きまって違うお天気
@hello_dosue
第1話 ハッカーと作曲家
駄文注意
長文注意
語法、文法的な間違いは補ってください
BLのつもりで書いています。苦手な方は注意してください
※職業の組み合わせのみ借りています
それ以外は完全にオリジナルですが「オリジナル作品」とすることに問題があれば変更します
作曲家視点
————————————————
水槽の中は、
一定の温度
一定の湿度
一つの窓に一つのピアノ
変わらない音
洋画に出てきそうな部屋
昨日と何も変わらない部屋でピアノを弾いていると、自分は『魚』になるべくしてなったんだなと思う。
(辿り着いた場所が辿り着くべき場所だ)
音楽記号には「生き生きと」と指定するものが多い。
(ひとつで良いのに)
重複は無駄だ。ピアノは別の鍵盤で同じ音が鳴らないように厳密に管理する。それであって、どうして言葉にはそれを許すのだろうか。
(同じスコアの上にあるくせに)
「魚のように生き生きと…」
(なんて書いたらどう弾かれるのだろうか)
〈ん?何か言った?〉
若干のノイズが混じった低い声。きっと彼にはこのノイズは聞こえないだろう。
「いや、何でもないです」
(魚になんて、なったこと無いだろうに)
「今から弾くのをスコアにしてください」
〈ふふ、分かった。でもそろそろ操作覚えてね。その方が良いよって言ってるじゃん〉
「必要ないですから」
〈まあ、そうだけど〉
何も言わず指を動かす。
温い水は、指が適切に動くために。
適切に動いた指は、そのうち勝手に動き始める。
自分の知らないところで、指も脳も動いている。
暇になった自分は目の前で出来上がっていくスコアを眺めるしかない。
「あの…」
〈可愛いでしょ〉
古い方から順番に音符がハートに変わっていく。
「気が散る」
たった今記録している音符を追うように。
波のように。
〈気が散っても手止まらないくせに〉
(気付いてたのか……)
自分が思っているよりもよく観察されているのかもしれない。
「だから最近妙なことしてるんですか」
〈『妙な』って…、可愛いって言ってよ〉
スコアの上に、2つの波。
溜息の代わりに少しだけ深い呼吸をして、窓の方に顔を向ける。
今日は曇りだった。
(どうりで鍵盤が見づらい…)
鍵盤が白と黒なのは、暗くても弾けるようにという意味があるのかもしれない。だから白と黒が逆になったのだろうか。弱い室内光の中で辛うじて鍵盤が見えていた。
「部屋が暗い…」
〈今日は曇りだからね。電気点ける?〉
「…いや、大丈夫です」
この人は天気を変えることをしない。自分の要望のほとんどを叶えてくれるが、天気だけは頑なに変えてくれないのだ。
(変えられるくせに…)
重そうな雲
(何か信じたいことでもあるのか)
全く動かない雲をぼんやりと見ている間に曲が終わった。
「ハートは戻してくださいね」
〈分かった。今日はもう終わり?〉
「うん」
小さな音を立てて、何も無かったはずの壁がスライドして開く。立ち上がって、伸びをした。
〈下で待ってて〉
「分かりました」
部屋を出ると一転、真っ白で無機質な空間。研究所のような廊下を歩く。
(この廊下の長さはどうにかならないか?)
現実への要望を投げても、きっとどうにもならない。
やっと見えた階段を降りて、〈Lau〉《ラウ》に向かった。
「マリ君、お疲れ」
「お疲れ様です草平さん。カウンター座って良いですか?」
「どうぞ、ルカ君は?」
「もう少しで来ると思います」
「分かった」
カウンター席に座る。
「何にする?」
窓の外を見ると、まだ明るかった。
「ホットコーヒーで」
「はーい」
最初にここに座った冬の日を思い出す。あの時は店内でも手袋をしていた。
最近は暖かい。何よりも作曲の調子が良くて、ピアニストの方の仕事を少なくしていた。となればそこまで慎重に手を保護する必要はない。
(快適な作業環境が見つかったからな…)
初めて〈Lau〉を訪れ、主人の草平さん、そして
『水槽』を僕に見せながら、桐さんは自分のことをハッカーだと言った。
(「ハッカー」なんて、聞いたこともなかった)
そのせいで、帰宅してから「ハッカー」について調べることになった。「ハッカー」の言葉が持つ複数の意味のうち、どれが彼を示すのかは知らない。聞いても自分には分かりそうにないので、分からないままにしている。
『水槽』は桐さんが使っている名前だ。確かに機能的には水槽で違いないのだが、『魚』である自分にとって、あそこは作業部屋にすぎない。
『水槽』は桐さんが構築した巨大な仮想空間だ。
—————
「仮想現実?」
「そう、ヴァーチャル・リアリティ。『VR』とか聞いたことない?」
「すみません」
〈Lau〉を再び訪れた時、バーの主人は大國草平(おおくにそうへい)と名乗り『水槽』についての説明をしてくれた。
「一回入ったんだよね?」
「はい、蜷川さんと一緒に」
「へえ。じゃあ何となく雰囲気は分かるよね?」
「はい。多分」
真っ白で何も無い部屋に入った途端、ピアノが真ん中に置かれた洋風の部屋に変化した。
「ピアノは弾いてみた?」
「はい」
「『コンピュータで作った空間の中で、現実を疑似体験する仕組み』というのが定義なんだけど、その『洋風の部屋』がコンピュータで作った空間、『ピアノを弾くこと』が疑似体験にあたるかな」
「なるほど」
「あの部屋は、部屋自体がその仕組みでもあるし、仮想空間でもあるのかな…。『水槽』って言ってるんだっけ、ルカ君は。『水槽』はあの部屋だけではなくて、もっと大きな空間ごとインターネットを通じて公開されているんだよ。そんな風にネット上で構築される仮想空間のことはメタバースと呼ぶんだって」
「メタバース?」
「うん。僕もあまり詳しくないんだけど…。ヴァーチャル・リアリティは仮想を現実にする『技術』、メタバースはネット上で多くの人に共有される『空間』という感じだと思う。ルカ君の作った『水槽』は皆入れる訳じゃなくて、招待制なんだけどね」
「招待制…」
「そう。『水槽』は今市販されているどの仮想空間よりもクオリティが高いから、セキュリティの面でね。まあ、詳しいことはマリ君に聞いてみて」
「すごいものなんですね」
「ひと部屋だけ見ても分からないかもしれないね。部屋の外には行ってみた?」
「いいえ、外に出られるんですか?」
大きい窓があったのは記憶している。現実と繋ぐもの以外、扉などあっただろうか。
「出られると思うよ。願えば」
「願う?」
「ふふふ、うん」
「そうですか」
(ピアノがあるだけで十分だしな…)
「今度外に出てみます」
—————
こうして僕は『水槽』、もとい『作業部屋』に毎日のように入り浸り作曲作業をするようになった。最初の一度を除いて、桐さんと一緒に作業部屋に行くことはない。しかし、姿は見えずとも話しかけると桐さんと話すことができ、ピアノの音色、室温、「ある曲のスコアを表示してほしい」などの要望を伝えることが出来た。声をかければ、鍵盤を弾いたとおりに音符を自動で記録してくれて、部屋から出るとそれを印刷したものを渡してくれる。
(理想の環境だよな…)
「どうぞ」
音も無くカップが差し出される。
「ありがとうございます」
「こちらもどうぞ」
「ありがとうございます」
左隣に座った桐さんから、印刷されたスコアが手渡される。
「ハートの方も一応印刷したけど要る?」
「大丈夫です」
「じゃあ貰うね。売ったりしないから」
「心配してませんよ」
ソーサーには何も乗っていない。僕がコーヒーには何も入れないのを、草平さんはもう知っている。
「ルカ君は何にする?」
「ブルーハワイ」
「好きですね」
桐さんは、いつもブルーハワイというカクテルを飲んでいる。
「好きだって言ったでしょ」
「言ってましたね」
初めて会ってからまだ1ヶ月しか経っていない。だから、ブルーハワイの他に好きなものは知らない。
「初めて会った時、プラネタリウムの話をしてくれたでしょ」
「はい」
「実はあの瞬間に『水槽』に招こうと決めたんだよね」
「何で?」
「好きだって分かったから」
温かいカップを包んでいる手に、更に大きな手が重ねられる。
(手大きいの、羨ましいな…)
ピアニストは手の大きさで条件付けられる。手が大きくなければ弾けない曲がある。器が適性を決めているのだ。
自分はそれに納得しているから、楽譜に従ってピアノを弾いている。
「…そうですか」
カップから左手が外され、緩く指が絡まっていく。
「そう。その時鞠弥がブルーハワイを飲んでいたのも運命だと思うよ」
「運命?」
「鞠弥は運命を信じている?」
「『運命』は曖昧すぎて分かりません。」
記号は明確であるべきだ。
「でも『辿り着いた場所が辿り着くべき場所だ』と思うのは、これは『運命』ですか?」
「ふふ、それが運命だよ」
満足そうに桐さんが微笑む。
「鞠弥の運命を用意できて良かった」
記号は明確であるべきだ。ハートの方がよほど分かりやすい。
分かりやすいから、困っている。
あの日以来、自宅と『水槽』の往復を繰り返している。
引きこもりがちの僕が、このように毎日外出するなんて思ってもいなかった。
『水槽』のあの部屋には、窓しかなかった。
僕はその部屋から一度も出たことがない。
————————————————
人物紹介
蜷川桐(ひるかわきり)
ハッカー、目の色薄い、黒髪
津村鞠弥(つむらまりや)
作曲家/ピアニスト、味覚音痴、酒に強い
大國草平(おおくにそうへい)
マスター、多分一番年上、眼鏡
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