第25話 湯船に浸かって
アシナ村も昔は日雇い冒険者のための宿が複数あったが、それもダンジョン閉鎖に伴い次々と閉じていった。
村にはガーレットが泊まっていた宿のほかにも、あといくつかは宿があったが、夜には旅商人などによって部屋は埋まってしまうのだった。
フレアの自宅に招かれたガーネットは、雨で冷えたからだを温めるために、風呂へ案内された。
この村には珍しく、木桶の浴槽がある風呂場。他界したフレアの父が趣味で作ったそうだ。
フレアとガーレットは服を抜ぎ、からだを洗い、一緒に浴槽に入る。背の高いガーネットの股の間に、スポンと小さなフレアが収まる形だった。
二人分の体積分、浴槽から水が溢れる。ザバア……。
「………」
「………」
ふたりは口を開かずに湯に浸かっていた。水が流れる音だけが響く。
フレアは、村人たちとの意識の違いに気づきながらも、黙っていたことを。
ガーレットは、この村の問題に対して他人事でいたことを。
それぞれ気にしていたのだ。
しかし、からだが温まると、緊張も次第にほぐれていく。フレアはためらいながらも、雑談を投げかけた。
「……あ、そうだチーズがあります。簡単ですけど夕食お出ししますよ」
「あら、ありがとうございますわ。フレアさんの手料理なんて楽しみですわね」
ガーレットは、軽口めいた言葉で、会話に答える。気まずい雰囲気は苦手だったので、先に口を開いたフレアには感謝していた。
「ふふ、こう見えて家庭的なんですよ。こんがり焼いたグラタンをお出しします」
「大好物ですわ。それにしても、フレアさんが火魔法を使えたとは驚きでしたわ。誰に教わったのです?」
「ああ、小さい頃冒険者のお姉さんから。ミナさんという優しい方でした。家庭に入っても便利だから覚えておいても、損はないよと」
この風呂のお湯を即座に沸かしたのは、フレアの火魔法によるものであった。初級火魔法ヒート(温熱を与える魔法)を使用したのだった。
魔法は、魔石を握りしめて決められた呪文を唱えることで発動する。呪文さえ覚えていれば、誰にでも魔法を使うことができるのだ。魔石は、エネルギーの塊であるため、魔法を使用するたびに小さくなる。フレアは生活のために、握り拳大の魔石を毎月買っていた。
もちろん、この魔石は遠い村のダンジョンで採れたものである。アシナ村産ではない。
生活とは切っては切れない資源であるというのに、フレアは魔石を消費するたびに、かつてのアシナ村に想いを馳せて、胸を痛めるのだった。
「それはいい出逢いがありましたのね。実は私は一切魔法を使えませんのよ」
「え?」
ガーネットの告白に、フレアは目を丸くする。貴族には魔法を使えるものが多いと聞いたことがあったのだ。
貴族たちは、10を超えた頃に、王都の魔法学園に通う家が多い。そこで高度な魔法論を教養として身につけるのが、貴族の嗜みとされていた。
ただし、嗜み云々というのは、表だった建前であり、本質的には、年頃の少年少女が集められた学園は、将来の結婚相手を見つけるための交流の場として、機能していた。
ガーネットはつまらなそうに、自身が魔法学園に通わなかった理由を語る。
「お父様は、無理をしてでも私たち姉妹を学園へ通わせたかったようですけどね。うちは貧乏貴族ですから、学費は重い負担になりますの」
「……っ。そ、そうだったんですか」
「まあ、元々魔法学問に対する興味……いえ、殿方との交流が面倒くさかったのもありますけど」
ガーネットは、自虐的に笑った。
「…………」
フレアは、これまで自分の領地の貴族について、あまり知らなかった。民のことを考えてくれる領主様だよ、と村役場の老人たちに教えられたことはあるが、雲の上の存在であり、まさか財政的に裕福でないとは考えもしなかったのだ。
「学園に通わなかったぶん暇な時間がありまして、ガーデニング趣味に没頭しましたわ。おかげで我ながら見事な庭園に仕上がりましたわ。次にゴルドーのほうへ行く機会がありましたら、招待しますわよ」
ガーネットは、フレアの両肩に手を置いて、自分の方に引き寄せた。
背中に柔らかい胸の感触。フレアは一瞬ビクッと震えながらも、その心地よい背もたれに、からだを預けて目を瞑った。
「……はい」
「さあ、のぼせないうちに出ましょうか。グラタン、楽しみにしてますわよ」
裸の付き合いは、心の距離を近づけるという巷の説は、あながち間違いでもないのかもしれないとガーレットは思うのだった。
さて、夕食のグラタンであったが、フレアは火加減を間違えて多少焦がしてしまったものの、それが香ばしさへ繋がり、いつもより美味な出来栄えになった。
災い転じて福となす。フレアは、スプーンでそれを頬張りながら、課題に見えるような環境も逆に利用してやりましょう、と前向きに失敗を誤魔化していた。
ガーネットは、ええそうですわね。と愛しい者に対するような柔和な笑みで返すのだった。
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