婚約破棄は革命への序曲でした

干野ワニ

婚約破棄は革命への序曲でした

「クラリス、そなたとの婚約は、本日をもって破棄とする」


 王宮にある一室で向かい合いながら、ビルフォード殿下はそう言って冷たい目をこちらに向けました。ソファに座る彼の横では、私もよく見知った女性がぴったりと寄り添い、こちらへ意味ありげな視線を送っています。


「そなたは私の子を身ごもったベリンダに嫉妬し、危険を伴う嫌がらせを行っていたそうだな。そのような未だ我が儘が抜けきらぬ子供のような女など、責任ある未来の国母にはふさわしくないだろう」


「ベリンダ様へは王太子殿下の公妾として、もう少しだけ人目のある場所での品位をお守りくださるよう、口頭でお願いしただけでございます。危険を伴うものでも、嫌がらせでもございません。そもそもこの婚約を破棄するなど……国王陛下は御存じなのですか?」


 私が思わず声を上げると、ベリンダ様はわざとらしくびくりと肩を跳ね上げて、ビルフォード殿下の腕にすがりつきました。彼女のこういった人目をはばからぬところを、私は一度注意申し上げただけなのです。嫌がらせを行ったなどと事実無根のことで、王族の婚約破棄がまかり通るものでしょうか。しかしビルフォード殿下は、得意然として言いました。


「父上の了承は得ている」


「そんな、では我が父ボールドウィン公爵は、何と……!」


「そなたの父には、戦地よりしたら伝える予定だ」


 殿下はそう言って、ニヤリと口の片端を上げました。その一瞬で、私は全てを悟ってしまったのです。


 いくら正妃のほかに公的な妾を持てるとはいえ、その子どもの王位継承順位は低いものです。かくいうビルフォード殿下ご自身も、王太子でありながら生まれた順番は二番目――いくら第一王子であるロードリック殿下が聡明と名高いお方でも、庶子である以上、ビルフォード殿下の王位継承は揺るがないのです。


 それを身をもってご存じであるこの方は、寵愛するベリンダ様が身ごもられたことで、彼女の子を庶子ではなく嫡子としたくなった、というところでしょうか。


 とはいえ筆頭公爵家の娘との婚約をいいがかりで破棄し、後ろ盾の弱いベリンダ様を正妃に立てることなど、平時であればありえない話です。しかし父の派閥が近ごろ力をつけ過ぎていることを、確か国王陛下は疎ましく思っておられたはず。正式な婚姻を私の年齢が足りぬを理由に長らく先延ばしにし、挙句に父を戦場に送っている間に……私を排除してしまおうという計画でしょうか。


 近年、魔道具の需要が急増した影響で、その動力源となる魔籠石まろうせきは価格の高騰が続いています。そこで魔籠石が豊富に産出する砂漠の国を植民地とし、供給量を安定させることで価格を引き下げ、地に落ちた王家への支持率を回復させようとしているのだろう――そう父は申していましたが、将軍職を拝する父を王宮から遠ざけるという二重の意味があったのでしょう。


 勝てば地下資源の莫大な利権を得られ、もし負けても全ての責任を父のものとしてその地位から追い落とすことができる――どのみち、王家にとって都合の良い話だったのかもしれません。




 留守中に婚約を破棄されてしまったなど、父に知れたら一体どんなお叱りを受けるのか……しかし報告を先延ばしにしていては、さらに状況は悪くなってしまいます。


 私は重い足取りで王都にある自邸へと戻ると、使用人に今日は父へ報告があることを伝えてから……こっそりと、邸の敷地内にある離れへ向かいました。木製の扉の前に立ち、呼び鈴を鳴らします。


 しばらくしてカチャリと錠の外れる音がすると、ひとりでに扉が開かれました。自動扉はこの離れの主が発明した魔道具で、世界中を探してもここにしかない仕掛けでしょう。扉が開いたということは、中へ入っても構わないという合図なのです。


 扉の向こうにあった短い廊下を進み、その奥にあった部屋の入り口をくぐります。するとそこには、銀に近いプラチナブロンドを肩近くまで伸ばした青年の姿がありました。


「エメット、今日もお疲れさま」


「ああ、クラリスもお疲れさま……って、どうしたの? 元気ないみたいだけど」


「……びっくりした。貴方は何でもお見通しなのね」


「残念ながら、君がここに来るときは、だいたい落ち込んだときだと相場が決まっているからねぇ」


 彼はそう言って笑うと、ひとりでに湯の沸くケトルを手に持って、ポットに熱湯を注ぎ入れました。貴族の身分にありながら人嫌いで最低限の使用人しか雇っていない彼ですが、これらの道具があれば不便さもあまり感じることはないのかも知れません。


 もっとも他の貴族たちに言わせると、そんなことは使用人にやらせればいいだけのことらしく。わざわざ貴重な魔籠石を消費するなんて勿体ないと、彼の作る魔道具の多くは正当な評価を得られていないのですが。


 このところ魔道具を用いた技術革新が進む中で、当家の権勢を支える画期的な武具の数々は……実はこの彼こそが、その生みの親なのです。しかし騎士の名誉を重んじる家系に生まれたにもかかわらず自らの武芸には興味を持たない彼は、公爵家に飼われた軟弱者のそしりを受けつつも、淡々とここで研究を続けているのでした。


 私はこの離れに一度迷い込んでしまって以来、自分の立場に息苦しさを感じるたびに、こうしてこっそりと彼に会いに来ていたのです。彼は口数が多い方ではありませんが、ただ無心に私も彼の作った設計図通りに魔力の回路をつないでみていると、現実を忘れていられるようでした。彼の考え出す回路は魔力効率が良いだけでなく、どれもとても美しいのです。


 私は彼から温かいお茶のカップを受け取りながら、眉尻を下げて言いました。


「やっぱり、ここでの貴方の評価は絶対におかしいわ。こんなところにいなくても、今の実績があればいくらでも条件の良い仕官先があるでしょう? こんな風に手柄を横取りされずに、もっと貴方自身の名で表舞台に出られるはずだわ」


「だけど予算や資材は潤沢だし、評価は君がしてくれているだろう? それに今一番やりたいことができるから、僕は当面このままで構わないよ。ここを出て行くときは、それができなくなったときかなぁ」


 彼は銀糸で縁取られたアイスブルーの瞳で私をじっと見詰めながら、にっこりと笑いました。彼はいつもどこか飄々としていて、何を考えているのかよく分からないところがあるのです。


 まだおおやけにはされていませんが、当家では彼が発明した遠距離通信用の魔道具が試験運用されています。戦地において味方同士の情報伝達の速度は、戦術を支えるとても重要な要素なのです。


 これまでの常識を覆すその技術を示せば、彼はどこでも引く手数多であるはずなのですが……なぜ、こんなにも無欲なのでしょう。最初に彼の才能を見出した父に恩義を感じているにせよ、もう充分以上に返し終えているはずなのですが。




 彼との穏やかなひとときは瞬く間に終わり、私は泣く泣く母屋おもやへと戻りました。そこで待っていたのは、王都での留守居役を務める父の家臣の一人です。彼は私と共に通信用の魔道具の前に立つと、石座シャトンに動力となる黒い魔籠石を嵌め込みました。


 間もなく音声通信が始まり、日々の報告を行う家臣に応えるように、父の声が部屋中に響きます。やがて報告を終えると、家臣はひとつ咳払いをして言いました。


「それと本日は、お嬢様より閣下にご報告なさりたいことがあると」


『クラリスが? ワシは忙しい。手短に申せ』


 私が意を決して婚約破棄を告げられるに至った顛末を報告すると……一瞬の静寂の後に、大きな怒号が響き渡りました。


『クラリス、お前がちゃんと殿下のお心をつかんでさえいればっ……この役立たずめ! ならば内密に帰国していると噂のロードリック殿下の方へはどうだ、まだ接触できんのか!?』


 怒り心頭の父に話を振られ、家臣は首をすくめて答えます。


「それは、まだなのですが……ただロードリック殿下は、どうやら妻と呼ぶ砂漠の民らしき女性を伴っておられるらしく」


『なんだとっ!? どいつもこいつも、下賤の女にばかり惑わされおって! そんな女共に負けたお前もお前だ、クラリスッ!』


 かつて資源の分布調査を名目に国を出た第一王子ロードリック殿下は、その実、ビルフォードとの継承争いに担ぎ出されそうな空気を嫌い出奔しゅっぽんなさっていたはずです。今さら政略結婚などをして、野心あふれる父の手駒になってくれるつもりはないでしょう。


『ええい、もういいッ! お前のような役立たずの娘など要らぬから、どこへなりと行くがいい! これはこの好機にワシ自身が王になれという、天のおぼしなのだ!!』


 そのまま高笑いを始めた父との通信を終えると。私は部屋を出て、とぼとぼと歩き始めました。


 自然と足が向いたのは、例の離れの方角です。


「お父様に、もういらないから出て行けと言われてしまったの……これからどうすればいいのかしら」


 本日二度目の来訪に珍しく驚いた様子を見せるエメットに、私は思わず弱音を漏らしました。頭の良い彼ならば、何か良い案をくれるかもしれないと思ったから……もありますが、実のところ、私には他にこんな話を聞いてもらえそうな友人はいないのです。


 いかにも貴族らしい貴族である父とは個人的な会話などほとんど交わしたことはなかったけれど、それでも、母を亡くしてからは私にとって唯一の親でした。その父に捨てられてしまったら、私は一体どうすればいいのでしょう。


「ならばお望み通り、ここを出て行ってやろうよ。君は自由になったんだから」


「自由になっても、行くあてなんて……ずっと王太子妃となるための教育しかされていなかった私に、何かできることがあるかしら……」


 これまで父の言いなりでしか生きてこなかった私にとって、自由とはなんて恐ろしい響きなのでしょうか。


「どちらにせよ、このままここに居ると危険なんだ。この公爵邸、いや王都は、間もなく戦火に包まれるだろう。ボールドウィン公爵は敵国である砂漠の皇帝の甘言かんげんに巧みに乗せられて……全軍の指揮系統を掌握している今が好機と、大逆たいぎゃくを企てている。王家をたおし、貴族たちによる合議制の新政府を作るつもりだ」


「な……なんですって!? なぜそんなことを、知って……」


「通信の記録ログは全て僕のところに残るようになっているから、気になる単語が引っかかったら警告アラートを出すようにしているんだよ。これからの戦争は、武力より情報が物を言う時代だからね」


「では……急ぎ殿下へ、父の造反を報告しなければ!」


 思わず声を上げると、エメットはニコニコしながら言いました。


「その必要はないでしょ。君は、あの殿下ビルフォードや王家に未練があるの?」


「……ない」


 私がぽつりと言うと、彼は笑顔を浮かべたままで、どこか楽しげに言いました。


「ならさ、僕と一緒に行こうよ! 実は砂漠の国からのお誘いは、君の父上だけじゃなくて僕の方へも来ていてね。通信の魔道具を作った技師として引き抜きを打診されてるんだけど、こちらの高位貴族と同等以上の待遇で迎えられる予定なんだ」


「それは、行きたいのはやまやまだけど……」


 私が尻込みしていると、今度は一転、彼は真剣な顔をして言いました。


「間もなく、ボールドウィン公爵は軍を反転させる。すると砂漠では戦争が終わり、新しい戦場はこの国になる。そのどさくさに紛れて脱出しよう。国境の街まで行けば、皇帝からの迎えが来る手筈になっている。それに君だって何もできないわけじゃない、伊達にここで何度も回路をいじっていたわけじゃないだろう? 新しい土地で、一緒に魔道具技師でもやろうよ」


「でも国を脱出するなんて、私の体力ではきっと足手まといになるわ。それに呼ばれているのは貴方なのに、私まで受け入れてもらえるかしら?」


「連れて来たい家族などいれば、同等の待遇を保証すると言われているんだ。だからこれからは、僕の家族になればいい」


「家族……ずいぶんと、似ていない兄妹ね」


 彼の持つ『まるで女のようだ』と粗野な騎士達からは揶揄されがちな顔立ちは、私がこれまで会った誰よりも怜悧で美しいものです。強めの化粧を取ればぼんやりとした顔立ちの私となんて、とても血のつながりがあるようには見えないでしょう。しかしそれを聞いた彼は、呆れた顔をして言いました。


「いや、フツーそこは夫婦だって分かるでしょ!?」


「ちらっとは考えたけど……今は、期待して違っていたら立ち直れそうにないもの」


「そ、それもそうか」


 私が少しだけ悲しそうに笑って言うと、彼は観念したような顔をして言いました。


「これまで何不自由なく暮らしてきた君だから、きっと不安も多いと思う。だけど絶対に幸せにするから、僕の妻として一緒に来てくれないか? その……」


 彼はそこで言葉を切ると、自らの頭をガシガシと乱雑に掻き始めます。


「ああこのっ……」


 そして一瞬思いつめたような顔を見せると、不意に私を抱きしめました。


「本当はっ、ここを出て行かなかったのは、ここに居れば君に会えたからなんだ! ――その、好きなんだ。絶対に不自由な思いはさせないから、僕と一緒に行こう! いや、ここはもう危険だ。たとえ嫌だって言っても、絶対に連れて行くからな!」


「ありがとう……私も、あなたのことが……」


 感極まってしまうとは、こういうことでしょうか。伝えたいことはたくさんあったのに、言葉に詰まってしまった私は……その代わり、精一杯彼を抱きしめ返すことしかできませんでした。




 ――それから私たちは急いで旅の準備をすすめ、通信を傍受ぼうじゅし、軍が反転したタイミングを見計らって王都を後にしました。


 国内が戦場となって間もなく。国王や王太子、そして王家にくみする者たちは次々と処刑されてゆきました。そして絶対君主制が廃止され、貴族達による合議制をうたって始められた新制度でしたが――やがてボールドウィン公爵が私物化し独裁状態になっていると、新制度下で冷遇されている貴族達から不満が噴出し始めました。


 さらに民衆も前の王政時代の方がまだマシな暮らしができたと口々に言い始め、独裁者を揶揄する風刺画などもちまたに出回り始めているようです。そして公爵ご自慢の魔道具も、今では改修できる者がおらず、その権勢に陰りが見え始めているようでした。


 ボールドウィン公爵の天下も、間もなく終わりを告げることでしょう。後継として期待していた息子を戦場で失った公爵は、慌てて消えた娘の行方を探し始めたようですが……もう、貴方の娘はどこにもいないのです。



  ◇ ◇ ◇



 ――新しい生活を始めてから、早数年。砂漠にある巨大なオアシスに築かれた都市での暮らしは話に聞いていた以上に丁重なもので、以前の精神的に不自由な暮らしより何倍も快適なものでした。ただひとつ未だに慣れていないのは、一年中続くこの真夏のような暑さでしょうか。


 日傘を差した侍女と共に私が外から戻ると、満面の笑みの夫が出迎えました。


「クラリス、ちょっとこっちへ来てよ!」


 後をついて室内に入った瞬間、私は驚きました。


「……涼しい!」


 このひんやりとした空気が流れ出ているのは、部屋の隅に置かれた魔道具からでしょうか。私は思わず駆け寄ると、純度が高く透き通った魔籠石の奥で、淡く輝く美しい魔力回路を見つめました。


「こんなもの、いつの間に作っていたの!?」


「絶対に不自由な思いはさせないって、あのとき言ったでしょ? なんて、僕自身も暑いの苦手なんだけどねぇ」


 エメットはあっけらかんと笑ったけれど、きっとこつこつと冷却の仕組みを試行錯誤してくれていたのでしょう。私は嬉しくて、思わずかたわらに立つ彼を抱きしめました。


 お礼を言いながら、私はさっそく今回のお返しはどうしようかと考えをめぐらせ始めました。今はそれすらも、楽しくてたまらない日々なのです。







 終


――――――――――――――――――――

こちらは長編「千夜一夜ナゾガタリ~義妹の身代りで暴君に献上されたまま忘れられた妃は、後宮快適ニート生活を守るため謎を解く~」のスピンオフです。

クラリスたちは出て来ませんが、ここで作ったクーラーが出てきます。

よろしければ長編も読んでみてください。

https://kakuyomu.jp/works/16817139554695758114

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