第四話〈英心の想い〉
「英心!」
「英心殿!」
英心は誰かの呼び声に意識を浮上させた。
開いた視界に飛び込んできたのは、見知った男二人の顔であった。
「……清太呂、晴明殿」
「よかった!」
「英心殿、どこか苦しいところはないか」
訊ねる晴明の表情は雲っており、清太呂も神妙な面持ちでこちらを見据えている。
英心は晴明に支えられながら起き上がると、ここは己の部屋だと認識するのに時間がかかった。
座り込んだまま、ぼんやりする頭を振って、記憶を辿ると、泰正の姿が脳裏に浮かぶ。
――泰正が、白い着物を……?
理由がわからず、晴明に疑問をぶつけたら、奇妙な話をされた。
「私の意識が抜け出たとは?」
「うん……瞳を閉じて」
「……っ」
素直に応じると、晴明が九字を切る声が聞こえた。
空気の震えを感じて、背筋がぞわりとわななく。
何か、内側がうねるような、魂がかき乱された感覚に陥る。
「――っ私は、お前だ」
――な、何だいまのは!?
己の口から飛び出した言葉に驚愕して、目を見開いて口元を手で押さえた。
晴明は深く頷いて答えをくれる。
「英心殿は、永響と一体化したのだ」
永響……と聞いて、あの時に消えた姿を確かに見たために、ひどく胸がざわついた。
英心は胸元を押さえてゆっくりと立ち上がる。
――頭が、痛い……!
本当に一体化したならば、何故、気づけなかった。
私は、陰陽師であるし、何よりも、泰正とあんなに共に過ごしていたのに。
急に辺が薄暗くなる。
気づけば、誰かと向かいあって月明かりの元に立っていた。
だんだんと月明かりで鮮明となる相手の姿は、永響であった。
「な、なぜ、お前が私の中に!?」
「簡単な話だ。私は、想いの具現化。誰にでもなれる」
不可思議な事を告げて、一歩、前に進み出た。
さらに近づいた彼の体は透けており、いまにも消えそうだった。
永響は一度消えたのだから、幻覚を見せているのかもしれない。
英心は語気を強めて問うた。
「私と一体化した目的はやはり泰正なのか!? 泰正にはこれ以上触れさせぬ!!」
その問いかけに、永響はゆっくりと顔を振る。
ならば、何が目的なのか。
無言で白い顔を見据えていると、永響は淡々と語った。
「泰正を守りたい」
「……っ」
切実な言葉に、英心は口を閉じてしまう。
永響は話続ける。
「私はお前に取り込まれるだろう。それで良い。私の力を得たお前なら、安倍晴明を頼ることもなく、泰正を守れる」
そっと身を寄せて背中に腕を回してきた。
脳内に声が響いた。
“私は、お前を想い続けた泰正がいたからこそ、産まれる事ができた”
“泰正の幸せを、この目で見れただけで……私は……”
「永響!」
腕を翳した瞬間、世界は元に戻り、この手は誰も掴むことはなかった。
晴明と清太呂が心配する声が、遠くで響くように聞こえた。
ため息をついて、ささやく。
「お前が、泰正に口づけをした事は、赦さぬからな……」
「おい! 英心! 大丈夫か?」
「……ああ。清太呂、晴明殿、すまなかった」
深々と頭をたれて、先程見た光景……泰正や、永響の件を二人に伝えた。
三人、部屋の中心で立ったまま、これからどう動くべきか話し合う。
晴明いわく、泰正も英心もこのままでは危ない。
策をこうじて、貴族が容易には手出しできない状態にせねばという。
つい話し込み、英心は慌てて声を上げた。
「泰正を迎えに行かなければ!!」
「居場所ははっきりとわかるかな?」
「ああ! 晴明殿、申し訳ないが、失礼する!」
「ああ。私も、道満を懲らしめなければ……また後ほど我らの屋敷で」
「ちょ、ちょっと待て! 英心!」
清太呂の困惑した声をきかぬふりをして、英心は、脳裏に白い薄衣をまとう泰正を浮かべて駆けていく。
――あ、あんな姿で、出歩くなんて駄目だ!!
記憶をたどり道をゆくと、こそこそと壁伝いに歩いていた怪しい人影を見つけた。
白い着物を雑にまとう彼は、まごうことなき泰正である。
「泰正!」
声をかけて傍に走り寄ると、泰正は挙動不審な所作で震え出す。
どうやら、直接こちらを見れぬらしい。
瞳を泳がせながら返事をした。
「な、なぜここに……」
「帰ったら話そう。さあ」
「あ……!」
身体を抱き寄せて、なるべくすれ違う人間の目が気にならないよう、注意して帰路を急いだ。
屋敷にもどり、部屋の卓に置かれた文に目を通して苦笑がこぼれる。
向かいにたたずみ、着替えた泰正は、長い髪をゆるく縛りながら口を開く。
「すまない、勝手なことをした」
「千景が危ないというのは……嘘か」
泰正は頷いて、式神に千景が住んでいる筈の、泰正の屋敷に様子を見に行かせた所、変わりなかったと報告を受けたという。
泰正が見た千景は、幻覚だったのだ。
「道満め……! あやつは、一度晴明殿にこっぴどく叱られるべきだ!」
「……そうか、道満ならば、すでに晴明殿が動いたぞ」
「そうなのか? なら、まさか奴らに?」
「おそらくな」
晴明が奴らを相手にするというのならば、ひとまず、今は様子を伺おうと考えた。
それよりも、泰正には伝えなければならない事があるのだ。
英心は泰正の両肩に手を置いて、晴明と話しあった結果、この先についてどう動くべきかの策を話す。
策の内容を聞いた泰正は、なんども首を傾げては、眉をひそめた。
その顔を見ていたら、笑い出したい衝動をおさえるのに苦労した。
だが、陰陽師であれば、泰正も貴族の臆病さをよく知っているはず。
やがて頷くと苦笑する。
「私に手を出せば、祟られるという噂話を流すとは……茶番にならぬか?」
「師匠と晴明殿に、官人陰陽師達に事情を話してもらって、わざと貴族に話が流れるように仕向ける。さらに、お前に協力的になれば、鬼神が襲ってくることはないと流布してもらえば」
「なんだか、迷惑をかけて申し訳ないな」
「何をいう!? 帝が、お前や町の人々に何をしたのかを忘れたか? 己の欲望の為に利用を……」
「英心!」
泰正に唇を手指で押さえられて、息を呑んだ。
いささか感情に呑まれ過ぎたか……。
反省して、泰正を抱きしめて囁く。
「手筈がととのうまで、頼むから大人しくしていてくれ」
「……英心、その」
「どうした?」
「いや……わかった」
「うん」
何か言いかけて口を閉ざす泰正が気になるが、今は、これ以上何もいうまいと、唇をそっと重ねる。
泰正の唇はいつもとおなじように、ほどよく柔らかくて、温かい。
彼の身体が震えていたので、背中をさすると穏やかな呼吸に戻り、英心の胸中は愛しさであふれた。
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