第22話 小公爵様、デートしましょう(1)

 

 潮の香りが鼻腔をくすぐる。

 ぱっかぱっかと馬の蹄が石畳に音を立てる。


 約束の日、ロベリアはユーリと共に港町アルネスに来ていた。大勢の人が街道を行き交い、活気に満ちている。この国は海に面しており、他国との貿易が盛んだ。国の玄関口といわれるアルネス。泊地には大きな貿易船が停船しており、市場には異国から集められた珍しい品物が揃っている。そしてアルネスは、ローズブレイド公爵家の領土の一つである。


「凄く素敵な街ね。潮の匂いがして、気持ちがいいわ」

「はしゃぐのはいいけど、はぐれないようにね」

「子どもじゃないんだから」


 ロベリアは軽い足取りで石畳の道を歩いた。かつかつと靴音が跳ねる。道の脇は、見渡す限り店が軒を連ねていて、露店から美味しそうな食べ物の匂いが漂ってくる。


 ロベリアの軽やかな動きに合わせて、スカートの裾がひるがえった。今日は動きやすいワンピースを着てきた。クラシックな雰囲気の若草色の生地に、白いフリルを胸元に当てたヨーク切替が上品さを演出している。曲線が身体のラインを美しく魅せており、袖口の白のレースもまた繊細さを際立たせる。


「今日の服、とてもよく似合ってるね。……綺麗だ」

「それはどうも。ユーリ様はなんというか……相変わらずどこに行っても人気者ね」

「はは、知ってる」


 多様な人々の往来の中で、ユーリは一際存在感を放っていた。女性たちはユーリを見ながらひそひそと内緒話をし、すれ違いざまに振り返る人までいる。


(まるで少女漫画の世界ね。……いや、似たようなものだったわ)


 たまに、この世界が小説の中であることを忘れてしまう。ずらりと立ち並ぶ飲食店街で、ユーリに連れられたのは特に上等な高級レストランだった。


 店員にテラス席を案内され、腰を下ろす。ユーリが入店すると、店の奥から見るからに偉い感じの人たちがわんさかやってきて恭しく挨拶した。さすがは、領主ローズブレイド公の子息である。


 運ばれてきたのは、夏によく合う爽やかなフルコースメニュー。港町ということで、海の幸が贅沢に使われている。


 色調豊かなオードブルから始まり、グランデーが効いたソースとレモンの酸味が癖になるサーモンに海老とアボカドの料理に、ひんやりとしたスープ。それから、牛のワイン煮込みは口の中でとろけるほど柔らかかった。


「ふふ、君は本当に美味しそうに食べるんだね」

「ここのお料理、本当に美味しいんだもの……!」

「よかった。気に入ってくれたならまた一緒に来よう。違う季節に来ると、そのときの旬のものが食べられるから」

「ええ、ぜひ」


 デザートに運ばれてきたのは、夏が旬のイチヂクを使った赤ワインのマリアージュタルト。ご機嫌で頬張っているロベリアは、ユーリの次の誘いに、深く考えずに承諾した。


「……あの、ロベリア。アルネスには、母の墓があるんだ。……寄ってもいいかな?」

「…………」


 ロベリアはフォークを動かす手をぴたりと止めた。


 彼の母親が逝去していることは、小説を読んで知っているが、彼自身の口から語られるのは初めてだ。勿論、こちらも知らなかったという体で話を聞く。


「そう……。私も挨拶させていただきたいわ」

「あえて話すことでもないと思って言わなかったんだけど、母は僕が幼い頃に病死したんだ。アルネスは……母の故郷でね」

「お母様はどんな方だったの?」

「とても綺麗で、優しい人だったよ。よく可愛がってもらってた。……君のご両親はどんな人たちなんだい?」

「穏やかで、目立つことを好まない人たちね。でも、領民のことをとても想っていて、信頼も厚いわ。……ふっ。面白い話があるんだけどね、先代が当主だったころ……父が幼かったとき、雨漏りする家に住んでいたの。公爵家の当主ともあろう人がよ?」


 ロベリアは、父から聞いた話を思い出しながら語り始めた。


「そのころ、領地では不作が続いて民たちは生活苦に陥っていた。だから、先代は屋敷の改築をするのは、血税の無駄遣いだと言ってやらせなかったの。家族もみんな、庶民と同じ粗末な食事をして暮らしていたそうよ。……父はそんな先代の影響を受けてか、決して贅沢はしないし、私もそんな父や先代当主――お爺様を尊敬してる」

「へぇ。君のお父上は素晴らしい領主なんだね。君のお人好しは、お父上に似たんだろうな」

「私、お人好しってこともないと思うのだけれど。結構自分勝手に生きているし」

「はは、確かに自由奔放ではあるね。でも、良い話を聞かせてくれてありがとう」


 食事を済ませた二人は、再び商店街を散策した。しばらく歩いていると、小さな女の子がロベリアたちの元へ駆け寄ってきた。


「お兄さんお姉さんっ! おひとついかが?」


 七歳ほどの彼女が掲げた大きな籠の中に、あんずがいっぱいに入っている。


「お使いかな? 小さいのに偉いね」


 ユーリが愛想よく少女に微笑みかけると、少女は照れくさそうにはにかんだ。


「うん! 採れたての美味しい杏、いかがですか?」

「じゃあそれ、全部いただこうかな」

「え……全部!?」


 戸惑う彼女から籠ごと杏を買い取り、定価より余計に代金を渡す。少女はほくほくしながらスキップで帰っていった。帰り際、何度も振り返って手を振る様子はなんともいじらしい。


 続いて、屋台で野菜をたたき売りしている婦人にユーリが呼び止められる。


「あんた本当にいい男だねぇ。うちの旦那の若い頃にそっくり! 新鮮なのが揃ってるから買ってっとくれ! オマケするよ」

「はは、ありがとうございます」


 押しに押されたユーリは、二つの紙袋いっぱいに野菜を買った(買わされた)。

 少女から買い取った杏の籠と、婦人に売りつけられた野菜で両手が塞がったユーリに言う。


「その量……店でも開くおつもり? ほら、籠の方を貸してちょうだい。私が持つわ」

「ありがとう、助かるよ。……母の墓に行く前に、もう一箇所寄ってもいいかな?」

「ええ。構わないわ」


 そうして辿り着いた先は、レンガ造りのこじんまりとした施設だった。敷地にはいくつかの遊具があり、子どもが走り回って遊んでいる。


(……ここは――孤児院?)

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