第6話 早稲田と慶應の男が嫌いだった話
ひらりささんの随筆、「それでも女をやっていく」のとある文章を読んでから、思い出した話がある。
私が早稲田の男と慶応の男が嫌いだった理由だ。
高校生の時。
私は、女子校に、水戸二高に入りたかった。
養母がどうしても、水戸一高に入ってくださいと言うことで、誘導尋問みたいな形で、ある意味、事故のようにして水戸一高に入った。
中学時代は子役だったし、帰宅部だったわたしは、新聞部に入った。
実は、この新聞部、伝統的な名前が付いており、本当は別の名前があるのだけれども、手元に卒業アルバムがないので確認できない。
ということで新聞部と言うことで伝えておくが、私が入った時、三年生しか部室にいなかった。
二年生の先輩がいるとは聞いていたが、その先輩の姿を見た事はなかった。
その時点で気づくべきだったのだ。
なぜ三年生の、しかも、男性しかいないところで、その二年生の、男性の先輩が部室にいつもいないのか。
それから、しばらくして。
後輩が入ったことだし、と言うことで、それを記念して、久しぶりに新聞を出そうと言うことになった。
もちろん、私にも執筆依頼が来た。
その原稿を私はある先輩に渡した。
あろうことか、その先輩は。
原稿を紛失した。
その先輩になぜ原稿を紛失したか聞いても、のらりくらりとかえされるだけだった。
後で、私は、こう聞いた。
もしも君が原稿書いていた話を他の人に相談していたら、あいつが原稿をなくしたとしても対処できたかもしれないと。
それは半分事実なのだろう。
それから。
三年生が卒業した後、人数が少ないこともあって、その後、私の在校中に、新聞を発行することができなかった。
卒業式、の前だったか、当日だったか。
新聞を出せなくてごめんなさいと謝る私に向かって、新聞部の顧問は。
名前を継いでくれただけで十分だ。
これで新聞部の伝統は守られたんだ、と。
その後。
私は、こう聞いた。
久しぶりに、新聞は無事発行されたと。
部室がそのまま残っていることが幸いしたらしい。
ちなみに。
原稿を紛失した先輩も、変な言い訳をした先輩も、そろって早稲田大学、慶應大学に一発合格だった。
当時の水戸一高では、半分は浪人して六大学に入る人が大半だったので、先輩たちが優秀だっだのは確かだが、それ以来、早稲田と慶應が嫌いになり。
なおかつ、六大学が嫌いになった。
ここから、先は同人誌に書くので、いつか、復職できたら、同人誌版に、この話の続きを書こうと思う。
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