第2話 城塞都市スコティア
弓を構えたリラダンが声を張り上げる。
「私は騎士リラダン。こちらはリージモン辺境伯ご息女ジョゼフィーヌ様である」
手堅く守られた門の上で人が動く気配がした。
誰何の声に応えて同行者の一人が掲げたランタンの光の輪の中でジョゼフィーヌは目深に下ろしていたフードを上げる。
生き生きとした目と伝家のティアラが炎を受けて輝いた。
城門の中で動きがあり、じゃらじゃらと音をさせながら城門を引き上げる鎖の音がし始める。
宵闇のように暗い水をたたえる堀に跳ね橋が下りきるのを待たずにジョゼフィーヌは馬腹を蹴って乗馬を跳躍させた。
カッカと音をさせながら馬を進めるとリラダンが慌ててその前に出る。
一行は城門の中へと馬を進めた。
「ジョゼフィーヌ様!」
門に詰めていた兵士たちが一斉に敬礼をする。戦いの直後の興奮を残し目はぎらつかせていたが、鎧などに激戦の跡は見られない。
片手を挙げてそれに応えたジョゼフィーヌはそのまま町の中心へ進んだ。
作戦が功を奏したのか派手な市街戦が行われた気配はない。ただ、どの家も息をひそめるようにぴたりと戸を閉めていた。
ジョゼフィーヌの到着を告げるために兵士の一人が中心にある大きな館へと走る。
そのため、館に到着したときには大きく開け放たれた門の前には、部下を従えたリージモン辺境伯オルブライトの巨躯が出迎えていた。
鈍い光を放つ金属製の胸当てをつけ緋色のマントを羽織った姿は周囲を圧している。
「父上!」
ジョゼフィーヌは乗馬から飛び降りた。
数歩を跳ねると父親の胸に飛び込む。
「この放蕩娘め。しばらく便りも寄越さないでいたのに、急に顔を見せるとはどういう風の吹き回しだ?」
「久々に会った愛娘にかけるセリフがそれなの? 私もそれなりに忙しかったんだから。走り回ってくたびれたわ」
門内へと歩きながらジョゼフィーヌは頬を膨らませた。
オルブライトは肩をすくめる。
「その表情は相変わらずだな。いや、少し痩せたか?」
「父上。大事なお話があります。人前では話せないのでどこか部屋はありませんか?」
「なんだ? 慌ただしいやつだな。一晩休んで明日でもいいだろう?」
「お話が終われば休みます。ただ、先にお話を」
ジョゼフィーヌは振り返るとリラダンに命じた。
「今日はもういいわ。ゆっくり休んで。明日はまた長躯することになる。馬にも飼い葉を与え世話をさせておいて」
リラダンは気を付けの姿勢を取ると他の部下とともに厩舎へと向かう。
その様子を見ていたオルブライトは片眉を上げた。
「すっかり人心を掌握しているようだな」
「父上には敵いませんが。そうそう遅ればせながら、スコティア攻略おめでとうございます」
「ああ。こんなに簡単に落ちるとは思わなかったがな」
さらにオルブライトは言葉を続けようとして口をつぐむ。
廊下を進み書斎らしき部屋の扉を開けて初老の副官とジョゼフィーヌだけを中に招いた。残りの部下には呼ぶまで誰も通すなと命ずる。
副官が部屋の扉を閉め、全員がソファに着座するとオルブライトは表情を緩めた。
「久しぶりに使いの者を寄越したと思ったら、スコティアを攻めよ、攻略の工夫はかくかくしかじかと言ってくるのだからな。まあ、それが図に当たってほぼ損害なしで攻略できたわけだが」
「お嬢様の才は存じておるつもりでしたが、この爺もあまりに上手く作戦がいくものですから腰を抜かしそうになりましたぞ」
髪も眉も白くなった副官のエイギールも言葉を添える。
ジョゼフィーヌは目にかかる金色の前髪を煩わしそうにかきあげると肩をすくめた。
「父上。お伺いしたいことがあります。この町に居た有力者を捕らえた中にこれぐらいの少年がいるでしょう? 私に下さいませ」
年恰好と特徴を聞いてエイギールは頷いた。それを見てオルブライトは娘に発言の続きを促す。
「その少年は砂漠の狼のはとこに当たります」
砂漠の狼アザートの名を聞いて二人は顔を見合わせた。
「本国は北方で隣国キタイとにらみ合いの最中ですね。ご存じのようにキタイと同盟関係にある遊牧民族の長アザートとジャビスも参戦し、我が軍を圧迫しています。そこで少年に手紙を持たせて放ちます」
「キタイを裏切れというのか?」
「そのようなことをする男ではないのは父上もご存じでしょう。ただ、アザートは義理堅い男ですからね。前線に出るのを多少は控えるぐらいは応じるのではないかと拝察します。すでに間者を使ってキタイの将軍の耳に虚栄心を刺激する噂を入れる手配はしてありますから、疎外されてまで無理に前線に出ることは無いと存じます」
エイギールが口ひげを捻りながら反応する。
「なるほど。あの将軍は手柄の亡者だ。アザート一人が武名を上げるのを喜ばないでしょうな」
オルブライトは首を傾げた。
「しかし、それで我が国は勝てるのか? ここスコティアを陥落させたはいいが、本国が会戦で敗北したとなれば救援しなかった責めを問われるぞ」
「父上。本音は直接キタイ本軍と戦いだけなのでしょう?」
娘の発言に哄笑した。
「さすがは我が家の賢者。俺の心の内などお見通しか。この際、俺の願望は脇に置いておこう。それを別にしても本国軍が破れるのはまずい」
「大丈夫です。此度の戦は我が領内に攻め込まれた形。要地は我が軍が占めていますし防御に徹すれば大敗することはありません。それに父上の軍主力は歩兵が主体。仮に援軍に赴いてもサントロワ城からスコティアまでの距離の十倍もの距離です。行軍をしている間に戦いは終わりますよ。間に合いません」
折りたたんだ地図を広げて指さし説明するとオルブライトは大きく頷く。
その様子を見ていたジョゼフィーヌは最初の質問の答えを催促した。
「それで、少年は私に下さいますか?」
「ああ。分かった。もともと殊勲者のお前には捕虜のかなりの部分を与えるつもりだったからな」
「いえ、父上。捕虜はキタイの駐留軍以外は全員無条件で釈放してください」
「地元の兵士もか?」
「はい。この地はキタイに服属しています。ただ、かなり締め付けは厳しいようで元々心から支配を受け入れているわけでは無いようです。父上の恩徳を施して懐柔する方が得策でしょう。どのみち、彼らの協力なしに父上の現有戦力で、ここをいつまでも保つ余裕はないのですから」
さすがに大胆な提案にオルブライトも即答できない。
畳みかけるようにジョゼフィーヌが尋ねた。
「そういえば、配下に対して略奪や暴行は厳に慎むように命じてありますね?」
「ああ。出陣前に言い渡してある。我が軍に俺の言葉に背く者はおらぬよ」
「それは存じておりますが、どうしても戦の興奮から粗忽なことをしでかす者がでないかと心配をしてしまいました」
「そこは後で再度徹底させよう」
「ありがとうございます。それで、もう一つお願いがございます」
オルブライトは身構える。
「また金の無心か? 身代金を取らないとなるとそれほど我が家も懐は豊かでは無いぞ」
「いえ。宮廷に出仕している兄上と私を交代させてほしいのです」
ジョゼフィーヌは意図が分かるかを試すかのような笑みを浮かべた。
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