第65話『それぞれの思い』

 イルンの思いは本物だった。ずっと一緒にいて欲しいと願っていた。

 選ぶべきは肯定か否定か、胸中は重苦しい感情に支配された。純粋な好意と熱意をぶつけてくるイルンと目を合わせられず、逃げるように後退った。


「…………俺は」


 何かに導かれるように口を開いた瞬間、俺たちの間に白い影が落ちた。

 突如現れたのはカイメラで、「にゃ」と鳴きつつイルンの前に立った。


「ねぇ、イルンちゃん。行商団の団長さんがあなたを呼んでいたわよ」

「え、本当ですか?」

「呼びに行くって声かけちゃったし、早く行ってあげなさいな。外様のあたしが言うことじゃないけど、護衛対象から目を離すのは危険よ?」

「……そう、ですね」


 歯切れの悪い返事をし、イルンは自分の服の裾を握って俺を見つめた。

 本心ではすぐ回答をもらいたい、そんな思いが痛いほど伝わってきた。


「…………あなた達がどんな話をしていたのかは知らないけど、ここで焦って決めることはないでしょ? 相手が迷ってるなら、考える時間をあげるのも大切よ」


 カイメラに諭され、イルンはハッとなった。そして俺に「返事は後で構いません」と言い、木々の先へ去っていった。姿が見えなくなると同時に安堵の吐息が漏れるが、そんな態度を取ってしまう自分自身が嫌になった。


「あの子が言ったこと、そんなにショックだったの?」

「……やっぱり聞いてたのか」

「だってあたしにはこの耳があるもの。ここら一帯の会話は丸聞こえよ。本当は成り行きを見守るつもりだったけど、あなたが困ってたから手を出しちゃった」

「……そうか」

「あ、一応言っておくけどあの子が呼ばれていたのは本当よ。急ぎの用事じゃなさそうだったけど、体のいい口実として使わせてもらったわ」

「………………」


 助かったと言いそうになり、言葉を喉奥にしまい込んだ。

 この場で言うべきことは何か、思いつかぬまま口をつぐんだ。


 もしこれが何も知らない状態だったら、俺はイルンの申し出を受けている。あの頑張り屋さんな姿は見てて心が安らぐし、その優しさと素直さに救われた。

 しかし脳裏にチラつくのは『白の勇者』の名と『あの結末』だ。もはや自分が別人だと断ずるのは難しく、最低最悪の可能性を考慮して動く必要があった。


(――――元の歴史を変えるなら、イルンを突き放すべきなのか?)

 黙ったまま俯いていると、カイメラが独り言のように言った。


「まぁあの子も難儀よね。好意の伝え方が不器用というか何というか」

「どういうことだ?」

「魔法陣……だっけ? あれを一晩で作ったのって、あなたを引き留めるためでしょ。師匠と弟子の関係になればおいそれと離れられなくなる。クー君はあたしと一緒に来ることを断ったけど、不安で仕方なかったんでしょうね」


 女の勘という奴だろうか、カイメラはイルンの考えを推測してみせた。これからどうするのかと問われるが、未だ答えは見つからなかった。

 カイメラは俺を横目で見つめ、やれやれと首を横に振るった。そして顔前にシュッと拳を繰り出し、実践形式の稽古をしないかと誘ってきた。最初はそういう気分じゃないと断るが、「だからこそよ」と叱り口調で言われた。


「迷っている時は身体を動かすのが一番よ。ああだこうだ悩んでばかりいると悪い考えが生まれるものなの。身体だけに意識を払って、一時でも頭を空にしなさい」

「……一理は、あるか」

「特別にあたしが近接格闘術の基礎を教えてあげるわ。あまり時間がないから簡単な型と心構えだけになるけど、これからの戦いに役立つはずよ」

「分かった。恩に着る」


 俺たちは森を駆け、幾度となく打ち合った。拳の正しい繰り出し方や、有効的な足技の使い方や、接戦時の立ち回り諸々、詳しく教えてもらった。

 昨夜の戦いで薄々気づいていたが、青の勇者の魔法抜きならカイメラの方が強かった。人型形態は言わずもがなで、魔獣形態に関しても実力を隠している様子だ。こうして胸を借りられる状況に感謝し、無心に戦い方を学んでいった。


「いいじゃない。やっぱりクー君には戦闘センスあるわね」

「カイメラの指導が上手いおかげだ。次も行くぞ!」


 拳と拳を鋭くぶつけ合い、重い蹴りを同時に放ち合った。

 決して長い時間ではなかったが、明確に戦闘技術が身についてきた。


「ねぇ、クー君は戦い方で知りたいこととかないの?」

「……知りたいことか」

「変身時のことでもいいわよ。あたしが教えられるのは獣関係だけだけど」

「…………それじゃあ」


 ずっと抱いていた疑問を投げ、新たな知識を頭に入れた。



 それから少し経ち、俺たちは行商団の面々と合流した。カイメラは頭にフードを被り、町近くまで同行する旨をハリンソに伝えた。キメラが二体もいるからか魔物は寄り付かず、安心安全に森の出口まできた。その時だ。


「――――っ!? ちょっと止まりなさい!」


 急にカイメラが静止を促し、ハリンソが荷馬車を止めた。

 背後から鳴り響いたのはボォンという爆音めいた羽音で、黒く巨大なシルエットが頭上を通過していった。そいつは昨日の昼に討伐したワイバーンによく似ていたが、鱗は漆黒色で体躯は二回り以上も大きかった。


「…………翼竜の特異個体ね。もし襲われたら危なかったわ」

「カイメラでも勝てない強さなのか?」

「地上なら勝てるでしょうけど、相手は空中にいるからね。引きずり下ろす手段がない以上、ジリ貧で負けるわ。これが何でも食べられるキメラが強い所以よ」


 俺たちは木陰に隠れ、黒いワイバーンが見えなくなるのを待った。幸運にも戻ってくることはなく、街道をスムーズに進めた。

 常に俺の隣にカイメラがいるからか、イルンはあの件の回答を求めてこなかった。だが諦める気はない様子で、無言の念を俺に送り続けていた。何か会話をと思っていると、カイメラが俺の背に抱き着いてきた。


「ねぇねぇ、クー君。あそこにある岩って犬みたいな形してない?」

「…………してるか? どっちかというと熊っぽいが」

「あっあの、クーさん! お腹すきませんか? カシュラの実なら好きに食べていいそうですよ! お剥きします!」

「…………いや、そのままはさすがに酸っぱいだろ」


 何だかんだ旅は賑やかに進むが、唐突に終わりがきた。丘の先に見えたのは広い町の輪郭で、赤い屋根と石組みの市壁が目に映った。町全体がそれなりの発展具合であり、次第に街道を歩く旅人や行商人の姿が目に付いてきた。


「――――ようやく着きましたね。あそこが交易の町、コルニスタです」


 ハリンソの声を聞き、俺たちは新たな場に向かって歩を進めた。

 次の行く先を決める分岐点となる酒場は、すぐそこまで迫っていた。

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