第27話『新たな道標』※リーフェ視点

 …………私がクーちゃんと繋がって見た景色、それは病室だった。

 白い壁に白い天井に白いベッド、あちこちに置かれた魔道具のような金属器具、部屋を行き交う白装束の人たち、中心にいるのは十五歳ぐらいのやせた少年だ。

 少年の顔は死人みたいに青白く、呼吸は常に乱れている。板型の器具に映し出された緑の波形が揺れ、『ピ、ピ、ピ』と無機質で空虚な音が聞こえた。


「…………つまんないな」


 少年はベッドに寝そべり、窓の外を眺めてポツリと呟く。

 遠くに見える町景色はイルブレス王国の首都以上の発展具合で、箱型の巨大建築物が一様に連なっている。道行く自動車の形状も未来的に多種多様だ。

 私はもう一度病室を眺め、ずっと感じていた疑問の答えを得た。クーちゃんは人を食べて知識を得たわけでも、言語を理解する能力を持って生まれたわけでもない。


(――――やっぱり、クーちゃんは)


 三百年前に世界を救った勇者コタロウと同じ、異世界からの転生者だ。

 転生者は神の選別を経て力を授けられ、世界のために戦う。魔物に転生した例は無かったはずだが、何らかの要因でそうなってしまった可能性は十分ありえる。

 しかし頭で理解していても、この弱り切った少年とクーちゃんの姿が結びつかなかった。クーちゃんはいつも元気で勇気があって、何事にも立ち向かう雄々しさがある。それらの根底にあるのがこの辛い現実なら、とても悲しい話だ。


「…………いつか外に出て、どこまでも走り回ろう。見たことがない景色を見て、皆をあっと驚かせることをやって、誰かを助けて……」


 どうしようもない思いを紡ぎ、少年は本の物語に夢を馳せる。私たちの世界では見かけない絵だけのページを熱心にめくり、読み終わると同時にため息をつく。

 灰色の日々は際限なく続くが、数日に一度明るくなれる時があった。それは少年の姉が現れる日で、希望する物を何でも持ってきてくれた。二人は仲睦まじく会話し、「またね」と言って別れる。幸せな光景だ。


「――――姉ちゃんは、将来何になるの?」

「わたし? わたしはね……」


 お姉さんの答えは聞こえなかった。でも少年は返事を聞いて嬉しそうにした。

 それからも病室の景色は変わらず進んだ。庭木の葉が紅葉し、舞い降りる雪が舗装された路面と屋根を覆い、温かな陽気が窓から差し込んでくる。

 少年は初めて見た時より青ざめて弱り、大好きだった本も読めなくなった。

 ある日たくさんの人が病室に詰めかけ、医者らしき人が首を横に振るった。


「…………つまんないな」

 最後にそう言い残し、少年は目を閉じた。私は何も言えなかった。


 呆然と立ち尽くしていると景色が急速に動き出した。病室の輪郭は薄ぼんやりとし、少年の姿が見えなくなる。次第に辺りは暗い闇に覆われ、私一人が残された。不安なまま空間を漂っていると、遠くに二つの光を見つけた。


「――――こういった転生を幾度となく行ってきたが、どいつもこいつも役に立たん。率直に言うと期待するのに疲れたのだ。だからお前は好きに生きるがいい」


 発言の内容を受け、あれが神なのだと認識する。孤児院の教えもあって膝をつきそうになるが、ここはクーちゃんの記憶なのだと思い直してやめた。


「――――ではせいぜい頑張るといい。転生した世界でお前がどんな活躍をするのか、我は天上より観覧している! 最高の冒険譚を演出してみせよ!」


 そう言って神に見送られ、クーちゃんは旅立った。

 黒い球体のみの身体でアルマーノ大森林に生まれ落ち、生来の機転と発想力で窮地を乗り切っていく。ここまで見てきた少年の姿と重ね合わせ、『生きる』ことそのものにただならぬ活力を感じた。


(…………私は、何をやってたんだろう。たった一度目標への道が閉ざされただけで落ち込んで、友達二人に迷惑を掛けて、ウジウジ泣いて)


 もっともっと辛かったはずなのに、クーちゃんはくじけず立ち上がる。死の危機に瀕した私を助け、今日までの未来を繋いでみせる。その恩返しすらまだだった。


(…………私がこれからすること、クーちゃんのためにできること)


 このまま頼ってばかりの自分でいいのか、答えは否だ。

 力なく彷徨っていた拳を強く握り、新たな目標を定めた。


「――――私はクーちゃんに誇れる自分になる。一緒に並び立って戦って、魔物になってできなくなったことを叶えてあげる。絶対にそうするんだ!」


 あの日あの場所で出会った時から運命は動き出した。

 心の扉を開けて前に進む。すると辺りの景色が白く塗りつぶされた。



 ふと目を開くと、真っ白な空間に黒い球体のクーちゃんがいた。私は再会をとても喜ぶが、何故かクーちゃんは気まずそうにした。どうしたのだろうか。


「クーちゃん、何か嫌なことでもあったの?」

「ギー、ギウガウ」

「あー……、そういうこと」


 ギウガウ口調で告げられたのは「リーフェの記憶を見ても現状打開の妙案が見つからない」というものだ。私がクーちゃんの記憶を見たように、クーちゃんもまた私の記憶を見て色々と考えを巡らせてくれたらしい。


「えっとね、クーちゃん。それもう良くなったの」

「ギウ?」

「もちろん理事長には良いところを見せたいし、皆のためになろうって気持ちもあるよ。でもそれは今じゃない。もっと大切なモノがあるって気づけたの」


 本心からの思いはちゃんと伝わり、クーちゃんはホッとした。いつも通り両腕でクーちゃんを抱え上げ、よしよしと頭を撫で、思い切って聞いてみた。


「――――クーちゃんは、私にして欲しいことってないの?」


 何でも叶えてあげようと意気込むと、真っ白な景色が水面のように揺れた。間を置いて映し出されたのは岩石の巨人と武人みたいなカマキリ魔物の戦闘で、激しい打ち合いの末に武人カマキリが勝利した。


「…………これって前の、クーちゃんはあれを倒したいの?」

 そう聞き返すと、数秒の逡巡を挟んで頷きが返ってきた。

 何のしがらみもなく、誰に期待されることもない、素晴らしい目標だ。


『…………色々考えたんだが、俺にはこれしか思い浮かばなくてな』

「うん……って、あれ?」

『……声、聞こえるな』


 さすがは魔法の遺物といったところか、クーちゃんの声がしっかり聞こえた。歌魔法でも会話は可能だったが、あれはあくまで『そういう風に感じる』だけであり、こうして直接声を交わすのは初めてだ。


「クーちゃ……、元の名前で呼んだ方がいいのかな?」

『あー、それがまだ分かんないんだよ。大体思い出したのに変な感じだ』

「じゃあクーちゃんのままでいいの?」

『むしろ頼む。他の呼び名で呼ばれたら傷つきそうだ』


 そう言ってもらえて嬉しかった。やはりクーちゃんはクーちゃんなのだと安心し、空間に映し出されたままの武人カマキリを眺めて言った。


「これしかってことはないよ。私たちの新しい一歩に相応しい気がする」

『……本当か? 俺に気を使ってるなら……』

「ううん、そんなことない。むしろ楽しみが大きいぐらい」

『そっか、じゃあやってやるか』


 二人で決意すると、急にまどろみが襲ってきた。また景色が白く染まり、身体がグラリとした浮遊感に包まれる。私たちは長い夢から覚めた。




 …………気づけば目の前の景色は孤児院の裏庭に戻っていた。

 真正面のクーちゃんは眠そうに地面を転がり、奥からココナちゃんが不安そうに近寄ってくる。私は自然な微笑みで立ち、「もう大丈夫だよ」と声を掛けた。


「ねぇ、ココナちゃん。一つお願いがあるんだけどいいかな」

「お願い?」

「うん、この件は私とクーちゃんだけじゃ難しいから力を貸して欲しいの。ちゃんとした場を設けて、時間を作ってもらって、道を示さなきゃいけないから」


 一体何を始める気なのか、ココナちゃんは聞き返してきた。

 約束通り武人カマキリを倒しに行くだけだが、先に解決すべき問題がある。私はココナちゃんの手を両手で強く握り、活力に満ちた声で告げた。


「――――倒したい人がいるの。ココナちゃんも協力してくれない?」

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