しろちんのかなめ

それは俺がまだ”お母さん”と一緒だったころ―――――


「ちょっと!

 私と別れるって何よ!!」

「うっせえな!

 どうでもいいだろ」

「どうでもよくないわよ!

 何か駄目なところがあるなら直すから!

 捨てないで!!」

「うぜえよ!

 腕を離せ!」


俺の前でお母さんが男に蹴り飛ばされた。

俺はお母さんを助けたいが、幼稚園にも満たない今の俺には無理な話だ。


「あのな?

 餓鬼の面倒なんざ真っ平御免だってんだよ

 この餓鬼が女なら役立つこともあるだろうがな……

 男なんざなんの役に立つんだ?」

「そ…そんな……

 でも私別れたくない!」


男は煙草に火をつけると、その煙を幼い俺に吹きかける。

ひどい咳が出た。


「……俺のことを愛してるか?」

「!!!

 ええもちろん愛してるにきまってる!!」

「……じゃ。

 その餓鬼捨ててこい」

「?!!!」


それから先は覚えていない。

二人の何度目かの喧嘩が始まったからだ。

俺は結局捨てられなかった。

俺はお母さんに愛されてる。



-----



あの日から何日かが過ぎた。

男は珍しく家におらず、お母さんは楽しそうに鼻歌を歌っている。

俺もとてもうれしくなる。


「ねえ……しろう?」


お母さんが話しかけてくる。

俺は笑顔で返事を返す。


「今からお母さんの言うことをよく聞いてね?

 ……お母さん、今からちょっと遠くに出かけるから、一人でお留守番お願いね?

 食べるものは冷蔵庫を開けばあるからね?」


お母さんは笑顔で俺の頭をなでる。

俺はなぜか不安になった。

お母さんの服を強く握る。


「……大丈夫よ?

 すぐに帰ってくるから

 大事なしろうを置いていくわけないでしょ?」


それでも不安はさらに強くなる。

その姿を見てお母さんは……


「しろう? お願いだから服をはなして?

 出かけられないでしょ?」

「うううう……」


俺はついに泣き出した。

それを見てお母さんはいら立ちを隠さなくなる。


「いい加減はなしてね、しろう。

 あんたがいると彼が別れるっていうのよ

 どうせ、うちの親戚の誰かがアンタのこと引き取ってくれるって

 だからはなしなさい!!!!」


俺の小さな手はお母さんの手に叩かれ服から離れてしまった。


「おがおお…おがああさあんん……」

「ごめんね、しろう。

 愛してるわ……」


その言葉を最後にお母さんは俺の前から姿を消した。

俺はお母さんの言うとおりに、子供のいない親戚に養子として引き取られた。



-----



「困ったわね」

「困りましたね……」


天城幼稚園の園長と保母さんが同時にため息をつく。

何が困ったかというと、最近入ってきた”上座司郎かみざしろう”という子供が誰にも懐かないのだ。

園長や保母さん達はもちろん、同じ子供とすら遊ぼうとしない。

園児がよって行こうとすると、砂をかけて追い払ったりして泣かせてしまう。

まあそれを平気で突っ込んでいく元気な園児も一人いるが。


「しろう君って確か……」

「…ええ、前のお母さんがいろいろひどかったって聞きました」

「今のお母さんは、しろう君をとても大事にしてるみたいだけど…」

「……まったく懐くこともなく、しゃべることすらほとんどないって聞きました」

「「……」」


二人は困り顔で庭の端で一人遊びをしている司郎を見た。

そこに向かって思いっきり駆けていく園児が一人いる。


「……」

「しろ!!」

「……」

「しろ! しろ!!」

「……」

「しろ! みろ!」

「!!」


司郎は背後にいる誰かに顔をつかまれて、無理やり後ろを向かされた。


「ぐ!! いってえよ! やめろよ!!」

「おう?! ごめんしろ!」

「しろじゃねえよ! いぬかよおれは!!!」

「……ほらみて! かまきり!!」

「はなしきけよ! どっかいけ!!!」


司郎はその園児に思いっきり砂をかける。

しかし、その園児はまるで砂の軌道がわかるかのように避けまくる。


「おう? しろはいやか?」

「あたりめえだろ!!」

「じゃあ…………

 しろちん!!!!!」

「ちんってなんだよ!!

 どこからきたんだよ!!!」

「そこについてるじゃん」


園児は司郎の股間を指さす。


「まんまかよ!!!

 そのまんまじゃねえか!!!」

「プフフフフ…!!!!!

 しろ…ちん…!!」

「てめえでつけてわらってんじゃねえよ!!

 この!!! どっかいけ!!!」


司郎は園児に周りの物を手当たり次第に投げまくる。

だが、その園児には当たらない。


「く!!! もういい!!!」


物を投げつかれた司郎は、自分がその場から去ることを決めた。


「しろとん? どこいく?」

「…ちんじゃねえのかよ?!!!」


最後の突っ込みを入れて、司郎はその園児から逃れるように走って行った。



-----



……夕方。


「園長? 遅いですね上座さん」

「ああ、それなら少し遅れると電話がありました」

「そうですか。ならいいんですけど」


幼稚園の司郎たちの部屋、そこには二人の園児が残っていた。


「お~じ~い~ちゃん

 おそいな~~~」

「……」

「ねえしろちん。

 おじいちゃんどうしたんだとおもう?」

「……」

「しーろーりーん~~~~」


園児は司郎の服をつかんで揺さぶる。


「うるせえよ!!! はなせ!!

 っていうかちんじゃねえのかよ!!」

「しろちん、おじいちゃんどうしたとおもう?」

「……しらねえよ。

 ……もう、どおせこないんだろ」

「え? おじいちゃんむかえにくるよ?」

「そんなのわかるかよ……」

「?」


園児は司郎の頭をなでる。


「しろちん、おかあさんむかえにこなくてさびしい?」

「……!!!!!」


この園児の言うお母さんは、今住んでいる家のおばさんのことだ。

でも、その時、司郎はあの”自分を捨てたお母さん”をはっきり思い出した。


「くるわけねえだろおおおおおおお!!!!!!!!」

「?!!!」


司郎は園児の手を叩いて払いのけると幼稚園の玄関に走る。

そして、夕日の街を思い切り走った。


「はあはあ…」


いつの間にか、司郎はどこかの古びた神社にいた。


「……」


幼稚園への帰り方なんて覚えていなかった。

でも…それでいいか、と司郎は思った。


「……おかあさん」


司郎は神社の社の鈴の下、ただ静かに座り込む。

なぜか、涙が出た。


もう、このまま誰にも見つけられず死ぬのかとも思った。


(……もう、それでいいや)


がさがさ!!


「…?!(ビク!)」


不意に自分のそばに生えている一本の木の上のほうの葉ががさごそ動き出した。

司郎はお化けがいるのかもと思って、座ったまま後ずさった。


「し~ろ~ちーん!!!!!!」

「うわああああああ!!!!!!」


突然、園児が木の上から落ちてきた。


「……って?!

 おまえかよ!!!!!」

「はは!! びっくりした? もらした?」

「もらしてねえよ!!!

 っていつのまにきにのぼってんだよ!!!!」

「さっきだよ?」

「……ついてきてたのか?」

「うん…、しろちん、あしおそいね?」

「ぐ…」


どうやらこの暴走園児はタダでは一人にしてくれないらしい。

司郎は園児に背を向けると座ったまま言った。


「もうどっかいけ…

 おれはここでしぬんだ」

「なんで?」

「いいんだよ…もうだれも、おれなんかしんぱいしてねえんだから」

「そんなことないよ?

 しろちんのおかあさんしんぱいしてるよ?」

「!!!!

 しんぱいなんかするもんか!!!!

 みんなそうだ!!!!!

 みんなおれをおいていくんだ!!!!!!!

 おかあさんだっていなくなった!!!!!!

 おまえらだって…

 …… い つ か ぜ っ た い

 い な く な る ん だ !!!!!!!」

「……」


司郎は心の中のすべてを吐き出す。

そう、「愛している」なんてただの幻想だ。

そういってお母さんはいなくなったじゃないか。

いつか誰もいなくなる。

誰も……



ふとその時、司郎の右手を園児が握った。


「?」

「しろちん……あのね」


司郎の手を握った園児が、もう片方の手で地面に何かを書きだす。

それは”かなめ”という漢字。


「わたしのなまえはこうかくの」

「? なんだよ」

「わたし、もうかんじかけるんだぞ!!!!!」

「…だからなんなんだよ」

「このかんじは、かなめっていうの。

 みんなをささえるたいせつなそんざいなんだって」

「……」

「わたしは、しろちんをおいてどこにもいかないよ?

 わたしが”しろちんのかなめ”になってあげる」


…と、その時、誰かが司郎を呼ぶ声が聞こえた。


「司郎~~~!!!」

「しろうく~~~ん!!!!」

「かなめ~~~~!!!!」


その声を聴くとかなめは司郎の手を引いて走り出した。


「おじいちゃ~~~~~ん!!!」

「かなめ!!!」


ホッとした顔をした大人たちが集まってくる。

その中には司郎の家のおばさんもいた。


「司郎!!」

「……」

「ごめんね司郎! 迎えに来るの遅れちゃって!」


そのおばさんは涙を流して謝っている。

司郎は、心の奥から何かがこみ上げてくるのを感じた。


「ううう……うわああああああああああああん…!!!!!!」


それは、司郎がお母さんを失ってから初めての心の底からの涙だった。

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