第10話『決意』
ほんの数時間前までは疲れた雰囲気があったぐらいだった。大丈夫かと声を掛けてみるが、リーフェは朦朧とした意識で返事するだけだ。
何かできないかと考える中で、病人には水が必要だと思い当たる。大きい木の実の殻をツタで絡め持ち、急ぎ洞窟奥へと向かって湧き水を汲み飲ませた。
症状は多少改善されるが、回復には程遠かった。自然治癒スキルが発動した粘液風呂にも入れてみるが、目に見えた効果は表れなかった。
(……自然治癒はあくまで怪我を直すもの。となればリーフェのこれは病か)
こんな森の中で数日も暮らしていたら大人だって体調を崩す。当然といえば当然の帰結だ。
二層で待ち構える二角銀狼を倒す必要があったとはいえ、悠長にし過ぎてしまった。本当はリーフェが元気なうちに上を目指すべきだった。
今からでも行くべきかと思うが、外はだいぶ暗くなっている。夜間は色々な危険があるため、最低でも明日の朝を待つ必要があった。……だが、
(…………本当にそれでいいのか? 明日の朝一番にここを出て、森を抜けるのに一日掛かったとして、リーフェはそれまで無事でいられるのか?)
仮にこの病が危険なものだった場合、数時間の遅れは死に繋がる。
何が最善か迷い悩む中で、リーフェが目を覚ました。その眼差しは弱々しく、蜘蛛の魔物と戦った時や乱戦を見に行こうと誘ってくれた時の力強さがなかった。
「……魔物さん、そこに……いる?」
「ギウ、ガウ」
「良か……った。ごめんね、こんな……情けなくて。魔物さんにはずっと助けてもらってばかり……なのに、私やっぱり……何もできない」
そう言い、リーフェは自分自身のことを語ってくれた。
孤児院から出て理事長の期待に応えようとし、魔術の才能がなくて落ちこぼれとして扱われた。一部の生徒からイジメを受け、チャンスとばかりに挑んだ使い魔契約にも失敗して失望され、何者かに飛行船で連れ去られた。
「……誘拐した人たちは私を歌魔法の使い手だって言ってた。……私を連れて行きさえすれば……良い暮らしができるんだって……でも」
「………………」
「私、そんなのできないよ。歌魔法のやり方なんて分かんない。魔力だって満足に扱えない。……私は、誰の期待にも応えられない」
その言葉には積もり積もった悲しみがあり、胸が痛くなった。でも『誰の期待にも応えられない』なんて言って欲しくなかった。
魔物に関する知識が豊富で、身近な物を使って料理ができて、ここぞという場面に動ける勇気がある。俺にとっては十分すぎるほど魅力的で、それを理解しようとしない周囲の者に腹が立った。
湧き上がる怒りを鎮めていると、リーフェが手を伸ばしてきた。頭を撫でたいのだろうという意思を察し、額を手の傍まで近づけてあげた。
「実を……言うとね、ここの生活は本当に楽しかったの。誰も私を知らなくて、魔物さんは私に期待なんてしなくて、対等な立場で接してくれる……」
「……ギウ」
「ずっとここに居られればって思ったんだ。学園にも友達は一人いるけれど、私と一緒にいるだけでその子も標的になっちゃう。誰かに迷惑を掛けるだけは……絶対……嫌…………だから」
声は少しずつ小さくなっていき、ついに触れていた手が落ちる。
これで最期ということはなかったが、変わらず容体は酷いままだった。
(リーフェはここでの生活を楽しいと言ってくれた。けどこんな状況のまま放置はできない。絶対に人里へと戻してやる必要がある)
けれどそうした場合、リーフェはまた過酷な日々を過ごすことになる。
ならば俺はどう行動すべきか、短い葛藤の後に何をするべきか決めた。
(――――これからも俺がリーフェの傍にいて、邪魔する奴から守る。研究のために捕まるとか、危険な魔物だから殺されるだとか、面倒事は全部ねじ伏せてやる!)
俺にとってのリーフェはもう他人ではない。心の底から助けたいと願う友達だ。
そうと決まれば一秒でも早く森を出る必要がある。微かにでも太陽の明るさがあるうちに動き、二層を越えて一層までは行こうと決めた。
急ぎリーフェを粘液風呂から出し、湧き水を使って汗と粘液を落とす。そして乾いたローブを着せ、寒くならないようにツタを全身に巻き付けた。
洞窟を出たところで魔除けの魔石が目につくが、今は置いておくことにした。想定外の事態で戻ってきた時は頼ると決め、ウルフスライム形態で全力疾走した。
滝つぼまで移動して上を見渡すが、二角銀狼は見つからなかった。
これ幸いとツタを壁面の木に巻き付け、さらに肉体を蜘蛛に変身させた。安定感は想像以上に抜群で、脆い足場でも転ばず登っていくことができた。
(……ん? あれは何だ?)
ふと森の西側を見てみると、遠くの空に奇妙な灯りがあった。よく目を凝らすとそれは空を飛ぶ帆船で、何かを探すように森をライトで照らしていた。
(……墜落してた奴に似てる。リーフェの捜索隊か? それとも誘拐犯の仲間か?)
外観で判別できれば良かったが、頼りのリーフェは眠っている。船は見えるだけでも五隻飛んでおり、一番近くを浮かぶものには頑張れば近寄れそうだった。
(あれに見つけてもらえればリーフェは助かるかもしれない。一か八かだな)
細くでも希望が見えたことに奮起し、二層へと登り切った。ウルフスライムに戻って周囲を確認するが、どこにも魔物の姿はなかった。
俺は光の真下に出ようと走り出し、茂みを幾重にも超えた。邪魔な枝を折り進み、行く手を阻む泥を蹴飛ばし、ぐんぐんと森を突き抜けていく。途中で光の玉と別れた場所を通り過ぎるが、足を止めず走り続けた。
そうしてあと少しという距離まで迫った時、キィンと耳鳴りが聞こえた。
俺は即座に足を止め、近場の木にツタを伸ばして急停止した。
三秒ほどの間を置いて聞こえてきたのは木々を吹き飛ばす暴風の破砕音だ。その威力は俺の数歩先すら削り飛ばし、辺りに大量の残骸を舞い散らせる。
これほどの力を持つ相手は一頭しかおらず、風の発生位置に首を向けた。
そこにいたのは四頭の角狼を従える二角銀狼で、森の中に潜む俺を完全に捉えている。その眼差しは「出てこい」と告げており、見逃してくれそうになかった。
(……あくまで標的は俺か。なら、ここは受けて立つしかねぇか)
まったく無駄な勝負ということもない。あの暴風を何度も放ってくれるのならば、上にいる飛行船はこちらに気づく。上手く行けばリーフェを助けられるはずだ。
近くの物陰にリーフェを下ろすが、二角銀狼は攻撃をしてこなかった。まるで邪魔な荷物を置けと言われているようで、防護壁となるツタを張る余裕まであった。
「…………あれ? まもの、さん?」
そっと身を離すとリーフェが目を覚ました。俺は一時の別れを告げ、森の先で待つ二角銀狼の元へと駆けていった。
背後から「待って」と声が聞こえるが、一度も振り返らなかった。
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