第19話 仁義を切る

 ふたりはよくよく話し合い、彼らの関係性について聞かれたときは、嘘はつかないことを決めた。

 そしてクラスでも、互いを名前で呼び合うこと、毎週水曜日の放課後は二人で会っていることなども、オープンにすることとした。

 さて、決めたら決めたで、幸太にはまず、やっておきたいことがある。

「大野、二人きりで話したいことがあるんだけど、ちょっといいかな?」

 翌日の昼休み、幸太は早速さっそく、大野いずみを例の『告白部屋』へと誘い出した。

 大野は以前、幸太に恋心を抱いて、それを言葉にして伝えてくれたことがある。

「好きな人がいる。その人に想いを伝えるまでは、それが誰かも言えない」

 と言って、幸太は大野にノーを伝えていた。

 以来、大野とは直接の接触を持っていない。ただ、体育教師の園田とのあいだで発生したトラブルの際は、署名運動を提起して幸太を守ってくれたと美咲から聞いている。

 大野の現在の心情はどうあれ、美咲との関係については、ひとつ彼女に対して仁義を切っておかねばならない。

 ベンチに座って早々、

「私に、なにか伝えておきたいことがあるの?」

 と、大野はむしろ幸太の機先を制するように尋ねた。

 幸太は少し緊張した。伝え方を間違えれば、彼女と幸太や美咲とのあいだにしこりを生じるだろう。しこりが、さらには遺恨いこんになるかもしれない。

 できれば、このようなことで敵をつくりたくはなかった。

 いや、自分の敵になるのはいい。自分のせいで、彼女が美咲の敵になることだけは避けたい。

 (誠意だ)

 と、幸太は思っている。

 人間、最後は誠意だ。大野の告白を断ったときと同様、とにかく誠意、誠意で押してゆく。人間としてのありったけの誠意を見せ、その誠意で相手の心をすりつぶすほどの気組みで押してゆく。

 それしかない。

 大野の方は、前回と違って、むしろリラックスしている。

「伝えておきたいことがあって、来てもらったんだ。俺の好きな人のこと」

「美咲でしょ」

 幸太はまるで氷づけにされた魚のように固まって、動けなくなった。

 ようやくしぼり出した声は、大野の言葉に対する答えではなかった。

「どうして、そう思う?」

「見てれば分かるよ、好きだもん」

 なるほど、と幸太は思った。

 確かにその程度のことは、好きな相手のことだ、見ていれば分かるだろう。

 その人が、誰を見ているか。誰を愛しているのか。

「俺、美咲のことが好きなんだ。心の底から、彼女を想ってる」

「美咲、って呼んでるんだ」

 嫉妬しっとのためだろうか、大野の声がわずかに震えた。

「じゃあ、もう告白して、もしかして付き合ってるの?」

「あぁ、付き合ってる」

 幸太はもう迷わなかった。先制攻撃を食らって動揺したが、ここまでくればあとは覚悟を決めて強行突破するしかない。

「美咲とも話し合って、君にはしっかり伝えておきたかった。俺にとっても彼女にとっても、君は特別な人だから。正直に話しておきたかった」

 思わず奥歯を噛みしめて、大野の返答を待った。

 もし、狙いが裏目に出れば、大野は嫉妬に狂って、彼だけではなく美咲にまでうらみの矛先ほこさきを向けるかもしれない。

 が、沈黙の時間はあっても長くはなかった。

「分かった」

 との思いのほか軽い口調に、幸太も安堵の胸をで下ろす思いだった。

「教えてくれてありがとう。でも二人のこと、実はもうけっこう噂になってるよ」

「そうなの……?」

「隠してるつもりでも、お互いを見る目とか、表情とか、二人にちょっとでも興味あれば、私じゃなくても分かるよ」

「そうか……」

「美咲は友達だから、何かあったら私が守るよ」

「君がそう言ってくれると、心強いし、うれしいよ」

「早川君も、美咲の心が揺れないようにしてあげて。美咲、優しい子だから」

 それは、幸太が誰よりもよく知っている。ほかの誰よりも、美咲の気持ちを、美咲というひとを大切にしているつもりだ。

 幸太と話したあと、大野は美咲に声をかけてくれたらしい。

「美咲、よかったね。困ったことあったら相談して」

 と、それだけだったらしいが、美咲はその言葉が泣きそうなほどにうれしかった、とあとで教えてくれた。いやはや、ありがたいことだ。

 幸太は大野のほか、伊東と中川にも付き合っていることを打ち明けた。二人とも陽気に祝福してくれた。伊東は吉原とうまくいっているらしい。Take1では幸太と美咲同様、まったく進展のなかった二人だったから、これは完全に幸太の手柄と言っていい。吉原の情報を伊東に回したり、それとなく会話の糸口をつくったりと、陰に陽に、幸太は伊東のために便宜べんぎを図っている。

 クラスメイトのなかで、味方が3人もいてくれるなら、まずまず安心していいだろう。

 2学期2週目時点になると、二人の関係性はクラスのほぼ全員の知るところとなっていた。

 彼らが会話を交わしたり並んで歩いているだけで、口笛や冷やかしの声が聞こえるようになり、一種の公認カップルのような扱いになった。

 そのようになってしまうと、美咲も吹っ切れてしまったようで、恥ずかしがりはするものの、ことさらに隠すようなことは一切なかった。

 ひとまず、二人にとっての重大な障害になりうるものは、少なくとも当面はなさそうだ。

 ところで、9月は第四土曜日及び第四日曜日の連日で、文化祭が行われる。2学期に入って早々、クラスとして何か出し物をするのかしないのか、するとして何をやるか、という話し合いが数度にわたって行われた。教室のあちこちに仲の良い者同士がグループをつくって話し合っているように見えるが、実際には深い検討などしていない。

 人数が多いだけで意味のないミーティング、会社にもあったな。

 幸太はそもそもこういうことにはあまり興味がない。

 確かTake1ではアメリカンダイナー風のカフェをやることになって、揃いのコスチュームも配られたが、幸太はひどくつまらない思いをしたのを覚えている。なぜ、給料が出るわけでもないのにぺこぺこ接客なんぞをせねばならないのか。美咲のカフェ店員風のコスチューム姿がたまらなく愛らしかった記憶はあるが、企画自体はつまらない。

 商社勤務を通じて幸太は野心というものを知った。野心こそが行動を加速させる原動力となり、行動の結果として利益が生まれる。

 せっかくやるなら、野心を持ち、とことん面白さを追求してやれ。

 Take1同様、みんなでカフェをやろう、コスチュームもつくろうか、という話の流れになって、幸太はだんだんとうんざりし始め、ついに黙っていられなくなった。

 彼は教室の一番後ろのロッカーの上に座りながら、

「あのさぁ、どうせならゲストもキャストも最高に楽しめる企画にしようや。ただ椅子いすを用意してお茶みしてるだけじゃ、ちっとも面白くない」

「それでは、早川君にはなにか案がありますか?」

 学級委員の田沼がやや憤然として尋ねた。せっかく苦労して意見を拾い上げつつ進行してきたのに、それをすべて否定されるようなことを言われたものだから、まとめ役としては少々、気分を害するのも無理はなかったかもしれない。

「もっと面白そうなこと、なんでもあんじゃん。例えば揃いの衣装とかダサくてダルいことやめて、みんなで好きな衣装持ち寄ってコスプレするとかさぁ」

「マジっ、それいーねっ!」

 隣にいた中川が幸太の肩を叩いた。

「自分で考えて、自分で選んだ衣装の方が誰だって楽しいに決まってんじゃん。見てる方だって、あぁこいつはこういう服か面白ぇってなるし。女子だって個性のあるコスプレの方が絶対かわいいよ」

 おぉ、という野太い声が教室の後ろ半分から多く上がった。男子は誰でも、女子のコスプレ衣装姿は見てみたいだろう。

「うん、それ面白そう」

 教室の右前方を占拠していた女子グループからは、真っ先に美咲が笑顔で賛意を示し、大野や伊藤も同調してくれた。

「ほかにも、みんなの持ち味を活かせるような企画どんどんやったらいいよ。吹奏楽のメンバーは生演奏でジャズ喫茶みたいに演出すれば盛り上がるし、けいおんとダンスを組み合わせてライブやってもいいし、美術部メンバーはゲストの似顔絵描いてあげたりさ。みんな得意なこととか好きなことで勝手に企画立てて、四の五の言わず全部やったらいいよ。やってる本人たちが楽しくなかったら意味ないんだからさ。俺たち最後の文化祭じゃねぇかよ」

 ぐだぐだと続いていた検討もどきの場が、幸太のまるで鶴の一声で、一気に熱がこもったように思われた。

 無理に全員で歩調を合わせようとするから、簡単なことにも答えが出なくなる。みんなで同じことをやるなんて、ナンセンスだし、くだらない。パフォーマンスも落ちるだろう。全員で同じことをやりたいなんてことはありえないからだ。それぞれ、得意なこと、好きなことを思いきりやったらいい。後悔なくやりたいんだったら、それしかない。

「それ、すごくいいと思う! 私と千尋ちひろと、マミとコバチは、ジャズ生演奏で参加したいです!」

 美咲はまっすぐ手を上げて、希望を表明した。君は天使だ。

 すると、ダンス命のチャラ男を公言する堀というやつが名乗り出た。

「あのさ、好きなことやっていいんなら、俺サークルの仲間集めてダンスしたいんだけど」

 このあたりから、案が次々と出て、それらは『全部やる』ことになった。

「やらない理由なんてないだろ。やりたいって気持ち以上に強い理由なんかなんもねぇよ」

 と幸太が言ったからだ。

 彼は学級委員の田沼の任命もあり、クラスの文化祭プロジェクトリーダーになった。

 クラスを散々あおったわけだから、これも仕方ない。

 文化祭が終わるまでは、大忙しになりそうだ。

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