第55話『プロローグの終わり』
一人の少年がベッドに寝そべり、窓に映る景色を眺めている。
綺麗に切り揃えられた庭木、色とりどりに咲き誇る花々、精巧に造り上げられた石像、その奥に建てられた赤レンガ造りの別邸、誰もが羨む裕福な生活環境だ。
しかし少年の顔は暗く曇っていた。原因はその身を蝕む病魔だ。
軽く咳き込むだけで血が手に張りつき、ちょっと身体を動かすだけでめまいと動悸がする。日によっては簡単な食事一つも満足にできない有様だった。
「…………つまんないな」
外は小雨で、屋根から伝った水がポタポタ滴っている。庭木の葉にはカタツムリが這い、枝の上では小鳥たちが雨宿りし、あちこちで水蒸気が立ち昇っている。
一通り庭の様相を眺め、少年は目を閉じて夢想した。あの雨の中を走り回れたらさぞ気持ちがいいと、大手を広げて叫びを上げてみたいと、雨上がりに姿を見せる美しい虹を追い掛けたいと、元気になった自分を想像して時を過ごした。
「やっぱり、外に出たい。こんな場所で終わりたくない」
勇気を出してベッドの外に出ると、肺の辺りから熱がこみ上げてきた。
床に手をついて息を吐き出し、大量に吐き出された血を見て失笑した。
「…………つまんないな」
どうやってもこの家という檻から出られない。それを実感させられた。家政婦を呼ぶのすら億劫になり、血をそのままにしてベッドに倒れ込む。そして願った。
外に出ることが叶わないならば、せめて友達が欲しいと。同じ景色を共有し、同じ遊びをして笑い合い、またねと言って別れる。そんな存在が欲しかった。
「あれ?」
何度流したか分からない涙を拭っていると、ある変化が起きた。
放置した血だまりが青白く輝き、丸いシルエットがそこに浮かび上がった。
少年は自分の身体のことなど気にせず、転げる勢いでベッドから飛び出した。そして力の限り光へと手を伸ばし、丸くグニッとした感触を肌で感じた。
脈絡なく出現したのは黒い球体だったが、生き物の体温を感じた。恐る恐ると自分の方へ回転させていくと、大きな口とズラッと並んだ牙が見えた。
「…………君は?」
「…………ギウ?」
黒い球体はキョロキョロと辺りを見回し、少年を見つめた。少年もまた黒い球体を見返し、摩訶不思議な出会いに興奮した。だからはやる思いでこう告げた。
「――――僕はアレス、アレス・ローレイルって言うんだ。もしよろしければ、僕の友達になってくれないかな?」
…………三百年前の過去に飛び、俺はとある洋館へとたどり着いた。
最初に出会った少年は『アレス』と言い、灰色の髪と血の気の失せた肌が特徴的だ。顔は男子とも女子とも言えない中性さで、年齢は十五歳だと教えられた。
アレスはとてもやせ細っていて、数分歩くだけで貧血を起こす脆弱さだった。ベッドから起きるのすら億劫らしく、外を見るのだけが日課と語っていた。
『……ったく、もう少し食わないと良くならないぞ?』
『食っても無駄だよ。僕はそう長くない、何となく分かるんだ』
『それでも、食え。明日ぐらいは歩けるかもだろうが』
『うーん、じゃあもう一口だけ食べよっかな。何だか君に言われると頑張ろうって気が湧いてくるんだよね。なんでだろう?』
『あー……、知らん知らん。無駄口叩くなら口に突っ込むぞ』
会話は青の勇者が持っていた念話魔法のおかげでできた。俺自身の境遇もあってか捨て置けず、もう一日もう二日と面倒を見続けた。合間を見てリーフェの捜索にも出たが、何の手掛かりも見つからなかった。
(…………せめてどこに向かえばいいか光の玉に聞くべきだったな。イルブレス王国がこの時代にあるのは知っているが、そこにリーフェがいるとは限らない)
この時代で果たすべき最重要目標は三つだ。
一つ目は『リーフェと再会』すること、二つ目は『白いキメラを倒す』こと、三つ目は『元の時代に帰ること』だ。他にもやるべきことはあるだろうが、二兎を追って一兎も得ない愚行は冒せない。この三つを達成するべきと定めた。
(…………光の玉からは世界を救ってくれって頼まれたが、そこは白いキメラを倒して終わりだ。じゃなきゃ死ぬまで世界のために働くことになっちまう)
気になるのは『勇者コタロウ』と『緑の勇者』の足取りだ。本当にここが三百年前なら存命のはずで、接触できれば重要な情報を得られるかもしれない。
何にせよ雲を掴む状況である。世界はあまりにも広く、入り組み過ぎている。
はぁと重くため息をつくと、アレスが俺の顔をジッと覗き込んできた。
『……ん? 急にどうした?』
『君の名前だけど、やっぱりキメラ君の方が似合ってない?』
『いやいや、シンプル過ぎだろ。自分の家の愛犬にイヌって名づける奴がいるか? ……まぁいるかもしれんが、俺は少なくてもパスだパス』
『そっか、良いと思ったんだけどな』
アレスはフフッと笑い、ベッド横の棚から一冊の本を取り出した。紙質はたぶん羊皮紙とかいう奴で、表紙や背表紙は無駄に豪華な装飾となっていた。
『じゃあ今日は、約束してたこの世界の文字を教えよっか』
『おう、楽しみにしてるぜ。一国三日で覚えてやる』
三百年後の世界風景も話し、より仲を深めた。本当は一週間程度で別れるつもりだったが、旅立とうとすると悲しい顔をされ、もう少しだけ面倒を見ることにした。
その後、珍しくアレスの体調が良く、家政婦の監視が薄い日があった。
俺たちはこっそり館を抜け出し、近場の草原を二角銀狼の姿で走り回った。
『すごいっ! これが外の世界か!!』
『そんなはしゃいで大丈夫か? 無理そうだったらすぐ帰るぞ』
『ううん、まだまだ行けるよ! このままどこまでだって行けそうだ!』
『ははっ、そうか。じゃあ一気に速度を上げてやる!!』
風を切り、林を超え、俺たちは綺麗な湖畔へと到着した。
『…………本当に素敵な景色だ。本で見知った以上だ』
『大した距離じゃないだろ。この程度も親に連れ出してもらえなかったのか?』
『母は死んじゃってるし、父は僕に興味がないんだ。最後に会ったのは一年前かな』
『一年前……、いくらこの時代でも長すぎるな』
『うん、顔も見たくないのかもしれないね』
アレスは冗談混じりに言うが、あんまりな境遇だった。
俺たちは短い時を大切に過ごし、誰にも見つからず館へと帰った。
それからもアレスとの日々は続くが、容体は一向に回復しなかった。病魔は肺だけじゃなく全身に広がり、たったの数分すら満足に動くことができなくなった。
『…………治癒魔法も効果なしか、期待させてすまない』
『いいよ、いいんだ。君がいてくれるだけで十分さ』
何もできぬまま時が経ち、満月の夜がきた。アレスは眠ることもできず苦しみ、俺は付きっ切りで看病した。すると館の中が騒がしくなった。
扉から聞こえてきたのは、家政婦たちの「凶暴な魔物が現れた」という発言だ。どうやら町から館の方向に向かっているらしく、今から避難するそうだ。
「その、アレス坊ちゃまはどうします?」
「連れて行けるわけないでしょう! 早く逃げなきゃ死んでしまいます!」
「ひ、ひぃ!? あんな場所まで火の手が!?」
その叫びで庭木の一部が燃えた。家政婦たちはアレスに声掛けすらせず、慌ただしく走って外に逃げた。間を置いて聞こえたのはけたたましい悲鳴だった。
『アレス、俺たちも逃げるぞ』
『…………ん? クー……かい? どこ……に』
『お前の目の前だ。ここで戦ったら巻き込まれる危険性がある。一旦安全な場所に移動して、魔物を排除してからまた戻ってくるぞ』
『…………う……ん』
身体をキメラオルトロスにし、ツタで身体を持ち上げようとした。だが服の袖から覗く腕は皮と骨だけで、下手に動かすと壊れてしまいそうだ。
俺はめくり上げたシーツを戻し、先に魔物を倒しに行こうとした。けれどアレスは余力を振り絞って手を伸ばし、後ろ足の体毛を力強く握ってきた。
『ね……ぇ、クー……、君にお願いが……あるんだ』
『どうした、こんな時に』
『前に言った……よね。キメラは……人も、取り込める……って』
『……あぁ、言ったが』
話をしている間にも館が燃え、骨組みの木材が潰れる音が鳴り響く。魔物はまだ館に人がいると勘づいているようで、手あたり次第暴れ回っている。
急いで対処するべきだったが、アレスから目が離せなかった。
窓の外で揺れる庭木の炎を背に、一つの願いが芯を持って告げられた。
「――――僕を、取り込んでくれ。まだ見ぬ世界の果てへ、君が連れ出してくれ」
自暴自棄、ではなかった。自己犠牲、それも違う。
言葉に込められたのは俺に対する信頼で、後ろ暗い思いは一切なかった。まっすぐな眼差しを受けて心臓がドクンと高鳴るが、それは動揺だけが理由じゃない。アレスの思いに応えるべきと、心が訴えていた。
『でも、取り込んだところでお前の意思は』
『残らなくていい。何も見えなくていい。君が君自身のためにこの身体を使うんだ』
『だが……』
『君は大切な友達を、リーフェを探しに行くんだろう? なら人の姿は……絶対に必要になる。僕を、使ってくれ』
もはや否定はアレスの覚悟を踏みにじる行為だった。
俺は願いを聞き入れようとし、ふと問いかけた。それはかつての俺が手に入れられなかったもの、死の間際に抱きたかった切実な願いだ。
『アレスは……、こんな最期でも幸せだったか?』
『もちろん。君という友人を得て、僕は幸せだったよ』
その回答で迷いが消え、双頭の大口を開けた。ひとえに涙の味がした。
襲撃を行った魔物はアレスが住んでいた部屋の通路前まできた。俺は『自分の手』で扉を開け、『自分の足』で絨毯が敷かれた床を歩き進んでいった。
煙の先にいた魔物はキメラで、獅子と山羊の双頭に蛇の尻尾とオーソドックスな見た目をしている。やかましく唸り声を上げて威嚇してくるが、ただ耳障りなだけだ。両方の口から炎を吐いてくるが、一歩も退かずに受け止めた。
俺の周囲を浮き回るのは四枚の氷の盾で、続く尻尾の噛みつきも止めてみせた。
ここで初めて相手のキメラが警戒をあらわにするが、今更過ぎる反応だ。
「――――ここはアレスと俺の居場所だ。さっさと出ていってもらうぞ」
俺は『自分の口』で宣言し、キメラに向かって人差し指を向けた。氷の盾は通路の壁沿いに飛び、キメラの退路を一時的に封鎖してくれる。攻撃は再度俺に向かってくるが、人間サイズに縮小した岩石巨人の腕で払い飛ばした。
「ギウ!? ギギ、ガァァウ!!」
「鳴き声がうるせぇ。いい加減邪魔だ、消えろ!」
廊下を走りながら水レーザーを発射し、四足すべてを切り裂いた。
キメラは往生際悪く抵抗してくるが、まとめて全部を拳で殴り潰した。
…………遠くの空から太陽が姿を見せ始めたころ、俺は草原に一人立っていた。目に映るのは踏み固められた土の街道で、先からは風が心地よく吹いていた。
「どうだ、アレス。やっぱ良い景色だろ?」
応える声はない。あるはずがない。分かってはいたが悲しくなった。
灰色だった髪は何故か白く変色し、額前にあるひと房だけが黒くなった。ほっそりとしていた身体はガッチリとし、身長も幾分伸びた。人間にしか効果がない病魔だったのか、悪影響は何一つとして残らなかった。
ふと水たまりを覗き込むと、顔立ちが男らしくなっていた。微かに生前の俺に似た雰囲気があり、嬉しいのやら悲しいのやら微妙な気持ちになった。
「久しぶりだが、人の身体って結構動きやすいな」
試しに腕から八又蛇の頭を生やし、炎をゴウッと吹かせてみた。
何となく片足を二角銀狼に変えるが、拝借してきたズボンが破けた。
ひとしきり人間状態で変身を試していき、魔法で衣服を元に戻した。そして歩き出す寸前で振り返り、館があった方角を見つめて「またな」と言った。
「――――それじゃあ、行くか。俺自身の物語を探しに」
――――― ――――― ―――――
これで三章は終わりです。お疲れさまでした。いや本当にお疲れさまでした。
ここまで読んで下さり、感謝以外の言葉が思いつきません。もしよろしければこの先も付き合っていただければ幸いです。四章も誠心誠意執筆していきます。
それで二点ほどご報告があるのですが、まず四章開始に際して八日間のお休みをいただきます。投稿時間からお察しの方もおられたでしょうが、三章の終盤からストックが消滅し、かなりひっ迫した状態でしたので一度態勢を整えます。
もう一つは四章からしばらく間、投稿ペースが『基本週三回』に変更となります。こちらは仕事関係の問題であるため、期間が過ぎるまでは改善不能です。毎日投稿に戻る時は事前に報告しますので、楽しみしていただけると幸いです。
それでは重ね重ねになりますが、ここまでお付き合いいただき誠にありがとうございました。
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