現実世界でも異世界でも誰かに殺されて困ってます

はち

プロローグ 

 「疲れた……」


 10分の間に、この言葉を何回つぶやいたのだろう。

 

 会社の10階、非常口の外にある喫煙所で7本目の煙草に火をつけながら、伏見ふしみ 洋士ようじは、死んだ魚の目をしていた。


 時刻は22時30分。


 今日は終電に乗れるだろうか――


 ていうか帰ることができるか?


 「はあ……戻って仕事をするか」


 7本目の煙草を消して、後ろを振り返ったとき、非常口の扉が勢いよく開き、小柄な女性が飛び込んできた。


 気の小さい洋士は、驚いて、手すりの方まで後ずさりした。

 

 背中にひんやりと、手すりからの冷たさが伝わる。

 

 その女性がコンビニの袋からチューハイを取り出し、プルタブを開けようとしたところで、ようやく洋士に気がついた。

 

 洋士も月明かりで、それが知り合いだと分かった。


 「あれ、洋士、いたの?」

 

 「いたの、じゃねーよ、千種ちくさ。もう少しで手すりから下へ紐なしバンジーするところだったじゃねーか」

 

 「ちっ」

 

 「あれ、舌打ちした? 舌打ちしたよね?」


 泣きそうな顔をしている洋士を横目に、千種はチューハイをがぶがぶ飲み始めた。

 

 女性の名は横井よこい 千種ちくさ。洋士の同期で、鋼鉄の肝臓を持った酒豪だ。

 

 スタイル抜群、目が大きくパッチリ二重、さらさらな肩までの黒髪、小悪魔的な表情でよく笑うなど、容姿については非の打ち所がなく、男性社員にとってのアイドル的存在だ。

 

 しかし、洋士に対してだけは、なぜか口調が汚くなり、気に入らないことについては、止まることなく悪態をつく。

 

 洋士は、なぜ千種が自分に対してだけ態度を豹変させるのか不思議に思っていたが、何となく嬉しく思っていた。


 「あんた、仕事はどうしたのよ? クビにでもなった?」

 

 「休憩だよ、煙草吸いにきた。そっちこそ、仕事は? 何酒飲んでんだよ」

 

 「私も休憩よ。これくらい、わたしにとっては栄養ドリンクよ。細かいことにいちいちうるさいわね、だから私以外の女性から話しかけられないのよ」

 

 頭にきたが、言い返せない。

 

 洋士は、早々に話すのをやめた。

 

 口げんかしても勝てないに決まっているからだ。


 「ねえ、洋士、あんた今何の研究をしているんだっけ?」

 

 「大腸がんを治療する新薬だよ」


 洋士と千種は、二人ともスノウホワイト製薬会社に勤務している。

 

 洋士は研究開発担当、千種は営業担当だ。

 

 「進んでいるの?」

 

 「そんな簡単にはいかないよ。風邪を治すのとはわけが違うんだからな。うちの社長は、どうやら俺にノーベル賞を取らせたいらしい」

 

 「あんた、肺がんの薬を開発した方がいいんじゃない? それだけ吸ってたら、肺がんまっしぐらよ」

 

 「猫まっしぐらみたいに言うなよ。これでも本数は減ってきているんだ」


 最近、1日3箱から2箱に煙草を減らした自分を、なんてストイックなんだと、洋士は自画自賛している。


 


 「ねえ、洋士、あのさ」

 早くも2本目の缶チューハイを飲みながら、千種が洋士に聞く。


 「うん? 何だ?」

 

 「わたしたち、もう26じゃん」

 

 「うん、そうだな」

 

 「いつまでこんな生活が続くんだろうね? 毎日夜遅くまで……」

 

 「う~ん、どうだろうな。うちの会社、名前はホワイトだけど中身は真っ黒だからな……」


 千種は階段に座り込んで、遠くの高速道路を見つめている。

 

 洋士は、何を言えばいいのか、必死で考えていた。


 

 「よし!」

 

 不意に千種が気合いを入れて立ち上がり、残っていたチューハイをがぶがぶと飲み干した。


 「余計なことを考えててもしょうがない! 今日はもう帰るね!」

 

 「お、おう、そうか。駅まで送るぞ」

 

 「大丈夫よ、歩いて5分だし。あんたも、ほどほどにして帰りなさいよ」

 

 「へいへい。それじゃ、気を――」


 バタン!


 最後の返事を聞かずに、千種は非常口の扉から、ビルの中に戻っていった。


 「さて、俺はもう少しだけがんばるか……」

 

 洋士はつぶやきながら、手すりの近くに置いてある灰皿で、煙草をもみ消そうとした。


 

 ドン!!


 洋士は不意に背中を押された。

 

 手すりにかろうじてしがみついた洋士は、驚きと恐怖と怒気の混ざった声で叫んだ。


 「うわっ! 何してんだ、誰――」


 ドン!!


 言い終わらないうちに、今度は両肩を強く押された。


 洋士は背面跳びのような格好で、手すりを乗り越え、地上30メートルの高さから落下しようとしていた。


 落下する直前、相手の分かった。

 

 月が雲に隠れていたので、相手の顔や服装はわからないが、これだけは言える。

 

 俺を押したのは、人間だ。しかも、口元が笑っていた。


 「誰――」


 声にならない叫びと共に、洋士は地上30メートルから地面へ垂直に落下していった。


「俺は殺されるのか? 誰が? 何のために?本当――」


 グシャッ!!


 体中に電流が走るような感覚を、洋士は初めて体感した。

 

 同時に自分の頭蓋骨が割れる感覚がした。


 へえ、即死でも死ぬ瞬間は感覚があるんだな。


 そう思った刹那、洋士の意識は暗闇に溶け込んだ。



―――――――――――――――――――――――


2023年3月8日


新しい小説の連載を開始しました。

何も深く考えずに、頭を空っぽにして読んでみてください。


「俺は宇宙刑事ギルダー! 公務員さ!」


https://kakuyomu.jp/works/16817330654159418326



 


 


 




 


 

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