市長が現地に赴くのに同行するように願い出るとジョゼフィーヌは同意する。目を輝かせていた。
その夜、私室に引き上げたリラダンは恋文の存在を思い出して開封する。
読まずに捨てるなどということはしない男だった。
そこにはジョゼフィーヌの視察に関して良からぬ陰謀が進行している疑いがあると記載されている。
リラダンはもっと早く開封すれば良かったと後悔した。
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