第33話 優しさの理由

 

「そんな……。お姉様はそんなこと一度も……」

「ナターシャもそういうことを話したがらない子だから」

「私……お姉様の見せかけばかり見て勝手に羨んでいて……。お姉様の苦労を知りませんでした。もしかして、お姉様のこともロベリア様が助けてくださったのですか?」

「助けたというつもりはないけど、結果的にはそうかもしれないわね」


 ユーリとマティアスの寵愛を一身に受けていた下級貴族家の娘。ナターシャは大勢の女子生徒から妬まれ、批判されてきた。しかし、ロベリアが傍らにいるようになったことで、大胆な嫌がらせをする者はいなくなった。更には侯爵家の令嬢のタイスとポリーナも自発的に庇護するようになり、校内の批判の声は弱まった。


 ナターシャも、気弱で悪意の全てを受け入れ反発しなかったが、友人ができて自信がついたらしく、堂々と振る舞うように変わった。


 また、マティアスが彼女を正式な妃にするために手続きを初めており、彼女の足を引っ張ろうとしていた令嬢たちの軽蔑は、恐縮と畏怖に変わりつつある。これに関しては小説の筋立て通りであり、ナターシャは肩身の狭い学生生活を経て妃になれば、幼稚ないじめからは解放される。とはいえ、妃になった後も波乱が続くのだが……。


 ロベリアが物思いに耽っていると、アリーシャが言った。


「ロベリア様は、どうして他人にそこまで親切にできるのですか?」

「……」

「私も、ロベリア様のようになりたいです。誰にでも優しくて、いつも前向きで……。そんな風になるには、どうしたらいいのでしょう」

「なれるわ。アリーシャさんならきっと。……少し、歩きましょうか」


 ロベリアは立ち上がり、アリーシャに手を差し伸べた。彼女の細い指が重ねられる。イチョウ並木の道を歩きながら、ロベリアは語り始めた。


「今まで、誰にも話したことがなかったけれど、あなたには話そうと思うわ。私の過去のことを」


 自分が転生者ということは誰にも打ち明けたことがないし、これから先も話すつもりはない。もし転生したことを話せば、辛かった過去までさらけ出すことになるから。


「ロベリア様の……過去、ですか?」

「私はね、あなたが思うような善良な人間じゃない。あなたがナターシャを羨むように、誰かを羨んだり妬ましく思う気持ちも……痛いくらい、分かる。私が誰かに親切にするのは、過去に凄く凄く不幸なことを経験しているから」


 目を見開いたアリーシャに、ロベリアは淡々と続けた。


「奈落の底に突き落とされて、這い上がれずに苦しみ喘ぐような日々だった。……誰も代わってはくれない苦しみを味わう中で、いつか救われると信じていた。……でも」

(――私は、助からなかった)


 ロベリアは、高く澄んだ秋の空を見上げた。


 これは、ロベリア・アヴリーヌとしてではなく、前世での経験だ。ロベリアは前世で、若くして逝去している。十代で病にかかり、数年の闘病を経て命を落とした。世界的にも前例のない奇病で、病院をいくつ回っても診断が付かず、相手にしてもらえなかった。病名はない。だから周りから理解されず、国からの支援をを受けることもできなかった。


 病名が分からないのだから、治療法もない。母は心配で心を病んで、父は看病するために好きだった仕事を辞めてしまった。家族に対して申し訳ない気持ちがいつも胸にあった。


 若くして活動できる身体を失うこと。それがどれだけ悲しいかは、味わった者にしか分からない。惨めで情けなくて、他の全ての人が妬ましかった。同じ年頃の若い芸能人が出ているテレビは見られないし、学校に行ったり就職して普通の人生を生きている友人たちとは縁を切ってしまった。彼女たちがあまりにも、あまりにも……眩しくて。


 ――地獄よりも地獄だと思っていた。肉体的な苦しみを奥歯を噛み締めて耐え忍び、それでもいつか普通の日常を取り戻すことを願っていた。しかし、数年の月日をかけて、ロベリアはあらゆる光を失った末に――死んだのだ。


 過去の記憶がまざまざと蘇り、胸の奥が疼く。


(――私だけが特別な訳じゃない。世の中には気の毒な人が沢山いて、たまたま私もその中の一人になっただけ。けれど、当時のやるせなさも、苦しみも、私の人生にとって必要なものだった)


 ロベリアは、そっとアリーシャに微笑みかけた。


「経験した全ては、血となり身となり必ず生きる力になるわ。人生では何が起こるか分からない。けれど、理不尽を嘆いてうずくまっているより、過去の傷に囚われて悩んでいるより、幸せでいたいじゃない? だから私はただ前を向いて足掻いてる。そうやって頑張っていたから、あなたたちに出会えたのだしね」

「…………」


 アリーシャはしばらく沈黙してから、尋ねた。


「その不幸は……何か深刻なご病気……ですか?」

「……」


 ロベリアは答えずに、ただ静かに微笑んだ。


「生きていれば不幸は避けられないわ。でも私、不幸を経験して良かったとは言えなくても、その経験から得たものは大切にしたいと思ってる。あなたもきっと大丈夫。苦しかったことも、悲しかったことも、少しずつ手放していける。不器用な私にもできたのだから」


 そこまで言い終わると、ロベリアはアリーシャに抱き締められていた。彼女の小さな肩が震えている。ロベリアのために泣いてくれているのだろう。


「頑張ってくださってありがとうと……あなたにそう言わせてください」

「……」


 ロベリアの瞳から涙が零れた。泣くつもりはなかったのに、こうして優しくされるのにはどうしても弱い。


「私……自分だけが辛いと思っていました。いつも優しくて、人を思いやれるロベリア様は、恵まれた中で幸せにお育ちになったのだと……。違いますよね、みんな、色んなものを抱えながら、変わろうと努力してきた……。戦ってきたんですね……」


 嫉妬も、劣等感も、自分を苦しめるだけだ。負の感情ではなく、何をしたら自分が心地よくいられるか。そちらに意識を向けるだけで、ずっと軽やかにいられる。


 ロベリアは、震えるアリーシャの背中を撫でて囁いた。


「あなたはもう、とても強く優しい人よ。辛いことをよく頑張ってきたわ。生きていれば素敵なことが次から次へと沸いてくるものよ。私と一緒に少しずつ進んで行きましょう。大丈夫。あなたは一人ではないわ」

「はい……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る