第45話 おめでた報告

「昨日産婦人科行ってきたんやけど、妊娠してたわ」

「…………はい?」


義妹とのギャルゲー配信から1ヶ月後。

嫁から放たれた一言に、僕は食べかけていたトーストを皿に落とす。

嫁の腹はまだ膨らんでいない。が、心当たりは腐るほどある。

あるけども、もうちょっと情緒あふれる形で報告して欲しかった。

まさか、飯食ってる途中で「昨日、友達と会ったわ」みたいな感覚でサラッと言われるとは思わなかった。


「えっと、どのくらい…?」

「4週間やと。

まだどんくらいで産まれるかはわからんけど、これじゃ配信観っぱなしってのは無理やなぁ。

座りっぱなしっちゅうのもお腹の子に悪いやろぉし」

「わ、わかりました…。

えっと、両親に報告は…」

「しとらんよー。昨日は吐き気やらなんやらでダウンしとったし」

「……いや、夏風邪かと思ってました。

今までのパターン的に…」

「しばらく避妊せんかったんやぞ?」

「………はい。ごめんなさい」


気の利かない旦那でごめんなさい。

「今度、マタニティウェアとか見に行こか」と笑みを見せる嫁を前に、僕は不安を浮かべる。

子供の相手は、弟で散々してきた。

それでも、『自分の子供』を育てるのは、僕も嫁も初めてのことだ。

無事に生まれてくるかもわからないし、その過程で散々な目に遭わないとも限らない。

気を引き締めないとなぁ、と思っていると。

嫁が「んぶっ」と、途端に顔色を変えた。


「ご、ごめ…。ちょっと、吐きそ…」

「ああ…っと、この中に…」

「あ、ありがと…。んぶっ…」


吐き気にやられる嫁に、先ほど食パンを買った際に貰ってきたビニール袋を差し出す。

嫁がその中を覗き込むように、顔を埋めるのを横に、僕はそっと背を撫でた。


「……その。僕は妊娠の苦しさとか、想像することしか出来ませんけど…。

…死ぬ気で支えます。だから、一緒に頑張りましょう」

「………子供、産まれる…、前に…、死ん、だ、ら…、しばき、倒…す、かん…な…」

「はい。死なないようにします」


弟とか義妹とか、毎日のように家にゴリラ族を呼んでおこう。

そんなことを思いつつ、僕は家族、職場への報告をどうするか考え始めた。


♦︎♦︎♦︎♦︎


「え゛ェーーーっ!?

紅葉姉ちゃん、妊娠したんですか!?」

「ええ、まぁ…。その、声が大きいです」


事務所にて。コトバさんの素っ頓狂な声が、カフェテリアに轟く。

無論、それは職場の全員に聞かれているわけで、生暖かい視線が降り注ぐのがわかった。


「は、はぇー…。なんか、熟年夫婦みたいな感じだと思ってたけど、バリバリやることやってたんですね…」

「いや、夫婦ですし…」

「私も子供欲しいですぅ。…精子バンクってのがあってですねぇ」

「僕にドナーになれと?」


ヒトエさんと入れ替わった元OL人格…フタリさんが、間延びした声でとんでもないことを提案する。

まさかとは思うが、それで僕の子供を妊娠しようとしてないよな?

初恋を引き摺り過ぎてやしないか、と思っていると、フタリさんが笑みを浮かべた。


「あなたの子供以外産みたくないですしぃ」

「…い、いや、あれって確か、ランダムじゃなかったですか?」

「んー…。じゃ、内縁の妻として迎え入れてくださぁい。他の子も諦めてないのでぇ」

「そんな甲斐性ないです」


質問。同級生4人…いや、5人が初恋を拗らせてました。どうすりゃいいんでしょうか。

嫁ですら「その気になったら別にええよー」と言ってるとはいえ、僕の気持ち的に内縁の妻5人はちょっと…、いや、そもそも嫁以外と関係を持つのだってだいぶ厳しい。

1人の人生に寄り添うだけでも死ぬ思いしてるのに、5人も増えると死ぬ。

申し訳ないけれど、僕が支えられるのには限度がある。

…弟とその友達からは、「インドに籍移せ」とか言われたけど。重婚しろと?

そんなことを思っていると、副業を終えたのであろう、可愛らしいエプロンを纏ったオウジャさんが僕の前に腰掛けた。


「初めての子か。…不安か?」

「めちゃくちゃ不安ですよ。

…嫁も、多分、平気そうに振る舞ってますけど、僕の数倍は不安かと」


不安要素はいくらでもある。

僕たちが地獄みたいな人生を送ってきたから、と言うのももちろんあるけど。

何より不安なのは、無事に生まれてくれるかどうかだ。

そして、嫁はその腹に命を宿している。

産まない僕ですらこんなに不安なのに、彼女が不安を抱かないはずがない。

そんなことを思っていると、オウジャさんが口を開いた。


「……これは、6人の子を持つ父としてのアドバイスなのだが…。

不安を見せるな、とは言わん。

ただ。いくら不安を抱こうとも、苦しみ、悩むパートナーに全霊で寄り添え。

こと出産に関して、我々男は役立たずだ。

パートナーにばかり苦痛を押し付け、子を『産んでもらう』、木偶の坊だ。

いくら鍛えようが、いくら心を強く持とうが、男には彼女らを支えることしかできない。

肩代わりできずとも、そばにいれずとも、相手への尊敬と感謝だけは忘れるな」


言うまでもないかも知れんが、と付け足し、苦笑を浮かべるオウジャさん。

僕はそれに対し、軽く頭を下げた。


「……いえ。言葉にしてもらえて、助かります。…僕だけが助かっても、あまり意味はないように思えますが」

「そんなことはない。

君の不安は、パートナーにも伝播する。

家内も7人目が宿って2ヶ月経つが、お互いに不安は外で吐くようにしてる。

同じ不安を持つパートナー同士でそれをぶつけ合っても、上手くいかないことの方が多いからな」

「………しち、にん、め…???」


理解できない世界の話をされた。

え…?ヒメさん、今、妊娠中…?

あ、だからか。最近、配信に出てこないの。

「そろそろ発表しようかと思っててな」と付け足し、照れくさそうに笑うオウジャさん。

何人目になっても、不安なものは不安なのか。

…そうだよな。新しい命の分、責任を負わなきゃいけないんだから。

そんなことを思っていると、自販機でジュースを買っていたマナコさんが、僕らがたむろする席に座った。


「聞こえたよ。子供産まれるんだって?」

「まだ先ですけどね」

「いいなー…。なんか、幸せな結婚って感じで。それまでが地獄だけど」

「まあ、否定はしません。

ここ半年だけでも、職は失うわ、弟は人質に取られるわと波乱でしたし」

「そんだけ聞くと、よく子供作ろうとか思えたな」

「ま、セコムがいますしね」


身内にゴリラが数人いてよかった。

あのクソ政治家親子は、誘拐の一件に加え、前職で世話になった校長が死なば諸共と言わんばかりに用意した証拠の山でトドメも刺されてるし、身近な不安要素が消えたのはありがたい。

持つべきものは人徳だ。

…それを手に入れるまで、いろんなものを犠牲にしてきたけど。

しみじみとこれまでの苦労を思い浮かべていると、ふと、背後から視線を感じた。

僕がそちらを向くと、シェスタさんが血涙を流さん勢いでこちらを睨め付けているのが見えた。


「妬ましい…、妬ましい…」

「……なんか、妖怪になってる方がいるんですけど」

「シェスタさんですよ、あれ」

「わかってます」

「だぁれが妖怪よ!独り身の女を前に幸せオーラ全開にしやがって!!」

「それ、私にも言えますぅ」

「お黙り!初恋拗らせたアラサー!!」

「それはライン超えですよぉ…?」


あ、出た。ガンギレたフタリさん。

本来の方が性格がキツい分、怒り方は優しいんだけど…。

こっちは性格が温和な分、キレた時の反動が凄まじいんだよな。

この世のものとは思えない形相で睨め付けられたことで、シェスタさんも興奮がおさまったのか、「ごめんなさい…」と縮こまる。

世の中には、超えてはいけないラインが多くあるのだ。

それで反復横跳びしてる僕が言えたことではないけれど。

そんな騒がしい同期たちに囲まれていると、マネージャーさんがなにやら大きな紙袋を引っ提げ、こちらにやってきた。


「子供産まれるって本当ですか!?

これ、ベビー用品とかオムツとか買ってきました!どうぞ!!」

「まだ先ですよ。妊娠して1ヶ月も経ってないんですから」

「…………あれぇ?」

「そもそもつい最近、嫁と会ってるじゃないですか。

お腹、まだ膨らんでなかったでしょうよ」

「………早とちりしました、ごめんなさい」

「いえいえ。気を遣ってもらってありがとうございます」

「そりゃあ稼ぎ頭ですしね!

金のなる木に投資は惜しむな!ライブプラスの親会社の社訓です!」


もしかしなくとも、僕の子供を「金のなる木」と認識してらっしゃる?

もうちょっと適切な表現あるだろ、と思いつつ、僕は薄く笑みを浮かべた。


「…ここに転職できて良かったです」

「私のおかげですね!」

「………そうなんですけど。そうなんですけども、もうちょっと謙遜しましょう?」


嫁のいとこってことは、嫁の遺伝子、一部はコイツなんだよな?

……なんか、別の意味で不安になってきた。

彼女のように、致命的なアホを平気でやらかすような子に育たないよう、しっかり育てよう。

そんな意味を込め、僕はコトバさんになんとも言えない視線を送った。

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