女装したまま異世界に転移したら聖女に間違えられた話

妻尾典征

第1話 異世界転移

「はぁ……はぁ……くそ、ここどこなんだよ、マジで」

 当てもなく、薄暗い山の中を歩き続けていた。

 本当に薄気味悪い感じの暗さだった。きっと樹海ってのがこんな感じなんじゃないだろうか。まぁ行ったことないけど。

 ……さっきまで渋谷にいたはずなのに、どうして僕はいまこんなところにいるのだろう?

 わりとマジで遭難している真っ最中だ。

 ちなみに山歩きをするような格好じゃない。

 今日の僕のコーデは清楚系女子という感じのイメージだ。こんな服で山に入るやつなんて普通はいない。

「だ、だめだ。もう限界だ……」

 その場にへたり込んでしまった。

 服が汚れるのも気にせず、木を背にして地面に座った。

「……はは。ここで野垂れ死んだら、女装したまま死ぬことになっちゃうな」

 そう、今の僕は女装していた。

 こうして女の子の服を着ているけれど、性別は男だったりする。

 いや、誤解のないようにこれだけはちゃんと言っておこう。

 僕が女の子のフリをしているのは、決して趣味からではない。

 これは――そう、生きるためなのだ。

 ……いまは死にそうだけど。

 何でこんなことになったんだっけ……?

 僕はこうなるまでの経緯を、ぼんやりと思い返し始めた。


  μβψ


 ――夜、二十三時を少し過ぎたところ。

 ――東京、渋谷。


「いやー、女の子のフリして愛想良くしてるだけでこんなにお金くれるんだもんなぁ、みんなチョロいや」

 思わず鼻歌が出た。

 今日はけっこうな収穫だ。

 なんと一日で十万円近く稼いでしまった。

 普通にアルバイトしても、日給なんて1万円もないだろう。

 それが何と、僕は日給十万円だ。

 普通に汗水垂らして働くのがいかに馬鹿らしいかと思う。女装しておっさんとちょっと遊ぶだけでこんなにお金が稼げるのだから。

 こんなの知ったら、もうやめられないよね☆

 生きるためには金が必要だ。別に女装は趣味じゃないけど、生きるため、金のためには仕方が無いことなのだ。

 ……さてと、にしても今日はちょっと遅くなっちゃったな。

 数えていた札束を財布にしまった。

 未成年が夜の繁華街をうろうろしていると警察に補導されてしまう可能性がある。

 ま、僕みたいなやつなんてそこら中にいるし、そそくさと退散しよう。

 ……それにしても、さっきのおじさんが奢ってくれたシャレオッティなディナーじゃちょっと量が足りなかったな。美味しいのは美味しかったけどさ。

 女の子のフリをしているので表向きはがっつくようなことはしなったけど、こう見えて食べたい盛りの男の子。プロフの好物にはパフェとか書いているが、本当の好物はラーメン半チャーハンセットなのだ。

 どうするかな。何かおやつ的なものでも買って帰ろうか。いや、でも寝る前に食べると太っちゃうしな。

 うーん、悩む。

 たまに「わたし食べても太らないタイプだから~」なんてやつがいるが、その台詞が許されるのは食べた分のカロリーと同等の対価を運動によって払う覚悟のあるやつだけだ。等価交換の原則により、食べた分は消費しなければ必ず脂肪に変換されるのである。真理は脂肪だけ持って行ってくれるほど寛大ではない。

「君、ちょっといいかな?」

 なんて、どうでもいい考え事をしていたら肩をポンポンされた。

 ……。

 もしかしてナンパだろうか、と最初は少しそう思った。

 いや、僕がナンパされることは珍しいことじゃない。女装して街中を歩いていたら、一日に何回かは必ず声をかけられる。

 でも、これは違うと思った。まず声が女の人だったし、口調はともかく声色の雰囲気からして明らかに重苦しいのだ。

 何だか嫌な予感がしながら振り返ると……そこには何とお巡りさんがいた。

 相手はガタイのいいおじさんと、若い女の人のコンビだった。

 僕の肩を叩いて声をかけてきたのは、若い女の人の方だ。

「……えっと、なんでしょう?」

「君、歳いくつかな?」

「二十歳です」(即答)

「そうなの? 全然そうは見えないけど……高校生くらいじゃないの?」

「あはは、よく童顔だって言われるんで~……」(露骨な視線逸らし)

 愛想笑いをしておいた。ちなみに仰る通り未成年です。慧眼ですね。

 明らかに相手の視線が鋭く、厳しくなった。

「よかったら、何か名前が分かるものとか見せてくれないかな?」

「すいません、全部家に置いてきちゃったんで……」

「さっき札束を財布にしまっていたような気がするけど?」

「あー……」

 どうやら見られていたらしい。

 ……完全に迂闊だった。

 ちょっと油断していたようだ。

「じゃあ、ちょっと近くの交番まで――」

「すいません急用を思い出しましたッ!」

 猛ダッシュで逃げた。

「あ、こら待ちなさい!」

「実は親が急病なんです! 見逃してください!」

 全力で走った。

 女の警官はすぐに人混みの向こう側に消えた。

 だが、男の警官はものすごい勢いで追随してきた。

「くぉらぁ! またんか貴様!」

 ものすごい形相である。

 あの顔で待てと言われて待つようなやつはいるまい。

 しかし、こっちは逃げる事に関してはスペシャリストだ。

 なんせこういうことは初めてじゃないからな!

 雑居ビルに逃げ込んで、女子トイレに入り、驚いている人を横目に見ながら窓から、さらに屋外へと逃げた。

 ……くそ、どこかで服装を変えたほうがいいかもしれないな。

 適当にどこかの店に入って、服を一式買って着替えてしまうかとも思ったが……困ったな。この時間じゃアパレルショップなんてどこも開いてないぞ。

 さて、どうしたものか――

「って、ここ行き止まりじゃん!?」

 適当に逃げていたから変なところに出てしまった。

 やばい、すぐに引き返さないと!? 追いつかれたら逃げ場所がなくなるぞ!?

 ……この時、僕は焦っていてちゃんと足元を見ていなかった。

 裏路地にゴミが落ちていることなんて珍しくない。

 空き瓶の一つや二つくらい落ちていることもあるだろう。

 僕は転がっていた空き瓶を踏んでしまった。

 あれ? と思った時には後ろにスッ転んでいた。

「ぐはッ!?」

 一瞬の浮遊感を感じたのち、後頭部を思い切り強打した。

 コンクリートジャングルの夜空に満点の星が見えたような気がした。それくらいすごい衝撃だった。

 いや、これ、死ぬやつじゃね……?

 星空はすぐに消えて、今度は目の前が真っ暗になった。

 ……あ、これ本当に死ぬかも。

 瞬間的にそう思った。手足の感覚が完全に消えてなくなったのだ。

 それはまるで、意識だけが暗闇の中へ投げ出されたような感じだった。

 自分が息をしているのかも分からないような状態になって――ふと、誰かに見られているような感覚を覚えた。

 全身の感覚がおぼろげなまま、目だけを動かすような感じでそちらに視線を向けた。

 すると――目が合った。

 真っ暗になった視界のその向こうにから、こちらを覗き込んでいる〝何か〟と目が合ったのだ。

 化け物。

 そうとしか言いようのない〝何か〟だ。

 そいつにはなぜか見覚えがあった。

 かつて一度だけ――僕はこの化け物のことを見たことがある。

 そんな気がしたが……それがどこだったかははっきりと思い出せなかった。

 僕の意識はそのまま、まるで底なしの闇へと引きずり込まれるように沈んでいった。

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