黒の魔女は選ばれない
継瀬
やってきた転機
1
「フィーネ! フィーネ・ブラック!」
木の扉を叩くけたたましい音が夢心地のフィーネを現実の朝へと呼び起こす。
フィーネは朝が来てしまったことを確かるためにベットサイドテーブルの上の懐中時計に手を伸ばす。
だが力が入らない手は宙を切ったり、テーブルを荒らして懐中時計を見つけない。
そんなことをしていたせいか、テーブルに乱雑に積み上げていた本の山に手をぶつけ、見事に本の雪崩を起こした。
「悪いけど入るよ、フィーネ」
物音に溜息をこぼして家に入ってきたのは近くの町に館を構えるテイラー伯爵の息子の一人、ティム・テイラーだ。
艶のある亜麻色の髪は今日もメイドに整えてもらえたのだろう。フィーネと違って寝癖一つない。
丸く大きく垂れ下がった目の形に上手く嵌め込まれた美しい翠の瞳と雪国の雪のような透き通った肌。
なんでもこの瞳は社交界の少女達を魅了するとかなんとか。
フィーネと同じ12歳にして将来が期待される顔立ちである。
だがフィーネからすればティムのファンに魅力を熱弁されても「そうですね」と返すくらいの感情しかない。
どうにも町外れに住んでいるとフィーネのような少女が生まれてしまう。
むしろ毎朝毎朝、雄鶏のように朝を告げに来るティムは悩みの種でしかないのだ。
「おはようございます、ティム様。…いつも通りお見苦しい姿で申し訳ありません」
「いや押しかけてるのはこっちだし、気にしないで。はい、新聞」
「……ありがとうございます、助かります」
新聞を受け取ったフィーネの心はため息の嵐だった。
ティムが毎日来るのは町外れに住み、世間を知らないフィーネのためにテイラー伯爵が読み終わった新聞を届けるためだ。
フィーネからすればありがた迷惑であり、新聞も買えないほど貧しいわけではない。
もちろんフィーネも当初はやんわりと断ったが「僕の楽しみなんだ、ダメかな?」と悲しげな顔をしていた。
庶民に貴族の楽しみを取り上げるのは無理な話である。
加えてテイラー伯爵のご厚意もあるのでそもそも断り権利などフィーネにはないのだ。
(でも押しかけてる自覚があるならやめてほしい…)
そして朝の挨拶はこれで終わらない。もう1人、来訪者がいるからだ。
ティムに続いて護衛の従者が入ってくる。
いつも従者は老執事ダルクなのだが、今回はその老執事の奥方でメイド長のベイリーだった。
ダルクだった場合は微笑ましいと言わんばかりに見守っているのだが、ベイリーはそうといかない。
寝癖をつけ、ネグリジェ姿のフィーネに非難の目を向ける。
「…おはようございます、ベイリーさん」
「おはようございます、ブラック。ですが私や坊ちゃんに挨拶する前に上着くらい羽織ってはどうです?」
「そう、するべきでした。すみません」
フィーネは頭を下げ、そそくさと椅子に掛けてあった上着を羽織る。
理不尽だと思うがベイリーの言ったことは正しい。子供と言えど恋人でもない異性の前でネグリジェ姿でいるのはあまり褒められたものでは無い。
「ベイリー。部屋に入った僕が悪いからフィーネを責めないで」
「ええ、もちろん若様も悪うございます。それは後ほど」
そうだそうだ、と小さく頷きながらフィーネは床に散らばった本を回収する。
するとベットの下から秒針が刻む音が響いてくる。
どうやらさっきの雪崩に懐中時計も巻き込まれたようだ。
フィーネはティムとベイリーの会話に耳を傾けることなく、ベットの下に手を伸ばす。
「ベイリー、僕が言いたいのは」
「ブラックが若様のご友人なのは存じています。ですが立場というものがございます」
「心を許す友人に立場を求めるっていうのかい?」
会話に巻き込まれたくないがためにベットの下で懐中時計を探している振りをしていたが、そうもいかなくなってきた。
ティムとベイリーの会話が熱を帯び始めたのだ。
しかも原因がベットの下に頭を滑り込ましているフィーネだ。
心に溜めていた憂鬱をベットの下に吐き出し、のそりと起き上がる。
「ティム様、お話の最中申し訳ありません。新聞も受け取りましたし、長居しては奥様に怒られませんか? 前も奥様に怒られていましたし」
「…わかった、わかった。だけどまだ用件は終わってないんだ。それともいつも通り帰ったほうが良かったかい?」
「そんなことはないです。ここに訪れてくれる人はティム様くらいですから。それで用件とは?」
ティムは苦笑いを零しながらジャケットの胸ポケットから一通の手紙を取り出した。
手紙にはフィーネ宛の文字とティムの母親であるティム夫人が差出人であることが書かれていた。
嫌な予感がする。平和を好み、森の中で暮らしているフィーネの危機感知能力は人一倍培われていた。
「フィーネにとっても悪い誘いじゃないよ。それじゃあ、またね」
「…はい、また後で」
そう言ったティムとまだ不服そうなベイリーが部屋を出ていく。
すると入れ替わるように片手に野菜の入った籠を持ったシルキーが部屋に入ってくる。
どうやら今日は野菜が大量収穫だったようだ。
「おはよう、ベルティナ」
「フィー様、おはよう」
ベルティナはフィーネの家族がこの家に移り住んだ頃から住み着き始めた家事妖精だ。
白く絹のワンピースが歩く度にさらさらと音を立てる。
作り物のような青い瞳にフィーネの寝癖が映ると鈴の音のような可愛らしい笑い声を零した。
野菜籠を机に置くと引き出しから櫛を取り出してフィーネに渡す。朝ごはんができるまでに整えろということだろう。
「ありがとう。朝ごはん、よろしくね」
「はい」
フィーネは鏡台の前に座り、自分の姿を見る。
黒い髪に母親から受け継いだ夜が空を覆い始めるような濃紺の瞳。
ティムと違い、はっきりとした顔立ちではなくどちらかといえば優柔不断な性格だった父に似ている。
美人で目を引く母の血は今は不在のフィーネの兄、ハロルドが濃く受け継いでいる。
フィーネは髪を整え、サイドテーブルに置いていた耳飾りを左耳につける。
瞳と同じ色をした菱形のダイヤの中に魔法刻印が描かれていており、百合の花が装飾された金の枠に嵌め込まれている。
完全に目が覚めたフィーネはイヤリングに軽く触れる。
「窓よ、開け」
その小さな唇を震わせた。
言葉に応えるようにイヤリングの刻印が小さく光る。
そしてカーテンが開き、独りでに窓が開く。
開いた窓から朝の光が入り、森の空気が吹き抜ける。
優しく木々の爽やかな風がフィーネの体を撫でていく。
その風と共に小さな声も運ばれてくる。
【おはよう寝坊助フィーネ!またニンゲンが来たのね!】
【あの屋敷メイド嫌いだわ!嫌いだわ! 目が怖いんですもの!】
【フィーネ! 隣の国から使節団が来たそうだよ!でもダメだね!清い心を持ったニンゲンが少なかったんだもん!】
【フィーネ!フィーネ!3番街のマーティンが咳をずっとしているよ!面白いよ!コホンコホンだってー!】
姿なき妖精達の声である。
フィーネは顔を洗いながら妖精達の声に耳を傾ける。
何故、フィーネが新聞を必要としないのか。
理由は2つある。
1つはこうして妖精達が情報を届けてくれるから。
姿なき妖精は人間の隣人であり、おしゃべり好きである。
加えてここは妖精の国と人間の世界を繋ぐ森の中であり、フィーネは妖精の友人である
2つ目はフィーネの父は人間と妖精の薬師をしていたため、その家業を受け継いだフィーネには稼ぎがあり新聞くらい自分で買えるから。
兄のハロルドが母の血を濃く受け継いでいる反対にフィーネは父の血と能力が濃く受け継いでいるのだ。
だからティムが新聞を届ける必要もここに来る理由も本来は無いのだ。
(まあ、ティム様は力ない妖精は見えないから言っても意味ないんだよね)
するとベルティナが家の窓から顔を出してベルを鳴らす。
どうやら朝ごはんができたようだ。
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