第42話 小公爵様、死亡フラグが立っています(1)

 

 季節は巡り、春光うららかな季節が訪れた。王立学園卒業式典当日。式典は王宮の絢爛豪華なホールで行われる。若い貴族たちにとっては、多くの場合、これが社交界デビューとなり、平民出身の生徒たちにとっては一生に一度の檜舞台となる。


 ロベリアはユーリと共に、敷地内の検問所に立っていた。


「予定では、ドレスの内側に小型ナイフを仕込ませてるんだよね?」

「ええ。所持品検査って、結構簡単に行われているから、アリーシャのナイフは検問所で見落とされるのよ」


 ロベリアはこれまで、やれるだけのことを尽くしてきた。アリーシャが今日、狂気に走るならばそれまでだ。


 緊張した面持ちで、検問所を通過していく馬車を眺めていると、ユーリがおもむろに呟いた。


「……僕ら、これが終わったら結婚するんだよね」

「小公爵様、死亡フラグが立っています」

「――フラグ?」


 ユーリは、漫画やアニメで、死亡する前にキャラクターが言いがちなセリフを見事に言ってのけた。不吉すぎる行動に天を仰いだところで、一台の馬車が到着。エヴァンズ男爵家の家紋が描かれた馬車から、可憐な娘が降りてきた。


「……あら、ロベリア様に、ユーリ様……? どうしてこちらに?」


 不思議そうに首を傾げた彼女こそ、この日に悪行の限りを尽くしざまぁされる悪役、アリーシャ・エヴァンズその人である。

 ライラック色のスリットが入った丈長ドレス。それまさに、犯行時に彼女が来ていたドレスと一致している。すると、アリーシャがごそごそとバッグを漁り始めた。ぎょっとするロベリア。


「ま、待って! は、ははは話せば分かるわ。だから早まらないで……!」

「はい?」


 バッグから取り出されたのは扇子だった。彼女は扇子を仰ぎながら微笑む。


「馬車の中、ちょっと蒸し暑くて汗をかいてしまいました。ところで、早まるって何をですか?」


 ……ガクッ。紛らわしいことはしないでくれと、肩を竦める。


「あ、ああ……扇子……。そうよね、今日は暑いわよね。なんだか私も汗かいてきちゃった。……ほほほ」


 ロベリアの場合、完全に冷や汗だ。


「全く何やってんだかロベリアは」


 ユーリが警備兵に耳打ちすると、通常より入念な身体チェックが始まった。


(私は……信じているわ。私の過去を憐れんで、泣いてくれた優しいあなたを)


 ロベリアは祈るような気持ちで身体チェックを見ていた。――結果。


「どうぞ、お通りください」

「……はい。お仕事ご苦労さまです」


 警備兵が事務的にそう言い、アリーシャが頷く。ナイフのような凶器の類いは見つからなかった。ロベリアはよろよろと歩いて、彼女の手を握った。


「ア、アリーシャ……ナイフは……持っていないの?」


 なんとストレートな問いか。隣でユーリが「いくらなんでも直球すぎるだろ」と額に手を当てて呆れている。


「ナイフですか……? どうしてそのような物騒なものを?」


 アリーシャは困惑気味に返した。ロベリアは安堵し、地面にへたり込んだ。張り詰めていた緊張の糸が解けるように、体の強ばりが弛んでいく。自分が思う以上に、緊張していたのだ。


「良かった……。本当に、良かった……」


 小さな呟きと共に、頬に一筋の涙が伝った。



 ◇◇◇



 卒業式典から遡ること数日。

 エヴァンズ家の屋敷は、いつにない賑わいを見せていた。


「ナターシャお嬢様! 本当にお美しいです!」

「お嬢様は私たちの誇りです!」


 屋敷内の一室。白のドレスを身にまとったナターシャは、両親や使用人たちから賞賛を受けていた。


 卒業式典は、ナターシャのためにあるといっても過言ではない。王宮内のホールで、ナターシャは王太子マティアスとの婚約を公表する。この日を晴れ舞台として待ち望んでいる他の生徒たちからしたら、本来の主役を奪われていい迷惑だろう。


 式典のためにあつらえた白のドレス。ふわりと床に広がるベル型で、肩が大きく開いたオフショルダータイプだ。白といっても、単純なものではない。光沢が美しい上質な生地で、見る角度によって色を変える。宝飾品の類いも贅を尽くしたものばかり。大きな雫型の石が並ぶネックレスと揃いの耳飾りは、エレガントな雰囲気がある。


 また、このドレスはマティアスと対になるデザインになっているという。式典を境に、彼女は――ロイヤルプリンセスになるのだ。


「ナターシャちゃん、そのドレスとてもよくお似合いです。……王太子殿下も、さぞお喜びになることでしょう」

「……! アリーシャちゃん、ありがとう……!」


 無愛想な表情で口先だけの賛辞を送ると、それを素直に受け取った姉は嬉しそう目を細めた。じわりとアリーシャの心に罪悪感が広がる。


(だめ……私、もうこれ以上この部屋にいたくありません。嫉妬して、きっと嫌な顔をしているに違いありません)


 アリーシャは俯きがちに伝えた。


「す、少し身体が疲れたので、部屋で休みます」

「そうなの……? 気が付かなくてごめんね。休んでおいで」


 ナターシャの気遣いに礼の一つも言えないまま、逃げるように自室に戻った。


「……っ、う、うう…………」


 アリーシャはベッドに突っ伏して泣いた。

 自分が普通より嫉妬深く、劣等感が強いことは自覚している。しかし、こればかりは理屈ではどうにもならないのだ。羨ましいと思わないように意識しても、元の気質はそう変えられるものではない。


(ないものねだりなのかもしれません。けれどとても苦しいです。……誰かを妬ましく思ってばかりの自分が、嫌になりそう……)


 ふかふかのクッションに顔を押し付けてひとしきり泣いた後、アリーシャは部屋のチェストの二段目の引き出しを引いた。茶色い厚手の表紙の本は、アリーシャがこの半年、日記を付けてきた本だ。


 そっと手に取り、ページをぱらぱらとめくる。


(凄く楽しい日々でした。……今までの私なら考えられないくらい、幸せな学園生活。お友だちができて、夢のようでした)


 日記を読み返す内に、自然と心が安らいでいく。楽しかった経験の記憶は、いつも自分を慰めてくれる。


(大丈夫。嫉妬するのは悪いことではありません。私はこれらの感情に折り合いをつけながら、進んでいけます)


 落ち着いた自分に、心の中で言い聞かせる。


 ページの途中で、イチョウの葉を見つけた。いつかのピクニックで、ロベリアが何気なくくれたものだ。彼女はいつでも人を思いやり、崇高な心を持っている。しかし、ロベリアも初めからそうではなかったのだ。


 "奈落の底を這うような日々"


 ロベリアはかつての苦難をこんな風に表現していた。彼女の口から語られた言葉は重みがあって、並大抵の人生を歩んで来ていたら出せない言葉だった。普通の少女だった彼女は、本質を丸ごと覆されるほどの何かを乗り越えてきたのだ。


(私に前を向いて生きることを教えてくれたのは、ロベリア様でした。そして、自分の悪いところを受容することを教えてくれたのは――)


 そして、アリーシャはふと、ある人の言葉も思い出した。


「――ユーリ、様」

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