6 目覚め
顔にジリジリとした熱を感じ、僕はゆっくりと目を開いた。強烈な光が瞼の隙間から目を焼き、反射的に顔を背ける。日がのぼり、朝日が頬にさしていたようだ。
ゆっくりとからだをおこすと、汗でシャツが肌にはりついていた。運転席に先生の姿はなかった。フロントガラス越しに車の外を見渡したが、それらしい背格好の人は歩いていない。トラックの運転手らしき男性や家族連れ、大学生っぽいグループが往来している。
どうやら車は高速道路のサービスエリアの駐車場に停まっているようだ。車のエアコンはついたままになっているが、あまり意味をなしていなかった。朝が早いのか太陽の光は白んでいて、人通りもまばらだ。目の前にある建物には、知らない土地の名前が大きく掲げられている。助手席側のドアに手をかけると、ゆっくりと開いた。山奥の涼しい空気が車中に滑りこんできて、息苦しさがすこし落ち着いた。
運転席との間にあるドリンクホルダーには、ペットボトルの水とスポーツドリンクが置かれていた。先生が置いてくれていたのだろうか。僕は迷わず水を手に取った。スポーツドリンクを飲むと部活を思い出して泥水のような味がするので、いまではまったく口にしなくなっていたからだ。
ククッ、とプラスチックのキャップがねじれ開く感覚があり、すっかり温くなっている水を一気に飲み下していく。乾いた砂場のような喉に水が染み渡った。ペットボトルの半分ほど飲んだところで、ふと思い出した。小瓶を掲げる、昨夜の先生の無表情。
そうだった、先生は僕を殺すために、薬を持っているのだ。そう考えるとすこし肝が冷えたが、不思議と「先生はそんなことをしない」という確信もあった。まだ何も成し遂げていないのだから、先生が僕のことを無駄に殺すことはない。太陽の光が透けてキラキラと光る水を、僕はもういちど勢いよく飲んだ。からだが水をどんどん蓄えていく気がした。
ようやく眠気が薄れ頭が冴えてきた頃、コンコン、と運転席側のドアがノックされる音が車内に響く。窓の外には、骨ばった肩からさらさらと流れる長い黒髪が見えた。ドアがバクン、と音をたてて開く。
「おはようございます。すみません、天来くんがよく眠っていたので、先にシャワーを浴びてきました」
蒸した夏の空気とともに、石鹸のいい香りが漂ってきた。先生は眼鏡をかけておらず、肩甲骨あたりまで伸びる髪もおろしている。見たことのない先生の姿に、僕は挨拶を返すのも忘れ、「眼鏡は……」とつぶやいていた。彼女は「ああ、」と気づいたように自身のこめかみあたりに触れる。
「学校にいるときだけ眼鏡をかけているんですよ。普段はコンタクトなんです」
先生は運転席の後ろのドアを開け、上半身だけ車内に乗りこむようにして自分のカバンに荷物をしまっていた。バックミラー越しに見ていたが、丈の短い白いTシャツの袖から先生の二の腕があらわになっている。
眼鏡、髪、服。それらの違いだけなのに、そこにたたずんでいる人はまるで知らない女性だった。昨日の夜、僕が寝落ちてしまうまでは「先生」だったのに。いつもは白衣で隠されている先生のからだの線があらわになっている。思っていたよりも華奢で、細く、すこしでも触れてしまえばポキンと乾いた音をたてて割れてしまいそうだ。僕はなにか見てはいけないものを見た気がしてあわてて視線をそらした。
僕は手持ちぶさたになり、しかたなくスマートフォンの画面をタップした。朝の八時を過ぎている。通知はメッセージアプリからの定期ニュースだけだった。誰からの連絡もない。母親へのメッセージを確認すると、「既読」の文字だけがついている。助手席のシートに背中を預けて目を閉じると、ずっと同じ姿勢で眠っていたせいで固まっていた膝がすこし痛んだ。
「このサービスエリアは、入浴施設があるんですよ。どうぞ、天来くんも入ってきてください。あがったら、遅めの朝食にしましょう」
「フードコートでお待ちしてます」と建物の奥を指さしてから、先生は僕に一万円札を裸のままさしだしてきた。驚いている僕をよそに、「お風呂とかタオルとか飲み物とか、好きに使ってください」と言う。いくら先生にいきなり連れてこられたから金がないとはいえ、教え子である僕に一万円札をポンと渡す先生はやっぱりちょっとヘンだと思った。
サービスエリアに隣接しているスーパー銭湯は、僕の他にはトラック運転手っぽいおじさん達が何人か入っていただけだった。脱衣所で汗まみれの制服を脱ぎ、膝に巻いたテーピングを剥がす。汗で浮いてしまっていたのか、テープ跡だけ残してずいぶんずれてしまっていた。右膝を縦断するようについた傷があらわになる。
湯船にはつからず、シャワーだけを浴びて寝汗を流す。すこし冷たいと感じるくらいの水を浴びると、火照ったからだが澄んでいくような気がした。スーパー銭湯に来る前にあらかじめサービスエリアのコンビニに寄って買っておいたシャツとボクサーパンツに着替え、制服のスラックスを履いてフードコートに向かった。なんとも不格好だが、いたしかたない。
先生の姿を探すと、彼女はスマートフォンを見ながら紙コップに入ったコーヒーを飲んでいた。ますます知らない女の人のようで、僕はなんと声をかけてよいのかわからなかった。僕の姿に気づいた先生はスマートフォンをテーブルの上に伏せ、こちらに視線を向ける。
「朝食を食べましょうか。天来くんの好きなものを買ってきてください。ベーグルをひとつ、いっしょにお願いできますか」
先生はフードコートにならんでいるパン屋を指さした。別の店にならぶのが面倒くさいので、僕も同じ店で朝食を買うことにする。先生のチョコベーグルと、僕のカフェオレと、サンドイッチとカレーパンとチョココロネを買ってから、先生の向かいの席に腰かけた。彼女は「ありがとうございます」と、紙に包まれたベーグルを受け取った。先生の腕は思ったよりも細い。
僕も「いただきます」と言ってから、順番にパンを食べていく。サンドイッチのレタスとトマトはしんなりとしていたが、風呂あがりで腹が減っている僕にとってはみずみずしく、するすると喉を通る。そういえば昨日の夜、サービスエリアで具の少ない醤油ラーメンを食べてから何も食べていなかった。思い出した途端に腹が空きはじめ、それに応えるように次々とパンを口に放りこんだ。ふと見上げると、あんぐりと口をあけた先生と視線がかちあった。
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