第3話 ニグレド

「おおおおい!? 待てや!?」

 すぐに慌てた声がして、目の前に一匹の黒猫が現れた。

 いや、正確に言うとそれは黒猫のように見えるなんかよく分からない動物だった。

 限りなく猫に近いような気はする。

 でも、なんか僕の知ってる猫と違う。

 耳が大きくて、額の部分には宝石みたいなものがある。

 ……うーん。〝これ〟を何と呼んでいいのか分からないけど、とりあえず〝猫〟ということにしておこうか。

 黒猫は当たり前のようにしゃべり出した。

「オレ様が力を与えてやるって言ってんだろ!? もらえよ!?」

「いや、だって対価がいらないとか言われても胡散臭いだけだし……どうせ後で手のひら返して根こそぎ持って行くんでしょ? 僕は知ってるよ。他人なんて信用できない。そうやって気が付いたら何もかも失ってるんだ。他人をあっさり信用する馬鹿の手元には、金はおろか尻の毛すら一本も残らないんだよ」

「お前のこれまでの人生に何があったんだよ!?」

「とにかく、僕に力は必要ないので失礼させてもらうよ」

「だから待てって!」

 足にしがみついてきた。

 振りほどこうかと思ったが、見た目が猫っぽいので少し躊躇ってしまった。

 ……ぐぅ、クズの自覚があるぼくでもさすがに猫にひどいことはできない。こいつが犬みたいな見た目だったらいくらでも蹴り飛ばせたんだが……。

 はあ、と思わず溜め息を吐いてしまった。

「……ところで、君は誰? 見た目は猫っぽいくせに当たり前のように喋ってるけど……」

「おっと、そうだったな。まだ名乗ってなかったな」

 黒猫は足から離れると、器用に二本足で立ち上がった。

 いや四足歩行動物じゃねえのかよ。

「オレ様の名は〝ニグレド〟だ」

「ニグレドねえ……よくわかんないけど、悪魔とかそんなの?」

「悪魔? いやいや、そんなんじゃねえさ。むしろその対極にあるもの――と言ったところだろうな」

「ん? つまり?」

「〝神〟って分かるか?」

「ああ、神ね。いいやつだよね」

「え!? もしかして知り合いだったのか!?」

「いや、赤の他人だけど」

「他人かよ!」

「で、神がどうしたって?」

「オレ様は神の遣い――つまり〝天使〟だ」

「……」(うわぁ、死ぬほどうさんくせえのが出てきたぞ……?)

「まぁまぁ、そんな顔すんなって。お前には〝資格〟があるんだよ」

「……資格?」

 英検3級なら持ってるけど……そういう資格じゃないんだろうな。

 黒猫――ニグレドは大きく頷いた。

「そう、資格だ。オレ様の姿が見えて、しかも声も聞こえている。それだけでお前には資格がある。オレ様は資格がある人間にしか存在を知覚できねえのさ」

「よく分かんないけど……じゃあ君が別の世界から僕をこの世界に召喚したってこと?」

「オレ様の意思ってわけじゃないが……まぁ関連はしてるだろうな。全ての因果は結果だけで起こりえない。必ず原因があるからな。オレ様の存在が、その原因の一端になっている可能性があるのかと言われたら、あるいは確かにそうなのかもしれないが、しかしオレ様が意図的にお前を呼び出したわけではない」

「なるほど……分からん」

 いや、マジで分からん。異様に読みにくい翻訳本みたいな喋り方しやがって。

 ……待てよ?

 翻訳と言えば……どうして僕はこいつと会話できているんだ?

 ここが異世界だとすれば、こいつは異世界の言葉を話しているはず。なのに、どうして僕はこいつと当たり前のように会話している?

 一瞬、そんな疑問が脳裏をよぎった――が、しかし。

 ま、あれか。そういうのってもう定番みたいなものだし、気にするだけ無駄だな。言葉が通じてるならもうそれでいいじゃん。

 と、秒で自己完結した。

「まぁ、お前がここにいることにはそれなりの理由と必然性は存在しているっつーことだよ。しかし……さっきから疑問なんだが、お前って男のはずだよな? なんで女の格好してんだ?」

「え?」

 ちょっと驚いてしまった。

 僕はこれまで女装した状態で一度も男であると見抜かれたことがない。これが初めてだった。

「……これでよく僕が男だって分かったね?」

「そりゃあな。だって、オレ様は男にしか知覚できねえからな。それも資格っつーか、条件の一つだ」

「……? えっと、それはどういう――」

 何のことかと聞き返そうとした、ちょうどその時だった。

「まずい、瘴気だ! ドラゴンが出てくるぞ!?」

 と、どこからか悲鳴のような声が聞こえてきた。

 すかさずバッ、と振り返っていた。

「い、今の声は?」

「おっと、どうやら向こうで誰かがドラゴンに遭遇しちまったようだな」

「え!? ドラゴンだって!? まるで異世界かよ!」

「声はあっちからしたようだぜ?」

「よし、分かった! あっちだな!」

 僕は反対方向に向かって全力で駆け出した。

「って待てや!」

「うぎゃあ!?」

 ニグレドが足にしがみついてきたのでスッ転んでしまった。

 地面に顔面からダイブしていた。

「ぺっ! 口に砂入った!? てめぇ何しやがる!?」

「いやあっちだって言ってんだろ!? 何で反対方向に走るんだよ!?」

「聞いてなかったのか!? ドラゴンが出たんだぞ!? だったら反対方向に逃げないと危ないだろ常識的に考えて!」

「襲われているかもしれない人を助けなきゃっていう人として当たり前の使命感みたいなものはないのかお前には!?」

「いやドラゴン相手に僕にどうしろってんだよ!? 普通の人間なんだぞこっちは!?」

「だからオレ様が力を与えてやるっつってんだろ! さっさと力もらって危険に飛び込んでこい!」

「イヤだ! 断固として拒否する! 危険が危ないのは絶対にイヤだ!」

「いいから行くぞ! 行かなきゃ話が始まらねえんだよ!」

「うぐ!? な、なんだ!? 身体が急に動かなくなったぞ!?」

「オレ様の力でお前を拘束した。しばらくお前はオレ様の操り人形だ」

「な、なんだって!? それで僕にひどいことするつもりか!? エロ同人みたいに!?」

「なに言ってんだかよく分かんねーけど、さっさと行くぞ」

「い、イヤだー!? いきたくなーい!?」

 どうにかして逃げようとしたけど、操り人形にされた僕に為す術はなかった。

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