第四話〈英心の元へ〉

 いよいよ英心の元に行く覚悟を決めた泰正は、千景にしばしの別れを告げて、手荷物を抱えて紫倉宮の屋敷にたどり着いたが、門の前で足をすくませる。


 前に来たときも大きな屋敷だと感じていたが、今日は一段と大きく見えてしまう。


 唸りながら立っていると、門が開かれたので間抜けな声を上げてしまった。

 顔を出したのは、式神の結縁である。

 泰正を見て、微笑を浮かべて呼びかけてきた。


「泰正様、お入り下さい」

「結縁……しかし……」

「ここまで来て、怖気づいているのですか? 泰正様らしくないですよ?」

「う、うむ!」

「さあ」


 促されるままに、泰正は結縁の後に続き、ついに屋敷へと足を踏み入れた。

 英心の屋敷に来るときはいつも緊張していたが、今回はひときわ緊張が強い。


 ――な、何せ夫婦としてだからな……!


 どんな顔をして英心に会えば良いのだろう。


「泰正!」

「はっ」


 英心の声が聞こえて、泰正の心臓が異常に脈打ち、呼吸が荒い。

 まともに英心を見れる自信がない。

 顔を背けると後ずさるが、英心が目の前にやってきてしまい、手を掴まれた。


「ひっ」

「早く中に……」

「わ、分かったから、は、離してくれ!」


 英心の熱くて力強い手のひらの感触に、息の根が止まりそうになり、泰正は足元をふらつかせながら、引きずられるように部屋に連れて行かれた。


 立派な庭を抜けて来たのに、何も感じず、泰正の脳内は英心一色である。

 英心は、泰正の心情などお構いなしに、これからについて説明を始める。


「ここがお前の部屋だ。足りぬ物があれば、都度調達しよう」

「あ、ああ……ありがとう……」

「私の屋敷には、式神が多数いる。困った事があれば、言うように」

「ああ」

「それと、清太呂と話あったのだが、お前は身体が衰弱しているらしい。しばらく屋敷に籠もり、養生したほうが良い」

「……そんなに、悪い状態では」

「いいや。自覚はないかもしれないが、だいぶ痩せただろう。千景も心配して、密かに文を送られた」

「千景が?」


 いつの間に……と、文を広げられて、読めば、英心への無茶な要望ばかりが書き連ねられており、から笑いした。

 千景の文のおかけで冷静になれた泰正は、文を英心に返して、改まった挨拶を述べる。


「これから世話になるな、宜しく頼む」

「うむ。私こそ、よろしくお願いする」

「英心……話したい事はたくさんあるのだが」

「うむ。私もお前には確かめなければならぬ事がある」


 二人きりで向かいあって座すると、泰正から話し始めた。

 やはり心臓が早鐘を打つが、無視をする。

 どうにか英心の目を見据えて心情を吐露した。


「私達は、あくまでも帝の命により、夫婦になったわけだが……お互いに不満はあるだろう。その不満を押し殺していては、今後の生活に支障が出てしまう」


 英心は反応せず、ただ泰正を見つめていた。

 何を考えているのかはわからない。

 焦りを覚えながらも、泰正は本音を語る。


「……私は、お前に……その、気持ちを伝えるつもりなどなくて、帝にあてた文がきっかけで、こうなってしまった訳であり……不可抗力なのだ」


 何だか何が言いたかったのか分からくなり、顔を振り、瞬く。

 本題を思い出して、身を乗り出して言葉を続けた。


「私と夫婦などと、お前には迷惑でしかないだろう。いずれ妻を娶り、子をなす望みもあろう。だから、私は帝にこの茶番を解消して頂きたいと懇願するつもりだ」


 そこまで言い切ると、英心がやっと反応して、口を開いた。


「そんな真似をすれば、ただでは済まない。お前も、私も」


 その反論には首を横に振る。


「いいや。お前が不幸に見舞われることは無い」

「ならば、泰正、お前は一人で罰を受けるつもりなんだな……?」

「……」


 その通りだと、無言になり、意図を示した。

 英心は押し黙り、ため息をつく。


「全く、おかしな考えだ」

「は?」


 英心の言葉に、泰正はつい声を上げて、見据える。

 彼は腕を組み、視線を泳がせた。


「何故、帝に逆らうような真似をするのか。全く分からぬ」

「さ、逆らうとは……?」


 意外な反応に困った。

 こんな雰囲気の英心は初めて見た。

 英心は微笑まで浮かべて、呆れたような声音で言葉を続ける。


「帝は私がお前を、友としか見ていないと見抜いているのだろう。だから、友として、お前がまた鬼憑きにならぬよう見張れと申されているのだ……それくらいわからぬか」

「……っ」


 はっきりと英心の口から告げられて、泰正の胸は鈍器で殴打されたような感覚に陥った。

 英心の態度を見るに、彼は泰正を嫌っているのは分かる。

 友とは言ってくれるが、建前であり、帝の命だから、仕方なく夫婦になったのだ。


 ――私の英心への想いを知り、わざわざ夫婦にされるとはなあ。


 男同士であるが故に、居を共にするのは不自然ではあるまい。


 もっとも、英心や泰正のような陰陽師は、婚姻については自由ではあるのだが……。


 泰正はいつのまにか伏せていた瞳を、英心へと戻して答えた。 


「ならば、お前は、私と死ぬまでこの関係で良いと思うのか」

「無論。帝の命なのだ」

「……」


 それなら、私が早くあの世に行けば、英心は自由になれる。

 泰正は英心の本心を知れて、複雑だが、良かったと心底思った。


 割り切って付き合えるなら、越したことはない。

 ただ、同じ屋敷に住んでいるだけで、今まで通り、距離をおいて日々を送るだけだ。


「私はお前に謝らなければ」

「何?」


 突然の謝罪という単語に、眼を瞠る。

 英心は困り顔で、頭を垂れた。

 いきなりの事に困惑してしまう。


「ど、どうした英心!」

「お前が私を想い、長年苦しんだ事実は消えない……すまなかった」

「英心」


 誠心誠意謝る姿に、胸がじんわりと温かくなるのを感じた。

 鼻の奥がつんとして、まぶたが濡れている。

 泰正は迷いつつ、英心の手のひらを握りしめた。

 英心は顔を上げると唇を噛みしめる。


「気にするな……全ては、私が決めた事だ」

「泰正」


 泰正は英心の手に触れている事実に、胸を高鳴らせながら、口を動かす。


「私の父と母は、私のせいで命を落とした……英心よ、お前は何も悪くない」

「……」


 泰正は事実と本心を話しただけだが、英心は、顔を曇らせて、黙り込んでしまった。

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