第53話『結末を変えるために』

 青の勇者は手先に水色の光を発生させ、いつくしむように俺の肌を撫でた。そこから腰を落として顔を近づけ、額と額をこすり合わせた。徐々に青の勇者の身体全体が光に包まれ、ほのかな温かさが俺の身体へと移ってきた。


(……………これが、青の勇者の生きた証)


 心の奥底で大海のような波動がたゆたう。どこまでも深く静かで、何者もたどり着くことのできない孤独が伝わってくる。そして同時に理解した。

 この輝きは悠久の時を生きた青の勇者の最期、別れの灯なのだと。


任意スキル 青の証 自動スキル 青の望


 試しに水の玉を出そうとすると、ワーウルフリザードの手の上でビシャリと弾けた。今度は氷の柱をイメージするが、氷片が床に散らばっただけだった。

 それでも頭の中では『青の勇者と同じ魔法が使える』という確信があった。魔法の設計図がインプットされたような感覚で、魔力そのものの扱い方や技の修練が追い付けば近い実力が発揮できると実感できた。


『あなたとボクでは魂の色が違う、生物としても別物です。だから全部の力は使いこなせませんし、魔法そのものの威力も落ちるはずです』

『……あぁ』

『無理に使おうとしなくてもいいです。あなたは魔物ですから、外に出ていったモノらと一緒に生きても構いません。全部お任せします』

『……分かった』


 力の受け渡しが終わると青の勇者は腰を下ろした。かなりの体力を消耗したらしく、呼吸は今にも消え入りそうなか細さとなった。


『そういえば、一つだけ伝言をお願いしてもいいですか?』

『伝言?』

『ミ……ミド……、ミトラスに謝罪したいんです。せっかく友達になってくれたのに、酷いことを言ってしまいました。ごめんなさいって……伝えて下さい』


 気づけば声質そのものが微妙に変化していた。死の縁で三百年前当時の自分を思い返したのか、聞きなれた紳士口調が少しだけ女性らしくなった。


「ボクの役目は……終わりです。歩いて走って躓いて、もう疲れちゃいました……」


 念話魔法すら維持できなくなり、俺の声が届かなくなる。こちらから念話魔法を掛けようとするが、力を授かったばかりのせいか使用できなかった。


「ししょう……ボクは間違ってましたか? どうすれば……良かったですか?」


 身体全体が黒ずみ、腕先や足先が塵となって崩壊し始めた。


「……こんなことになるなら、あなたといきたかった。草原で出会って……、町に行って……、魔物を倒して冒険する。ずっとずっと……それだけをしたかった」


 青の勇者は虚空に手を伸ばし、夢うつつに自分の物語を口にした。

 もう目の前の景色すら分からないようで、音もなく石畳に倒れ込んだ。


「――――せめて最期に、あなたの声で『イルン』って呼んで欲しかった」


 そう言い残し、青の勇者は跡形もなく消え去った。遺跡前には俺とリーフェだけが残され、空虚な静寂が流れた。俺はリーフェを抱えて大空洞に近づいた。

 復活した魔物は一通りいなくなったようで、耳には風音しか聞こえなかった。真下にあるのは潰れた魔物の血だまりで、湖のように広い水面が静々と揺れていた。


 ふと大空洞の上を見上げると、夜空に青い満月が浮いていた。

 この世界の月は地球と似た色のはずで、何かの予兆かとぼんやり考えた。


(…………世界の終わりを告げている。なんて、どうでもいいか)


 水面に映る月を眺め、立ち尽くした。頭を巡るのはこれからのこと、別れてしまった仲間たちのこと、どうやってあの怪物を倒すか……諸々の問いかけだ。

 正直なところ、青の勇者の力を使いこなしても勝ち目はない。勇者コタロウの剣とやらも大して効いておらず、どんな攻撃も無限再生で抑え込まれてしまう。


(…………アレを倒すなら、もっと弱い時を狙うしかない)


 もし生まれた瞬間に襲い掛かれたら、岩を打ち付けるだけで倒せる。

 もし成長途中の個体を見つけられれば、キメラの力でその身を喰らえる。

 もしあのレベルの怪物になったとしても、強い仲間たちが揃えば立ち向かえる。


 たらればを繰り返すが、俺にそんな手段はなかった。さすがの青の勇者も時間遡行の魔法は持っていなかったようで、薄っすらとも術式が浮かんでこない。

 ふと腕の中でリーフェが身じろぎし、辛そうに息を吐いた。俺はすぐに思考を切り替え、安全な場所に移動してリーフェを介抱しようと考えた。

 その時だった。


(―――――――――え)


 血だまりの湖が急に発光を始め、大空洞全体が青白い輝きに包まれた。異常な光景に目を奪われていると、湖の上に白い人型のシルエットが出現した。


『やぁ、ようやくここまできたね』


 その声は光の玉のものだった。まるでこの状況が訪れることを知っていたかのような落ち着き具合で、俺は静かな怒りを吐き出した。


『…………教えろ、お前が言った危機ってのはこれのことか?』

『そうだよ。神様に止められていた、必然的な終幕さ』

『事前に説明すれば、もっと良い結果があっただろうが!!』

『ないよ。君がどうあがいても変わらない。あれは今日復活し、世界を滅ぼす』


 取りつく島もなく否定された。機械的に淡々とした声だった。

 ならば何故今更姿を見せたのか、俺は力の限り叫んだ。光の玉はシンと黙り、シルエット状の腕をゆっくり降ろし、発光する血の湖を指差した。


『この時代でアレを倒すのは無理だ。でも過去でなら倒せる』

『……何を言って』

『君は三百年前の世界に旅立って、すべての真実の答えを見つけるんだ』

『…………そんなの、どうやって』


 告げられるままに応えると、湖の輝きがより強くなった。バチバチと放電現象まで発生し、立ち昇る風と魔力の波動で立つことも難しくなる。

 とっさに足を引く俺へ、光の玉が絞り出すような声で告げた。


『――――運命を変えたいなら、この血だまりに飛び込め! ここにはまだ時の牢獄の力が残っている! これを使えば君を過去に送ることができる!!』

『俺は』

『――――選ぶのは君だ! もしまだ戦う意志が残っているなら……!』

『俺は!』


 俺はリーフェを強く抱き、無心で走り出した。手を差し伸べる光の玉のシルエットすら跳んで追い越し、青白い光の中にその身を投じた。

 最初に感じたのは水の感触で、すぐに尋常じゃない激流に巻き込まれた。上も下も分からなくなり、息すら満足にできなくなる。繋ぎ止めていた意識が段々と遠ざかっていき、抱きしめていたリーフェを手放してしまう。


『――――リーフェ!!!』


 必死に手を伸ばし、指先と指先が一瞬だけかすった。

 しかし掴むことはできず、リーフェの姿が光に包まれて消えた。


『…………リー、フェ……』


 グラリと世界が傾き、視界が黒に染まる。俺の身体は信じられない速度でどこまでもどこまでも落ちていき、パチリという瞬きを最後に意識が消え去った。

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